飯塚(東京都)です。
 保留していた分です。
 ノベルゲームが、文字を全面に表示するシステムのものを
指すと定義が確定したので、反論します。

"tetsutaro" <tetsutaro_zzz@yahoo.co.jp> wrote in message
news:bvdteb$o02$1@news1.point.ne.jp...


> >  ゲームの本質を考えると、投影型が多数を占める状況は
> > 変わらないでしょう。
> >  で、てつたろうさんが切り替えることが出来るなら、ノベル
> > ゲームであろうとAVGであろうと、投影型のゲームなら投影
> > 型に。他者型なら他者型に切り替えて遊べば、いいのでは
> > ないでしょうか?
>
> ここで、飯塚さんの仰る「切替」とは何でしょうか。

 以下に記述があります。
>  ゲームの歴史とその性質上、投影型の方が多いでしょうね。
>  特にいろいろなジャンルのゲームをやる人間ほど、この傾
> 向は強いと思います。
>  ただ一番多いのは、必要に応じて切り替える人で、どっち
> かでなきゃ全くダメという人はかなり少ないでしょう。

 投影型と他者型を必要に応じて切り替えることですね。


> > > ノベルゲームだと、「よせ、やめろ、そんなことはするんじゃ
> > >ない」ということを勝手にやってくれたりします。それにプレイ
> > > ヤーは干渉できない、というよりそのもどかしさを含めて楽
> > > しんでいるはずです。
> >
> > 「よせ、やめろ、そんなことはするんじゃない」
> >  と思うようなゲーム自体、物凄く少ないと思うのですが。(^^;)
>
> (私が「よせ〜」をゲーム一般を対象に書いたと誤解
> されてはいませんよね)

 誤解じゃなく、書いてある通りに理解したんですが。(^^;)


> >  さらにそういう操作できないストレスを楽しむというのも、ゲ
> > ームのプレイヤー中、多数を占めると思えません。
> >  とても一般化できる事例ではないと思います。
>
> ノベルゲームのストーリーに求めるのは意外性だと
> 思いますが。

 多数の人が求めるのは、意外性より感動でしょう。
 ありがちな王道のストーリーでも、感動できるのなら
評価されるのが昨今の流れです。
 まぁそれは極端としても、広義の「感動」が求められ
ているのは間違いないでしょう。


> >  ノベルゲームでそういう事態が発生するとしたら、投影型を
> > 狙って作られたゲームでは、できるだけ主人公と同じく悩んだ
> > り、苦労したりという感情を理解して欲しいという目的でしょう。
>
> それって飯塚さんが「他者型」の特徴として挙げられた
> 「感情移入」でしょう。
> 「投影型」なら、プレイヤーの感情に主人公が合わせて
> くれなければ。

 それは投影型を狭く考えすぎです。
 ストーリーをプレイヤーに合わせると言ってるのと同じですよ。
それは。


> >  辛い状況にある主人公に、なんだそりゃと引かれたり、あはは
> > バカだコイツと笑われるのは、目的から離れるわけで、それを
> > より回避できる投影型を選ぶのは、1つの選択だと思います。
>
> 実際、それを回避出来るノベルゲームにはお目に掛かった
> 事がない。

 ノベルゲームで、できるだけ心象表現を増やすのも、主人公
が何を考え、今どんな感情で行動しているかプレイヤーに伝え
るためですね。
 1人称を使うのも同様の理由でしょうし、画面=主人公の視界
とするのも同じ理由です。
 主人公の気持ちを理解するための、それら回避の仕掛けを
もってして、「お目に掛かったことはない」ということは、てつたろ
さんは今までノベルゲームの主人公の気持ちを、理解したこと
はないということですね。
 そりゃ面白くないでしょうな。(^^;)


> > > > > メンコや、ビー玉、独楽、凧、等もゲームの「駒」ですね。
> > > >  テレビゲーム、ビデオゲームと言われるものは、メンコやビー玉
> > > > を元祖に持つわけではありませんから、同じ意味合いになるとは
> > > > 限りません。
> > >
> > > おや、それでは飯塚さんがおっしゃる「駒」とはなんだろう?
> >
> >  ですから、「自機=プレイヤー」とわかる「記号」ですよ。
>
> ゲームに自己を投影するための「形あるもの」なんですよね。
> それは、メンコでもビー玉でも同じと思いますが。

 違いますね。
 メンコやビー球は自己じゃなくて、武器でしょ。
 相手をそのルールで倒すための武器。
 メンコで遊んでいるときに、「俺は今メンコだ」と考える
奴がいたら怖いですよ、はっきり言って。(^^;)


