Re: “級数”とは、Cauchy に とって、何であったか?
From: "Yuzuru Hiraga" <hiraga@slis.tsukuba.ac.jp>
Subject: Re: “級数”とは、Cauchy に とって、何であったか?
通り過がりのつもりだったのですが、丁寧に回答いただけたので感謝して、
少しお邪魔します。
…
> ここはちょっと誤解があるようです。
> これはあくまで「書き方=記法」だけの話です。
> 前にも書きましたが、コーシーは、少なくとも 1820 年代の著作では、
> 級数そのものについて「級数 u_0, u_1, ...」という書き方をし、
> 無限和記法:「u_0 + u_1 + ...」は収束する場合だけに、
> 「和」を表す便法ないし略記法 (convention) として認めました。
> # こういうことは原典を見ないとわからないですね。
R: 了解。ひとつ物知りに成りました。
> 推察ですが、おそらくコーシーにとっては、収束するかどうかさえわからない
> 対象に対して「u_0 + u_1 + ...」といった書き方をすることは、
> 「1/0」といった書き方と同様に許しがたかったんじゃないでしょうか。
> そしてそう考えればカンマ記法への固執も理解できます。
>
> ですから、考察対象から排除するといった話では全然ありません。
> 「記法から排除する」だけです。
R:対象範囲には入っている( in-scopeである) ことを了解しました。
> ========
>
> これ以下の部分はおっしゃっていることが私にはよくわかりませんので、
> もう少し詳しく説明していただけますか?
R:説明が稚拙で申し訳ないことです。 長くなりますが、単純な疑問です。
(1). ご説明に
> >>ただし「数列」とは言っても、変数や不定元を持つような場合も含みます。
とあったので、 不定元を持つ例として、多項式を考えました。
A(x)=p1(x)+p2(x)+… ; 部分和 Ar(x)=p1(x)+p2(x)+…+pr(x)
部分和 Ar(x) は多項式であるけれど、A(x) は大抵の場合、多項式でない。
次に、ご説明に
> >>「昔の定義」もなにも、級数という言葉(というより概念)は昔から今まで
> >>ずっとこのままです。これはニュートンもオイラーも同じ。」
とあったので、上述のような場合、昔からどう扱かわれて来たのかを想像
しました。 Ar(x)=Cr,0+Cr,1*x+Cr,2*x^2+…+Cr,nr*x^nr
の様に部分和を不定元xのベキに整理して Cr,j を与えるときに、すべての j
について Cj=lim Cr,j が存在する場合に、 A(x)=C0+C1*x+C2*x^2+…
と定義したのであろうと、想像しましたが、説明に言う「昔から」の流儀は
如何なるものか確信が持てませんでした。
と言うのも、 A(x) は多項式でないから「収束せず」の立場もあるし、
x を不定元から複素変数へと読み替えれば、上記の C0, C1, …が
存在しても、関数としては存在するとも限らない。
そう考えてみると, 級数の定義は”収束”の定義(位相の定義と言うべきか)、
に大いに依存していることに思い当たる訳で、"和"の定義は沢山有る。
Cauchy はCauchy流の定義を確立した、と言うことなのだろうけれど、
有用であるためには"級数の値"の定義として、「尤もらしいもの」を選別
することが必要になると思われます。
そこで、例えば x=Q(y) ; yの多項式 とするとき、上述の「ベキの係数
ごとの収束」によって級数を定義する流儀で、和の存在性が保存されるか?
と自問しましたが、まあこれは無理な様であり、別の和の定義として、関数の
和として(xを不定元ではなく複素変数として)考える方が柔軟な気がした
訳です。 またその場合でも、もっと柔軟な定義が有るかも知れません。
…… 概ね、これが前回書いた下記の拙い文の真意です。
> > ・例えば、多項式級数の部分和としての「多項式の列」の極限って、任意の
> > ベキの係数が収束すれば、これによる 形式ベキ級数 として良い?
> > 多項式を多項式に写す変数変換に対して、上記の定義は不変と言える?
> > ・例えば、多項式級数も、もう少し柔軟に1-x+x^2−x^3+…=1/(1+x)
> > の様に扱いたい要求もあるでしょう。 級数に関する説明からは、部分和に
> > よる函数列の極限を考えることに成りそうですが、収束の定義として、
> > 「定義による」 では思考停止だから、どの様な位相が一般的で有用か、
> > 知りたくなるのは自然でしょう。
-----
(2) 次のご質問ですが、
> > ・例えば級数、 Σa(j) ;( j=0..∞) の定義をベキ級数経由で定義しても、
…
> > そうした立場でみて 1−1+1−1+…=0.5 でなぜ悪い?
> > Cauchy流は何処が良い?
> これは要するに、ベキ級数をその収束半径を超える場合についても
> 意味づけする、といったことでしょうか?
R:そうではなくて、真意を標語的に言えば、「1−1+1−1+…=0.5 で
なぜ悪い?」 です。
前述の様に収束の定義は多様であり、ベキ級数に拘りませんが、
ちょっと考えただけでも、例えば(あくまで例えば、です)ベキ級数を経由
した和の定義によって 「1−1+1−1+…=0.5」 は正当化できるし、
1-2+3-4+…=0.25 等も同様です。
ある種の定義を持ち込んで、 「ナントカ和」を作るのも面白いかも
知れませんが、関心は別のところに在って, 一体どの位の定義が
可能なのか、それらの全体から成る空間はどの様な構造を有するのか、
あるいは、構造と言ったものを有するのか?と言うことです。
級数ベースで考えれば、 an → Σ an は 列 (an) を数に写す線形形式な
訳ですから、可能な Σ の全体を考えるのは自然です。
部分和列ベースで考えるならば、 lim を部分和列を数に写す線形形式
と考えることに成るでしょうか。
この様な線形写像の中で、”和”として相応しいものはどれだけあるが、
が問題意識です。
ここで、「相応しい」の意味ですが、例えば、Cauchyの意味で収束する
級数については、Cauchyの意味での和と同じ値を与える、と言った
様な性質の意味です。 線形形式の定義域の拡張の問題と言っても
良いかも知れません。 定義域に関して極大である”和” が見つかる
でしょうか?
有限個の例外を除き 0 から成る項に対する級数の和が通常の有限和
に一致すべし、との条件で得られる”和”の定義では、定義域を有限級数
とする"和"の上限(定義域の包含順序について)は最も狭義の級数と
言えそうですが、具体的にはどんなものでしょうか?
(絶対収束級数に対する"和"となる?)
また、定義域の拡大は結構だが、級数の定義域拡大の一例がベキ級数
経由で定義出来たように、これらが結局は多自由度の空間でのCauchyの
意味での収束に帰着すると言ったような事情が有りはしないだろうか?と
想像したりもします。 その様な意味で
> > 可能な定義全体の中で、Cauchy流の定義がどの様な位置を占める
> > のかが 不明な点が、どうも欲求不満として残る気がします。
と書いた訳です。
> 一挙に位相論まで行ってしまうといろいろな位相・収束が論じられてますが。
(思いつきの疑問ながら、)上述の様な疑問にも解が与えられるのでしょうか?
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