てつたろです。

人を理解するのって難しいです。
理解できたと確信した瞬間にするりと
滑り逃げていく。 ;_;

"笠原 励(氷炎 雷光風)" <cuncuku@uranus.interq.or.jp> wrote in message
news:20040219013849.562373.1951984032@uranus.interq.or.jp...

> どうも。氷炎 雷光風(ひえん らいこふ)こと笠原です。

ごきげんよう。
(というのはグループ違い ^_^)

> Message-ID: <c0vrqu$kl5$1@newsl.dti.ne.jp>
> においてMARUYAMA Masayukiさんは書きました。
>
> > てつたろさんの最初の記事を私が読んだとき、「・・・で?」
> > と思ったのは事実です。
> 私は、「・・・で?」というよりも、
> 「そんなこと考えたこと無かったし、どっちでもいいじゃん」
> としか思えませんでした。

んー。
そんなこと考えたこともなかった人達に
「そんな考えもあるんだ」
と思って貰うことが投稿した第一の目的でした。
#紅茶の例でいうと、「ミルクティーって知ってる?」

その上で、次にゲームをやったときに、
「そういわれればそうかも」
#「この前飲んだら美味しかった」
と思って貰えれば更に嬉しいんですが、
こればかりは個人の嗜好の問題なので強要する
積もりはありませんし、「別にそんなことない
じゃん」でも仕方ありません。
#「飲んだけど美味しくなかった」、「ストレート
#の方が好き」という意見
ただ、相手がミルクティーと思って飲んでいる
ものが、実は紅茶に植物性クリームを入れたもの
等で、私の考えるミルクティーとは異なると思えば
更に説明を続けますが。

問題は、「お前その考えは間違っているよ」
#「ミルクティーは紅茶の飲み方として歴史的に
#正しくない」
と言われた場合。
「少数意見」と言われるならそれは仕方ない。
(事実、みんなが私と同じ考えなら業界は動いて
今頃は主人公の顔/声付きのAVG/ノベルゲーム
が市場にあふれているでしょうし)
でも、納得できない理由で否定はされたくないです。

飯塚さんとの議論はそんな流れだと、私は考えて
います。

間違っているという根拠が納得できれば諦めますが、
誰が見ても同じ見方しかできない客観的根拠が出て
こない限り納得は難しい。

> てつたろさんが起こした大元の元記事
> Message-ID: <burd7f$c07$1@news1.point.ne.jp>に
> ついては下記の通りです。
>
> > 物語の登場人物に実存する自分の姿を当てはめて考える人
> > っているのでしょうか。
> > 私だったら興醒めです。
> > 物語の中ぐらい別人になりたい。
> 「姿をあてはめる」のではなくて、「主人公として(プレイヤーが一体化し)
> ゲームの世界を擬似体験していく」という楽しみ方(もしくは遊び方)をして
> いると思うんですよね。

そうですね。
「別人になりたい」
というのは、ゲームの主人公に同調してその世界
を楽しみたい、という意味です。
(以前「コミックや小説を読むように物語に没頭
したい」と書いたように)
だから、主人公に元の名前があれば自分の名前を
付けたりはしません。主人公のキャラをできるだけ
尊重します。
これは私のポリシーです。
(勿論、他人にこの遊び方を強要する気はありません)

> だから「姿」よりも、「性格や基本設定がしっかりしてる、
> ゲームの世界へ仮想参加しやすい」ことの方が大事で、
> それはゲームを作る上で欠かせない部分だと考えます。

「姿よりも設定」に同意します。
私だって「主人公の顔さえあれば後はなんでもいい」
訳ではありませんし。
#美味しい紅茶を美味しくいれて、その上で
#ミルクを入れるかどうか。
#主役はあくまで紅茶です。

> > 顔と音声がなければ、後はテキストから主人公の像を想定
> > しなければなりません。
> いいじゃないですか、それで。「主人公の像を想定」する楽しみ方も
> あると思います。

はい、ケースバイケースで同意します。

上記の引用部分だけでは判からないでしょうが、
私の「顔が欲しい」ケースには条件と理由が
あります。

例えばチュンソフトのノベルゲームの場合、主人公
の顔がありませんが、別に違和感がない。
何故かというと、誰の顔も平等に出て来ないからです。
主人公もヒロインも他の登場人物も顔や声を想像して
楽しんでいます。

対して、ヒロインの顔はしっかり描かれているのに
主人公だけ顔なし、例え姿を描くことがあっても
後ろ姿や髪で顔を隠して存在感をぼやかしている
作品があります。(というか、ノベルゲーム/AVGでは
こちらが大多数)
最近のAVG/ノベルゲームの主人公はアクがあって
キャラも立っていると感じます。
それをわざわざ存在感をぼやかそうとするもの
だから違和感を感じる私です。
(飯塚さんは、ゲームの「駒」だから主人公には
夢も意思も不要との考えのようですが、それとは
真っ向対立しています)

顔だけではなく、「ヒロインの声はフルボイス」
なんて事になると、更に大変です。

主人公のパートは顔と声を想像で補完し、
ヒロインのパートはそれが提供される。
それぞれのパートで思考の切替が発生して更に
違和感を感じてしまうんですが、これは私だけ
なんでしょうか?

もともと「クライマックスだけ声アリ」から
「フルボイス」に進化したのも「部分的に声アリ」
の違和感解消の為だと私は思うんです。

#「ならば声を消せば?」という意見もあるでしょうが、
#わざわざレベルの低い方に合せるのも抵抗があります。

この「違和感」というものは主観であり感覚的な
ものなので、「感じるな」と言われて「そうですか
では止めます」とは行かない。 ^_^;;

> どういう楽しみ方をするかは、人それぞれです。

まったくその通りです。
「顔がないことが当たり前だから、お前もそれに
合わせろ。顔なんて余計だ」
と言われさえしなければ一向に構いません。

私の記事からその考えが読みとれなかったなら
それは私の文章力が足りないせいでしょう。

難しいなぁ、人に理解を求めるのって。

短過ぎれば、言葉足らずで誤解され、長すぎれば
焦点がぼやけて脇道へ逸れる。
例え話は本質とは微妙にずれるから、取り方次第
ではやはり誤解を生むことも判っています。

それでも理解して欲しくて今日もシコシコと記事を
認めています。
少しでも私の本意が伝わりますように、と祈りつつ。

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