阿部です。

In article <20030619205442cal@nn.iij4u.or.jp>,
 cal@nn.iij4u.or.jp (SASAKI Masato) wrote:

> >完全に公平に運用されていれば、そもそも不公平ではない
> >のだから、不公平感は生まれないのではないかと思うのですが、
> >そうでもないのですか?
> 
> そうでもないことを心理学で説明していると思いますよ。
> (「合理化という防衛機制」なんてまんまでしょう。)

生まれる可能性があるのかー。このあたりはもう少し勉強して
みたいです。

不公平感が生まれたとしても、完全に公平に運用されて
いるのだとすると不公平ではないことは説得できないの
かな、と思っていました。


> >> だって究極的には不公平に思ってもらってもかまわないんだもん。
> >> 不公平だと思おうが思うまいが法を行うべき時には行うだけのこと。
> >> (いわゆる確信犯の問題と底ではつながっています。)
> >
> >行うべき時に行われているのであれば、不公平ではない
> >と思うのですが、そういうこととは違うのかなあ。
> 
> は?

「行われるべき時に行われている」というのは、「行われる
べき時に、行われたり行われなかったりではなく、という
ことなのですよね? 「行われるべき時に、行われたり行われ
なかったり」というのが、不公平な状態だと思っていたのです。

私は、上にも書いたように公平に運用されているのであれば、
不公平感を抱いたとしてもまるで実態と違うことを考えている
わけで、なんとかなるのではないかと、思っていたのです。
でも、そうでもないのですね。

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阿部圭介(ABE Keisuke)
koabe@mcc.sst.ne.jp (NetNews用)