阿部です。呑み込みが悪くてすみません。

In article <3f09a787$0$267$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>,
 tfukui@asahi-net.email.ne.jp (FUKUI Tsuyoshi) wrote:

> 阿部さんは「公平」という言葉を非常に広い意味で使われているようです。
> 「〜は公平である」と「〜は正しい状態にある(=問題ない)」とを
> ほぼ同義に捉えられているように見えます。

そうです。

(以下、逆戻りしているみたいなことを書くかも知れませんが、
どこで引っ掛かっているのか明らかにした方が解決への近道だと
思うので、どういう考えをしていたかということをもう一度
書いてみます)。

つまり、公平であるのだったら、「公平じゃない。不公平だ」
というような人に対して説明がつくだろうと思っていたのです。


> 誰に対しても取締まられる確率が10%ならば公平である、と評価したからといって
> 10%じゃ低すぎるだろ、と言っちゃいけないということではありませんし、
> 残り90%も捕まえろと言っちゃいけないということでもありません。
> その根拠として「不公平」を挙げるのには無理があるというだけの話です。
> 
> 誰に対しても同じ確率であれば公平である、という話と
> その確率でいいのか、という話は独立です。
> 公平さを保ちながら、その確率を上げていく(もちろんリソースの及ぶ限りで)
> 努力を続けるのは当然のことです。

そうです。
いまとなっては、「公平」というのが、例えば「ある地域で、
ある時刻に駐車違反の取り締まりを行う際に、駐車違反して
いる誰もが一様に取り締まられていればいい」というようなこと
だと分かりかけているのですが、依然としてうまく納得できて
いないのがこの部分です。

一つには、確かに取り締まりが行われれば誰もが取り締まられる
としても、取り締まられる率が100%でない限り、意図していない
としても、取り締まられる人と取り締まられない人が存在して
しまうわけです。そこで、取り締まられる人と取り締まられない人
の差というか、違いというかは、どのように考えればいいのかが
消化できていません。

袖の下を使ったなんていう意図的なことであれば、ものすごく
分かりやすく「ふざけるな!」といえるのですが。

また、取り締まられる率が10%だというのはどうして駄目なのか
ということに対する考え方として、私は次のように考えて
しまっています。

つまり、10%というのは、法が、10人に1人にしか適用されて
いない。本来誰にでも適用されるべき法が、(誰かを意図的に
選んだのではないとはいえ)ほとんどの人が適用される人が
適用されていないというのは不公平なのではないか。誰にでも
適用されるという公平な状態にしなければいけない(ここでの
公平は、私がこれまで思ってきた、誰にでも適用されるという
公平としています)。

とりあえずは、自分が引っ掛かっている(と思われる)部分を
書いてみました。

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阿部圭介(ABE Keisuke)
koabe@mcc.sst.ne.jp (NetNews用)