阿部です。かなり分かりかけてきたけど、引っ掛かる部分は
すっきりしたいので、もうちょっと疑問に残っている部分を
続けます。

In article <BB1F1E5C.2EB%yukawaml@p4.numse.nagoya-u.ac.jp>,
 Nobuki Yukawa <yukawaml@p4.numse.nagoya-u.ac.jp> wrote:

> 「同じことをすると、捕まる確率がほぼ同じ」ってことじゃ
> ないでしょうか?
> 確率が100%であろうが10%程度であろうが、人による扱いの差がなければ
> 公平と言えるのではないか、と。

憲法のいう法の下の平等というのは、法が適用される確率が
等しければそれで充分ということなのでしょうか?
極端な話、「無作為に抽出した30%の人には殺人罪が問われない」
なんてことでも、それは憲法のいう法の下の平等なのですか?


> もちろん、あまり確率が低いと「捕まったのは運が悪かった」的発想を
> 助長させるかもしれませんが、それは「不公平だから」というのとは
> 違いますよね。

うーん。どうして違うのかが、まだピンときていません。
確率が90%でも10%でも、捕まる人と捕まらない人がいる
ことには変わりがないけど、捕まる人の方が少ない方が
「不公平」という発想が出てきそうな気がします。が、
いま考えが変わりつつあるところなので、もう少し考えて、
みます。


> なお「同じことをしたのに俺は捕まってあいつは捕まらないのは不公平だ」と
> いうような奴は、たとえ捕まる確率がほぼ100%になったとしても、こんどは
> 「あいつは俺よりひどいことをやっているのに同じ処罰なのは不公平だ」
> などと言い出したりして、どこまでいってもそういう意味での
> 「不公平感」はなくならないように思います。

「あいつは俺よりひどいことをやっているのに同じ処罰なのは
不公平だ」というのは、あらかじめ定められた処罰が、
定められたとおり適用されているうえでのことで、私に
とっては説明がつく「不公平感」なので、いいのです。

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阿部圭介(ABE Keisuke)
koabe@mcc.sst.ne.jp (NetNews用)