てつたろです。

"iizuka" <iizuka@comp.metro-u.ac> wrote in message
news:c12faf$gec$1@swallow.comp.metro-u.ac.jp...

> > 「主人公視点だから顔不要」という論であれば、
> > 「主人公視点には限界があり、主人公視点を離れた
> > 時には主人公の顔が出てもいい」というのが私の考えであり、
>
>  視点の変更は、プレイヤーが混乱するからやらないというの
> が原則であり、顔が出たらその状況に拍車をかけることになり
> ます。
>  制作側は、できるだけプレイヤーが混乱しないよう配慮する
> 必要があるでしょう。主人公の顔を出さないと言うのも、その
> 配慮の1つです。

・「プレイヤーの混乱」という点について
Better Sweet Foolsの欠点は章の途中でいきなり
一人称の対象が変わることでした。
せめて章毎に切り換えるか、文字の色を変える等
してくれたら判りやすいのに、と思いました。
逆に、文章が一人称で一貫しているのであれば、
主人公の姿が画面に出たからといって混乱した
ことは経験的にありません。

ましてや、既に姿を登場させている状態で「顔が
出たら混乱を増す」と言う説にはちょいと首を傾げ
ざるを得ない。

飯塚さんは過去プレイしたゲームで、主人公の
姿が現れた事が理由で混乱した経験がおあり
なのでしょうか?

一寸原文に補足しますと、
「主人公視点」のソフトそのものを否定する訳
ではありません。
「常時主人公の顔をだせ」とも申しません。
「主人公視点を外れたとき位、無理矢理に
ごまかしたりせず顔をだせばいいのに」という
話です。

あと、ヒロインフルボイス時の主人公の声ですが、
これは「主人公視点でも出て欲しい」と思います。
(脇役の男もね)

#声が出ると混乱する、という事はありませんよね?
;-)

> > 「投影型だから顔が不要」という論であれば、「主人公の考
> > えや思いが表記されるAVGやノベルゲームは「他者型」の
> > 特徴を示しているので対象外」というのが私の考えです。
>
>  しかし既に示したようにノベルゲームの代名詞である
> 痕とかToHeartは、投影型に分類されます。

今までも気になっていたんですが、分類したの
はだれですか?
飯塚さんがそう考えるという話ですか?

痕とかToHeartの主人公が「夢も思考もない
ゲームの駒」だとの考えには同意できません。
(この点は最後の方に纏めています)
どうやら定義の変更もないようですね。

>  他者型の特徴を示してるのは、 「Better Sweet Fools」
> でしたっけ?
>  ああ、もう顔が出てるんだから問題ないじゃないですか。

はい、「顔」の点で問題はありません。
「顔」が出てくる例として挙げたのですから
当然ですね。
「Better Sweet Foolsに顔が欲しい」なんて
どこにも書いた憶えはないのですが…

(それともこれも冗句でしょうか)

> > > > 「切替」の基準はプレーヤーがそのゲームをどちらと
> > > > 見なすかだと思います。
> > > > 制作者が「投影型」として作ったのだから、「投影型」
> > > > として遊べ、と言っている訳ではないですよね。
> > >
> > >  結果的に「投影型」として作られたゲームは、「投影型」
> > > で遊ぶでしょう。遊ぶときに「さあ、これはどっちだ」といち
> > > いち判定しないですからね。普通の人は無意識にそうや
> > > って切り替えてるはずなんですが。
> >
> > 無意識にやるから「違和感」を感じるのですが。
>
> 「違和感」を感じるなら、切り替えられてないんですよ。

無意識にやると「他者型」と切り換えてしまいます。

>  アクションゲームを遊ぶときは違和感なく切り替えられる
> わけでしょ?

アクションゲームの「駒」が自分の意思で
動くことはないですからね。
と、いうより、アクションゲームって
マリオにしろソニックにしろ顔が出てます
よね。
「投影型だから顔は不要」説と反するのです
が、どうなんでしょう?
「投影型だから顔は不要」説そのものが間違い
だったんでしょうか?

