阿部です。

In article <3ef08525$0$258$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>,
 tfukui@asahi-net.email.ne.jp (FUKUI Tsuyoshi) wrote:

> 不公平感を無くすことがそんなに大事ですか?

不公平だと思われているということが、由々しきことだと
思ったのです。

> 完全に公平な運用ってどんなんだろう、という疑問もありますが、
> もしそれが可能だとしても、不公平感は何か別の
> 悪感情に置き換えられるだけではないでしょうか。
> 「みんな同じことやっているのに」なんて言う人にとっては
> 自分が捕まったことが問題であって、他のみんながどうか
> なんて本当はどうでもいいのではないでしょうか。

ほかの悪感情であるなら、まだいいのかもしれません。

どうして、「不公平」にこだわるのかというと,法の下の平等
って、誰に対してもいつでも同じに法が適用されるということ
であって、少なくとも日本では法の運用の前提だ、と私が思って
いるからです。

現実にはそれが不可能だとはいえ、「そんなの建前の話だ」
とか「そんなのうそっぱちだ」とか「みんな同じことやって
いるのに、おれだけじゃないか」とか言われること自体が、
なんだかいやな感じがするのです。

でも、いつものようにどこかで何かを勘違いしている可能性が
高いので、いつものように解きほぐせたらいいな。


> 別の記事で
(中略)
> >そんな風に人々に思われているのだと、遵法精神の面などで、
> >問題だと感じます。
> 
> と書かれていますが、
> 佐々木さんの指摘は、それは逆で、遵法精神に問題があるので
> 「自分ばっかり」とか「運が悪かった」とか言えちゃうのでは、
> ということだと思います。

相互的な作用ではないのかなと思っているのです。
つまり、遵法精神に問題があるから、自分ばっかりと思う
ということもあるかもしれないけれども、逆に、
「現実に不公平な運用が行われている」ということが
あったとすると、遵法精神に悪影響が与えられるのでは
ないかということです。

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阿部圭介(ABE Keisuke)
koabe@mcc.sst.ne.jp (NetNews用)