ご回答誠に有難うございます。

>> http://www.geocities.jp/a_k_i_k_o928346/Lemmon__00.jpg
>> から引用させていただきました。
> それはきっと訳文がまずいのでしょう.
> 原文に当たって見られることをお勧めします.

http://www.geocities.jp/a_k_i_k_o928346/1_pdfsam_Axiomatic_Set_Theory_by_Lemmon.pdf
http://www.geocities.jp/a_k_i_k_o928346/30_pdfsam_Axiomatic_Set_Theory_by_Lemmon.pdf
http://www.geocities.jp/a_k_i_k_o928346/42_pdfsam_Axiomatic_Set_Theory_by_Lemmon.pdf
http://www.geocities.jp/a_k_i_k_o928346/54_pdfsam_Axiomatic_Set_Theory_by_Lemmon.pdf
http://www.geocities.jp/a_k_i_k_o928346/66_pdfsam_Axiomatic_Set_Theory_by_Lemmon.pdf
が原文となります。

何となく分かってきました。
先ず最初にZF公理というモデルがあってそれはclass(proper classes(宇宙やラセルパラドクスのクラスなど)とsetsに分類される)というものから出来ている。

圏論などは基本的にはZF公理での概念になっている。

classの集まりなどこれ以上うえを考えても数学をとりわけ肥沃にする訳でもないので,それより上の概念を殆どの数学者やZF公理系以外のモデルでも取り扱わない(もしかしたら,扱っている数学者が一人くらいはいるかもしれないが)。

>> http://www.geocities.jp/a_k_i_k_o928346/Lemmom_p29.jpg
> ここで全クラス U というのは「すべての集合からなるクラス」ですね.

Universe of ZF set theory(または set theoretic universe)のUですね。
所で空クラスは空集合と同じものだと解釈しても宜しいでしょうか?

>> http://www.geocities.jp/a_k_i_k_o928346/Lemmon_p30.jpg
> この本の後の方で U が真のクラスであることが示される, と
> 書いてありますね.

了解です。 Uが集合だとU∈Uなる矛盾が発生するから真のクラスになるのですね。

>> http://www.geocities.jp/a_k_i_k_o928346/ast_by_tanaka_p52.jpg
>> となっております。
> だから V は「すべての集合たちからなるクラス」ですね.

上述した全クラスUと同じものですね。

> なるほど前者の U と後者の V は同じものです.

了解です。

> 間違っているのは,
>>> In article <kmdvat$76t$1@dont-email.me>
>>> "Kyoko Yoshida" <kyokoyoshida123@gmail.com> writes:
>>>> 公理的集合論「レモン著」p30冒頭で全クラス(宇宙)は真クラスか否かは不明だ
>>>> と述べてあります。
> という読解です.
> 「しかしながら, この疑問にここで答えるわけにはいかない」と
> 書いてあるだけです.
> 「したがって, 後に―後により多くの定理が得られれば― U は R と同様に,
> 真のクラスであることが示すことができるが, このことは驚くべきことではない」
> と書いてあるのが読めませんか.

そうでした。有難うございます。

> なお, 田中尚夫さんの本では「真クラス」のことが「固有クラス」という
> 名称になっていますね.

そうですね。properは"真の"や"固有の"と訳されますからね。

>> これも
>> http://www.geocities.jp/a_k_i_k_o928346/Lemmom_p29.jpg
>> http://www.geocities.jp/a_k_i_k_o928346/Lemmon_p30.jpg
>> からでございます。
> 先ず, 4 page において,
> { x | Fx } という記号は
> ( Fx を満足する全ての対象 x のクラスではなくて)
> Fx を満足する全ての集合 x のクラスを表している,
> と書かれていることに注意しましょう.

有難うございます。了解です。そうしますと,{x|Fx}は集合になる場合もあれば真クラスになる場合もあるのですね(例:Fxがx=xの場合など)。

> だから,
>  a \in { x | Fx } \leftrightarrow (Set a) \land Fa
> であるわけです.