>  さて、その原因はなんでしょうねぇ。
>  私にはてつたろさんが、投影型のゲームを遊ぶ慣れてな
> いせいで、うまく切り替えられない気がしますが。
>  対処法は、もっといろんなゲームをやってみることですか
> ねぇ。

「そんなことはないですよ」とは主観でしか
ないので答えても意味がなさそうです。
お金と時間を貰えたらもっとやってみます。
飯塚さん、よろしく m(_ _)m
(…冗句ですよ、念のため ;-P)

> > > > その例として、飯塚さんが「投影型」だと仰る「ToHeart」にも、
> > > > 主人公がヒロインを同級生に襲わせようとする場面があります。
> > > > (私が「よせ、やめろ」といった由縁です)
> > >
> > >  多くと言っても、ここで名前の上がった痕とかToHeartには
> > > ないんじゃないですか?
> >
> > 例えば痕なら「ヒロインが敵の手に落ちるような主人公の行動」
> > ToHeartでは「マルチの××を見ようとする主人公の行動」等です。
>
>  それはプレイヤーが(この場合てつたろさんですが)そうなる
> 選択肢を選んだからでしょ? いつも必ず敵の手に落ちるわ
> けじゃないし、見るわけじゃないんだから。

いや、そのヒロインのルートに進んだら、
ストーリー的に不可避ですね。

> 「いつも必ず落ちるので許せん」という話ならわかりますよ。

「許せん」なんて思いませんが、プレイヤーが
主人公の意思による行動を全てコントロールできる
訳ではないんです。

>  投影型他者型に限らず、ゲームとして問題だ、という話ですね。
>  そうなるためにそれ相応の理由がない限り、ゲームとしての
> 評価は低くなっちゃうでしょう。

簡単にいうと「ストーリー上の都合」が理由ですね。
(「丸一日寝ていた」というのも同じ)

> > 主人公はそれを見事に外してくれました。
>
>  意外な展開で良かったじゃないですか。(^^)

はい、でもプレイヤーは志保の意思に同調させられ
ます。主人公はプレイヤーの操作を離れて暴走して
いますが、それがストーリーを面白くしてくれた。
だから、システム的に評価を下げても総合評価では
差し引きプラス評価です。

> > 厳密な意味での「ストレス(心因的圧力)」なら感じているか
> > も知れませんが、感動の場面も「ストレス」でしょう?
>
>  はぁ? 違うでしょう、普通。
>  感動の場面で感じるのはカタルシスでしょう。

「概ね」で同意。

>  ストレスと対極ですよ。感動の場面でストレス感じてどうするの。(^^;)

訂正
感動のなかには「哀」があり、登場人物の身に
降りかかった不幸に「感動」する場合がある。
その際に感じているのは「ストレス」
(創作物全般ですが、受け手にストレスを与える
ことで感動を引き出すものもある)

ストレスとカタルシスを上手く使い分けてこそ
感動は生まれると思われます。

#それとも、主人公が不幸のままで終わったら
#感動はできないですか?

> > ストーリーがプレイヤーの思いもしない方向へ進むことが苦
> > 痛なら、多くのAVG/ノベルゲームは苦痛の連続でしょう。
>
> 「よせ、やめろ」という負の感情を持つのは、誰でも普
> 通苦痛ですよ。逆に「よし! よくやった」という感情を
> 持つとカタルシスを感じますね。

悲劇はお嫌いですか。

> > それが普通の反応だとばかり思っていましたが。^_^;
>
> 「よせ、やめろ」という負の感情を楽しんでたり、感動の場面で
> ストレスを感じるのは、凄まじく特殊な反応だと思いますよ。
> #ふむ。総合するとてつたろさんは、かなりサディストのケが
> #ありますな。(^^;)

いやまあ、主人公の不幸で感動できるのですから
むしろ、マゾヒスティックな喜びかと ^_^;

> > > > 飯塚さんはEnterキーで話を進めていく場面にストレスを感じ
> > > > るのですか。それでは、ノベルゲームやAVGをプレイ
> > > > する時間の大半は苦痛でしょうね。
> > >
> > >  私は「よせ、やめろ」と思うような展開だとストレスを感じますね。
> > >  人並みに。
> >
> > 明らかに質問をはぐらかしていますね。
> >  もともと「よせ、やめろ」はプレイヤーが操作できない一例
> > にすぎません。
>
>  私がどんな場合にストレスを感じるか、てつたろさんが勘違
> いなさったようなので訂正したのです。
>  それに質問だったのですか? なんか勘違いした上に、納
> 得したように見えたですが。(^^;)

改めて質問しましょうか。
飯塚さんはEnterキーで話を進めていく場面に
ストレスを感じるのですか?
もう一つ
ストレスはすべからく苦痛ですか?