> > > 主人公のキャラクターを希薄にしてプレイヤーとの一体化
> > > を図るのが「投影型」と思っていましたが、違いましたか?
> >
> >  まずわかりやすい特徴が、顔ですからね。
> >  好みじゃない顔なら、投影するのに邪魔になるわけですし。
>
> では、上記の定義は「概ね」間違っていない、と。
> 次に、
> 「ノベルゲームにおける主人公のキャラクターは希薄か」
> という問題ですが、今まで述べてきたように、ノベルゲーム
> に関しては登場人物のキャラクターこそ命だと考えています。
> 「怒れ」「泣け」「笑え」と命令しなくても感情を表現する
> 主人公に対するプレイヤー(私)の接し方は、それこそ小説の
> 主人公に対する読者(私)の接し方に近いです。

 主人公はゲームにおいてスーパーな存在ですから、どんな
容姿もありえるし、どんな性格もありえるんです。特に最初は。
 遊ぶ人間がどんな人間かわからないんですから。
 で、主人公は社会通念上に照らして、笑うし泣くし怒るんです。
特に最初は。
 ストーリーが進むにつれ、段々個性が強くなってくるのがゲ
ームの主人公で、それは小説の主人公と違います。


> > > 主人公に女性を据えたノベルゲームでヒロインの顔が
> > > ないものってありましたっけ。
> >
> >  それはターゲットにする層の問題が大きいと思いますね。
> >  女性向のゲームはしっかり男の顔を、これでもかと描くわけですから。
>
> その場合の男は「主人公」じゃないですよ。

 だから女性を主人公に据えたゲームの話でしょ?


> > > つまり、実際の処「男の顔なんていらん」と考えている
> > > ソフトハウスが多いだけではないかと思うのですが。
> >
> >  もちろんそう考えているソフトメーカーもあるでしょうが、基本的に
> > はゲームの歴史とその特徴からの判断でしょう。
>
> では、主人公(男)の顔が描かれない理由は「ターゲットに
> する層の問題」と「ゲームの歴史とその特徴からの判断」で
> どちらがより大きいとお考えでしょうか。
> ちなみに私はの意見は「前者」だと思います。

 私は後者です。


> > > > 「面白い」「つまらない」は個人の趣向の問題です。
> > >
> > > 「私個人という1ユーザの趣向として、ノベルゲームの主人公
> > > の扱いに不満あり」
> > > という主張で書いてきました。
> >
> >  だから「主人公の扱い」という「構造上の問題がある」というの
> > が主張でしょ?
> >  単に無個性の主人公が嫌いというなら、主人公に個性のある
> > ゲームだけやってなさいというだけの話です。
> >  構造上の問題というなら、それはゲームの歴史と特徴を理解す
> > れば、なぜそうなっているのか理解できる、と話しているわけです。
>
> 飯塚さんの話は「歴史の講義」だったのですか。

 歴史と「特徴」です。


> 飯塚さんだって嗜好に合わないゲームはやりませんよね。

 いや、やりますよ。
 やってみないと、本当に嗜好に合わないかどうかわかりま
せんし。


> 完全な「投影型」とは、主人公の行動に影響を与えうる
> 外部要因に対する全ての意識的行動をコントロール出来る
> ものと考えます。(理論上だけの存在ですが)

 ま、そうでしょうね。

> そこから、外因に対する主人公の行動が、主人公自身の
> 判断に委ねられる割合が多くなるほど「他者型」にシフト
> するのではないでしょうか。私の理解ですが。
> (完全な「他者型」は電子小説になってしまします)

 ストーリーの奴隷になればなるほど、他者型になるのは
しょうがないでしょうね。 


> 例えば、主人公の丸一日の行動に選択肢がない場合、
> それでも「投影型」足り得ますか。起きるのが辛い朝、
> 「寝て過ごす」「頑張って起きる」という選択肢が発生せ
> ず、「今日はやる気が起きないので一日寝て過ごした」
> と言われたら?

 投影型うんぬん以前に、ゲームとしてコンセプトに問題
がありますね。(^^;) ゲームとして無意味な展開はプレイ
ヤーのストレスになりますから、ストレスをかける何らかの
意味がない限り、ゲームとしてやっちゃダメでしょう。


> これは決してノベルゲームとして特殊な例ではありません。
> ノベルゲームの経験がおありならわかりますよね。

 いやぁ、特殊な例だと思いますね。


> 逆に上記に当てはまらない、個性のない「投影型」主人公
> のノベルゲームの代表例があれば教えて頂けますか。

 痕もTo-Heartもしっかり投影型の主人公ですよ。

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 東京都 飯塚顕充