これが { x | Fx }の定義なのですね。 { x | Fx }の元は集合で且つFaを満たす。

> その約束の下に D17 で U は
>  { x | x = x }
> であると定義されています. そういう約束があって, T36 という
> 定理が証明されます. そういう部分も説明せず,

納得です。

>  『少なくともU∈Uの時,かつその時に限り,Uは集合であるといえる』
> の前の『 T36 を考慮すると, 』という文章も省いたのでは,
> 何を前提にしているのが分からず, 意味不明になるわけです.

『この疑問に答えるわけにはいかない』というコメントがあるとおり,ここの時点では単に
T36(T36は単にU(:={x:x=x})の性質を述べてるに過ぎない)から,T36を使えば,
「U∈U ⇔ Set U」
が導けるよという主張してるだけなのですね。
勿論,後々Uが集合である事に矛盾が生じる訳ですが。

>> クラスといったら,集合も指すし真クラスも指すのですね。
> これは良いですが,

了解です。

>> 数学的対象を議論する時に
>> 先ず`全ての数学的対象物の集まり`(これは領域(?))というものがあって
>> (ここでの'集まり'とは日常会話で使う'集まり'と同じ意味と考えて構わない),
>> それから集合と真クラスの二つに分類されるのかと思ってましたが,
> レモンさんの本では Set x という x についての性質の存在が
> 最初に仮定されていること,
> 田中尚夫さんの本では集合論の公理系が与えられていること,
> どちらでも, 結局, 全ての集合の集まり U とか V とかからは
> 外に出ていないこと, についても考えておきましょう.

これも納得です。喩えUやVの外を考えてもRusselのパラドクスやCantorのパラドクスに似た矛盾が発生するだろうから,外を考えても殆どbenefitが無さそうですね。

>> そうすると真クラスは領域という集まりに含まれますから
>> もはや"真"ではなくなってしまいますので(∵真クラスの定義),
> 「真クラス」の定義はそんな推論を許すものではありません.

そうでしたね。"領域"などというものを考えても無意味なのでしたね。

>> 領域というものも考えず,
>> 議論の一番一番起点となるものは集合と真クラスという
>> 2種類の数学的対象物から出発するのですね。
> それはどちらの本も読み誤っているでしょう.

すみません。正確にはクラスというものの集まりと
→,¬,{, },∈,=,(,),x_1,x_2,…
という(無定義な)記号が最初にあって(但し,ここでの…はx_1,x_2の後にx_3,x_4,などが延々と続く事を意味する),
それらによって,真クラスが幾つか定まり,その中に宇宙と呼ばれる真クラスUがあり,そのU下で初めてZF公理系が与えられ,
∈Uの左側に来るものを集合と呼ぶ。
という解釈で宜しいでしょうか?

>> そして晴れて集合にはZF公理系というものが定義されうる。。
>> 通常の数学の世界では
>> 数学的対象物は集合と真クラスの2種類のみで
>> それより上位の概念は考えない事にするのですよね?
>> そうしないときりが無いから(勿論,論理学ではこれとは別な公理系を打ち立
>> てて,議論を始める特殊な数学の世界も研究されているでしょう)。
> これらの本でなされているのは,
> 集合のみを, 先ず, 数学的対象にするときも,
> その集まりを考えるときには, 又集合になることもあれば,
> 集合にならないときもある,
> 一定の性質を持った集合全ての集まりも数学的対象にしたいわけだから,
> 集合を扱うだけでなく, 集合にならないクラスも扱いましょう,
> という話です.

宇宙UやラセルパラドクスクラスVなどの真クラスと集合を総括して議論を進める訳ですね。

>> そうしますと,
>> "数学的対象物は集合と真クラスの2種類のみで
>> それより上位の概念は考えない事にする"
>> という公理があるのでしょうか?
>> あるとしたらこの公理の名称は何というものでしょうか?
> 公理ではなく, ある立場に於いては差し当たってそれで十分だと考える,
> ということでしょう.

これも納得です。既述してますとおり,更に上を考えても当面,数学を肥沃にしそうも無いからなのですね。

ところで
http://www.geocities.jp/a_k_i_k_o928346/def_set_theory_language__00.pdf
と集合論言語を定義したのですがこれで正しいでしょうか?