> > > > > > ノベルゲームのストーリーに求めるのは意外性だと
> > > > > > 思いますが。
> > > > >
> > > > >  多数の人が求めるのは、意外性より感動でしょう。
> > > >
> > > > 「感動」の源として「意外性」は重要なウェイトを占めて
> > > > いると考えます。
> > >
> > >  うーん。
> > > 「感動」というのは「喜怒哀楽」のことを言うんですがね。普通。
> > >  喜ぶは、笑いゲー・バカゲーなどですが、お笑いは一寸低く
> > > 見られているので、「感動」するゲームには入れてもらえません。
> >
> > では、多くの人は「笑いゲー・バカゲー」を求めて
> > いないとでも?
>
>  残念ながら「感動」するゲームと分類した場合、「笑いゲー・
> バカゲー」は入りません。人が求めてるかどうかとは別の問
> 題です。

「感動」を持ち出されたのは飯塚さんです。
もとは、「ノベルゲーム(/AVG)のストーリーに
意外性は求められているか」が議題。

「感動」が求められているのは否定しませんが、
「意外性が求められていない」とする根拠が欲しい。

基本的に「感動」と「意外性」は排他的なもの
ではないです。

笑いゲーは「感動」に含められない(個人的には
「どうかなぁ」と思いますが)けど、笑いゲー
にも「意外性」はありですしね。
#「思いもよらぬ仕掛けが貴方を待ち受ける」
#という謳い文句に惹かれるものはありませんか?

> > >  怒るのも、プレイヤー怒らせてもしょうがないので論外です。
> >
> > 敵の卑劣な行為に怒る主人公に感情移入するのも
> > 感動の内でしょう。
>
> 「怒りゲー」というものは存在しない、というお話です。

では「プレイヤー怒らせてもしょうがない」
というのは「プレイヤー怒らせたまま終らせても
しょうがない」という意味ですね。
それなら了解。

> > あっと驚く展開があればだらだらとした「転」のない話よ
> > りよほど感動が強まるとは思いませんか?
>
>  強くなるスパイスになるかもしれませんが、源ではないですな。

「強くなるスパイスになる」と認めて頂けたなら
良しとします。
「源」という例えは語弊があるようなので
撤回しましょう。

> > 意外性0で感動できたゲームって思い出せません。
>
>  操作性が0の感動できたゲームもないでしょうし、グラフィック
> の良さが0で感動できたゲームもないでしょう。
>  ゲームは総合的なメディアですから、何かゼロでは感動なん
> て望むべくもないんです。

では「意外性が求められている」こと事態
は概ね了解頂けるのですね。


> > > > > ストーリーをプレイヤーに合わせると言ってるのと同じですよ。
> > >
> > > 不可能なことを投影型として当たり前としたから
> > > 否定したのですが。やんわりと。
> >
> > それではノベルゲーム/AVGは「投影型」足り得ないのでしょう。
> > だって、「投影型」の主人公はプレイヤーを表す記号なんでしょう?
> > 記号が勝手に喜んだり悲しんだりはしませんよね。
>
>  何度も書いてるはずなのですが、投影型の主人公は、社会
> 通念に照らして喜んだり、悲しんだりするんです。特に最初は。

Kanonの主人公が舞台となる街に戻ったとき、
社会通念上から言えば懐かしい街に戻れた
訳ですから悦んでもいいはずですが、悩んで
(あるいは苦しんで)います。
プレイヤーは主人公が何を悩み苦しんでいる
かをゲームがかなり先へ進むまで知らされない。
主人公は、自身の悩み苦しみに基づいた行動を
とります。
ONEの場合、主人公は心に傷を負っていますが
これもゲーム開始時点ではプレイヤーには
知らされていない。
プレイヤーは主人公の悩み苦しみを知らない
まましばらくゲームを続けなければなりません。

これでもまだ、「主人公には夢も思考もない」
のでしょうか?

> > > > 「プレイヤーに理解を求める」ということはプレイ
> > > > ヤーと主人公が乖離していることが前提です。
> > > > これは、「他者型の特徴」だと考えます。
> > >
> > >  ストーリーはどんな場合もおしなべて、理解してもらうもの
> > > です。これは他者型うんぬんでなく、ストーリーの特徴です。
> > >  だから、主人公も理解していないんです。最初は。
> >
> > 「ストーリーを」ではなく「主人公を」です。
> > 勝手に主語を変えないようにお願いいたします。
>
>  だから、ストーリーがそもそもそういう性質ものであると指摘
> しています。他者型うんぬんでなく、ストーリーの特徴なんです。
>  制作者が、プレイヤーに理解を求めるのもそのせいです。

ごめんなさい。
言いたいことが理解できないのでコメント不可です。

この議題の最初において飯塚さんは「投影型では」
と言っていたので、それに反論するために「他者型」
の特徴を持ちだしたのですが、今更「他者型うんぬん
でなく」という切り捨て方をされると、どう議論して
良いのか判らなくなります。;_;

