フクイです。
 
On Sun, 06 Jul 2003 21:36:18 +0900,
  ABE Keisuke <koabe@mcc.sst.ne.jp> wrote:
>せっかくつかみかけた気がしているのに、終わらせたく
>ないなあ。
 
このスレッドをざっと読み返してみました。

阿部さんは「公平」という言葉を非常に広い意味で使われているようです。
「〜は公平である」と「〜は正しい状態にある(=問題ない)」とを
ほぼ同義に捉えられているように見えます。

その感覚でもって、
(1)捕まらない人がいたとしても、これこれを満たしていれば公平だと言える  
という説明を
(2)これこれを満たしていれば(=公平ならば)、捕まらない人がいてもかまわない   
という意味にとっているのではないかと思います。

典型的な例を以下にあげます。

<koabe-CA2AA6.11044406072003@news.fu-berlin.de>
>湯川さんが書いていたのと違う「確率」で考えていたのですが、
>全駐車違反者のうち捕まる人の確率が50%だとすると、半数の
>人は駐車違反を犯しても捕まらないのですが、一方で捕まる人が
>いて、一方で捕まらない人がいると。でも、確率50%であっても
>確率が等しければ「公平」なんだから、その「公平」の中では
>捕まらない人がいることを認めていることになる、と捉えて
>いました。

まさに、
 公平 → 捕まらない人がいることを認めている
という捉え方です。

<koabe-FD50A4.22054803072003@news.fu-berlin.de>
>あと、確率が同じであればいいとなると、多かれ少なかれ
>取り締まられない人が出てくると思うのですが、そういう
>人が存在することを認めていいのかという部分が私の中で
>処理できていません。

「確率が同じであればいい」とは、公平と言って良いのかどうかに関する
「いい」の話なのですが、阿部さんは、
「取締まられない人の存在を認めてもいい」の話と取り違えています。

誰に対しても取締まられる確率が10%ならば公平である、と評価したからといって
10%じゃ低すぎるだろ、と言っちゃいけないということではありませんし、
残り90%も捕まえろと言っちゃいけないということでもありません。
その根拠として「不公平」を挙げるのには無理があるというだけの話です。

誰に対しても同じ確率であれば公平である、という話と
その確率でいいのか、という話は独立です。
公平さを保ちながら、その確率を上げていく(もちろんリソースの及ぶ限りで)
努力を続けるのは当然のことです。

--
FUKUI Tsuyoshi