<kounoike@mbh.nifty.com> wrote in message news:<c7i1pf$1hq$1@caraway.media.kyoto-u.ac.jp>...
> "Yuzuru Hiraga" <hiraga@slis.tsukuba.ac.jp> wrote in message
> news:409C6E9A.70900@slis.tsukuba.ac.jp...
> >
> > 2人とも(といっても M_SHIRAISHI さんにはあまり期待しないが)
> > もう少し落ち着いて冷静になってほしい。
> > 『解析概論』 p.51 の記述、とりわけ式 (1) が何なのかを
> 
> 私レベルでは,確かにここの箇所は分かりにくいところがあります。
> 微分の定義を
> dy=y'dx 
> とした時,d(dx)=d^2x=(dx)'dxより
> d^2y=d(y'dx)dx=(y''dx+y'(dx)')dx=y''(dx)^2+y'd^2x
> となるのは,なんとなく分かるのですが,
> d^2x=d(Δx)=0 というのが,xに関係なくdx=Δxとなるからだと言われれば
> そうかなという気もしますが。さらに(dx)'もイメージし難いので,余計ピン
> とはきません。数式を追えばそうなんですが,分かった気にならないというか。



“アホな定義”によれば、dy:=f'(x)・△x なのだから、
d^y=(dy)'・△x =(f'(x)・△x)'・△x

ここで、(f'(x)・△x)'=f''(x)・△x + f'(x)・(△x)'

しかるに、△x=x_1−x なのだから、△x を x について微分すれば、(△x)'=−1

よって、d^y=f''(x)・(△x)^2 − f'(x)・(△x)


△x=dx だとしても、

d^y=f''(x)(dx)^2 − f'(x)dx

であって、目的とすべき d^y=f''(x)(dx)^2 は得られない。


# それどころか、dx に比べて (dx)^2 が“高階の無限小”であることを
考慮するならば、f''(x)(dx)^2 のほうが「無視」されてしまい、

d^y=−f'(x)dx

などという、「望んでもいない結果」が導かれてしまう(!)


# それもこれも、dy:=f'(x)・△x などという“アホな定義”を下したのが
原因である。



> そうなんです。前から気になっていたんですが,「アホな定義」というから
> には,恐らくM_SHIRAISHI さんは正しい定義を知っていて,わざと言わない
> のではと。その根拠は,M_SHIRAISHI 説というものではなくM_SHIRAISHI
> さんが何回か言及している
> 
> 「dy=f'(x)・△x と定義する限り、高階微分は定義できない。
> # そのことは、例えば、N.Bourbaki も認めていることだ 」
> 
> の部分です。一体,ブルバキの中でどのように述べられているのか大変
> 興味があります。そろそろ,紹介してくれてもよいのでは。
> (ただし,フランス語で紹介されても困りますが。)


# 原文で紹介しておいたほうが*迫力*があるでしょう。 ヽ(^。^)ノ

il faut bien reconnaitere que la notion leibnizienne de differentielle 
n'a vrat dire aucum sens: au debut du XIX siecle, elle tomba dans discredit
dont elle ne s'est relevee que peu a peu; et, si l'emploi des differentielles
premiere a fini par etre completement legitime, les differentielles d'ordre
superieur, d'un usage pourtant si commode, n'ont pas encore ete vraiment
rehabilitees jusqu'a ce jour.

【試訳】ライプニッツ流の微分の概念は、正直いって、何ら意味を持っていなかったこと
はよく確認しておくべきである。 19世紀の初めになると、微分の概念は信用を落とし、
その信用は徐々にしか回復していない。一階の微分の使用は完全な正当性を得たとは言え、
高階の微分のほうは、今日に到る迄、用いると便利ではあるが、本当の意味では未だ再建
されてはいないのである。


# Boubaki の見解と私の見解とは、一致している点もあるにはあるけど、全面的に一致
しているわけではないのは明らかでしょう。 Bourbakiは「(Cauchy流の一階の微分を)
完全に正当性を得た」と言っているのに対し、私は、Cauchy流の一階の微分の定義は
“アホな定義”だと言ってこき下ろしているのだから。