・サマリ:投影型の「主人公同一性」の例
(飯塚さん)
「自機」=「プレイヤー」
「それがプレイヤーである」とわかる「駒」、
記号であれば良い。
(てつたろ)
メンコや、ビー玉、独楽、凧、等もゲーム
の「駒」でいいか。
(飯塚さん)
ゲームはメンコやビー玉が起源ではない。
意味合いが違う。
(てつたろ)
ゲームに自己を投影するための「形あるもの」
という点で同じと考えた。
対戦ゲームのアニメ化で、カードとか独楽を
生き物のように描くのは「自分の分身」である
からだろう。
(飯塚さん)
メンコやビー玉は武器。
ビッグバイパーは「自機」武器はレーザー等。
メンコに対して擬人化はあるが「分身」ではない。

本件で長々と議論を続ける意味が分からなく
なってきたので、私からは前回投稿時の質問
(未回答)をさせていただき、最後といたします。
・ベイブレードのゲームがあるようですが、
 あの独楽は投影型の「駒」だと思いませんか?

>  どんな性格にするかは、プレイヤーの自由ですからね。
>  ただ通常、少なくとも最初は自分の性格を反映して選択肢を
> 選ぶもんですが。
>
> > それは、主人公がプレイヤーとは別個の存在で
> > あることの証ではないでしょうか?
>
>  少なくともファーストプレイでは、別個とは言えないでしょうね。
>  あまのじゃくな人はいますけど。

そうそう心理学テストのように自分の性格に
ぴったりとは行かないでしょうね。
主人公の基本的な性格に「どの子が好みか」
の色が付く程度。
積極性、柔軟性、明るさなどが目に見えて
変わる事ってありましたっけ?
=「自己の性格と別個とは言えない」ほど
性格が変わる事って。

> > > > #ズバリ言うと、顔がないのが「投影型」なら「MOON」にもヒ
> > > > #ロインの顔を出さないのが流儀だろうけれど、普通に出て
> > > > #きますよね。
> > >
> > >  なんだ、そういうことですか。
> > >  まぁ特殊な1例だけでは、一般化できないでしょう。
> >
> > そうではない(ヒロインの一人称の時にヒロイン
> > の顔がでない)例が多数あるなら。
> > 全部で1例であれば一般化はできないまでも
> > 考えを否定される謂われはありませんよね。
>
>  考えと言うか、MOONはそういうゲームだったということでしょう。

なぜ、そういうゲームになったと
お考えでしょうか?

> > 「そうではない(=ヒロインの一人称の時にヒロイン
> > の顔がでない)例」として挙げられてますか。
> > であれば、該当するシーンが思い出せないので、
> > 「あそこの場面」とご指摘下さい。
>
>  痕の千鶴ENDの時に、モノロ−グで顔が出なかったと思います

千鶴の視点でしたか?
千鶴がモノローグするシーンは記憶に
ありませんでした。

> が、そもそも主人公の顔を出さないことを、演出の一部として使
> っています。要するにゲームの特徴として利用している例です。
>  またToHeartも同じですね。

制作者の考えは類推するしかありませんが
「演出」として主人公の顔を出さないという
ことは「そのつもりなんだろうな」と理解は
できます。
私個人としてはもっと別の演出が良かった
のですが。

> > 「鬼哭街」は選択肢がないそうですね。
> > 彼らはゲームをなんだと捉えているのだろうか。
>
>  今はてつたろさんに、ゲームの特徴を理解してもらえれば
> それでいいです。

ゲームの特徴を理解するために、飯塚さんが
「鬼哭街」という「ゲーム」(制作者の自称、
および多くのプレイヤーの認識)をどう考える
かお聞かせいただけると幸いです。

> > 体験版をプレイして嗜好に合わないことが判りました。
> > そのゲームを飯塚さんは購入してまでプレイしたい
> > ですか?
>
>  デキの良さそうなソフトなら購入して遊びます。
>  自分の嗜好に合わないな、と思っても非常に評価している
> 人がいたら、その人がなぜそこまで評価したのか知りたくて
> 買います。

それは、私のように「やってみたいゲーム」
すら買う金と遊ぶ時間が足りない人間には
真似できない行為です。
いや、本気で飯塚さんのゲームに対する情熱
には感心いたしました。

> > > > 「ゲームとして無意味な展開」って何でしょう?
> > >
> > >  今回の場合で行くと、「今日はやる気が起きないので一
> > > 日寝て過ごした」です。
> >
> > ストーリーとしては、主人公の状態を描写する
> > 意味のある展開だし、テキストを読む行為が
> > ストレスではないでしょうから、上記は「無意味」
> > ではありません。
>
>  ストーリーとして、なぜそういう主人公の描写をしなければ
> ならなかったか? という理由が必要なんですよ。

理由となる例は挙げました。
また、私が書かなかったとしても
「理由無く」と解釈するのは拡大解釈です。

>  無駄な描写はそれだけでストレスになるんです。てつたろ
> さんには何故か理解できないようですが、普通の人はストレ
> スになる。

飯塚さんは私の文章のどこから「無駄な」
なんて接頭語を連想したんでしょうね?

> > > > ノベルゲームでもAVGでも終盤では選択肢がほとんど
> > > > でないで「読ませる」ことが中心になることはごく普通
> > > > に見受けられますが、飯塚さんの評価ではそれらはゲーム
> > > > として「駄目」な部類ですか?
> > >
> > >  終盤で
> > > 「今日はやる気が起きないので一日寝て過ごした」
> > >  なんてやるノベルゲームは駄目な部類でしょうなぁ。(^^;)
> >
> > またもや、質問を勝手に取り違えていますね。
>
>  これは冗談です。

冗談ではない回答を期待します。

> > > > > > これは決してノベルゲームとして特殊な例ではありません。
> > > > > > ノベルゲームの経験がおありならわかりますよね。
> > > > >
> > > > >  いやぁ、特殊な例だと思いますね。
> > > >
> > > > 特殊ではないノベルゲームの例は何でしょうか?
> > >
> > >  痕とかToHeartはノベルゲームの代名詞になってますよね。
> >
> > 「痕」も「ToHeart」も終盤で怒濤の展開の時、
> > 出てくる選択肢は少なくなり、ストーリーを読む
> > 比率が格段に増すと思いますが。
>
> 「主人公の丸一日の行動に選択肢がない」なんてことはない
> ですよ。終盤で怒涛の展開だから、ないんでしょ。

ゲーム中の実時刻を例にしたのは不適切
だったかも知れません。
なぜなら、終盤で何のイベントもないまま
(ストーリーもないまま)何日か過ぎていく
事もありますので。
(要するに日常的な起床-通学-昼休み-下校
ー自宅-就寝の、ストーリー上「無駄な」
プロセスをカットする例)
これを「丸一日の行動に選択肢がない」例
とするにはさすがに「屁理屈」っぽくなります。
ストーリーそのものの量に切り替えた方が
公正かと思いました。

終盤で「スキップなしのプレイ時間」30分
程度の間、選択肢がない、という事は
普通にあります。

> > > > > > 逆に上記に当てはまらない、個性のない「投影型」主人公
> > > > > > のノベルゲームの代表例があれば教えて頂けますか。
> > > > >
> > > > >  痕もTo-Heartもしっかり投影型の主人公ですよ。
> > > >
> > > > $ あの主人公は特に夢もなければ、思考もない。当たり前です
> > > > $ね。「プレイヤーを示す記号」でしかないですから。
> > > > と考えられている、と。(本当に?)
> > >
> > >  だってあの主人公の夢ってなんです?
> >
> > AIRの主人公の夢はありましたね。
>
>  痕とToHeartにないという点はよろしいですか?

「ある」とも「ない」とも本編には出て
きません。
だけど一個の人格としてみればあるはずと
想像します。

> > >  思考だって社会通念上に照らしての喜怒哀楽しかしてない
> > > でしょうが。
> >
> > 「社会通念上の喜怒哀楽」しかしない主人公にプレイヤーは
> > 感動する訳ですか?
>
>  ノベルゲームで感動する時には、普通主人公に感動してる
> んじゃないでしょう。

普通、主人公の幸不幸に情動されるんでしょう?
幸せそうな喜びの様子、何かを失った悲しみの様子
をみて感動するのを、「主人公に感動してる」とは
言いませんか?

> > 千歩譲って「社会通念上の喜怒哀楽」であったとしても、そ
> > れは主人公の思考であり、プレイヤーの思考とは別のもの
> > でしょう?
>
>  できるだけ多くのプレイヤーの思考と同じにするために、
> 社会通念に照らした喜怒哀楽にするんですよ。

実際のプレイヤーの思考は個々人毎に異なります。
平均的な思考って結局誰の思考からもずれが生じる
ものです。

(「投影型だから顔が不要」説が消えれば
ここの部分も意味が無くないます。
その時はずばっとカットするかも)
-- 
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読まずに捨てます。
私宛のメールは以下にお願いします。
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