Re: “級数”とは、Cauchy に とって、何であったか?
M_SHIRAISHI チャンは泣きべそかいてトンズラしちゃったみたいですが
(こういうとまたわめきだすかな?)、
級数の定義について、少しまとめておきます。
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級数の定義、といっても細かく言えば級数「そのもの」、
いわば形の定義と、意味、つまり級数の「和」の定義とからなりますが、
これは現在の本だと概ね次のようになります。
まず級数「そのもの」は、数列 { a_n }:
a_1, a_2, a_3, ...
に対して、その「形式和」を無限級数と呼び、普通には:
Σ_{n=1 to ∞} a_n = a_1 + a_2 + a_3 + ...
のように書きます(もっとも昔からそう書いてました)。
ただし「数列」とは言っても、変数や不定元を持つような場合も含みます。
「昔の定義」もなにも、級数という言葉(というより概念)は昔から今まで
ずっとこのままです。これはニュートンもオイラーも同じ。
# なおご本人は「初項の添字は 0」に執着しているようですが、
# 全くのナンセンス。便利なように選べばいいだけ。
で、これだけでは「形」を定義しただけですから、その意味内容を
与えなければならない。もちろん意図としては、有限個の項の和を
無限個の場合にも拡張したいわけですが、素朴に考えてしまうと
(より限定すれば、有限個の場合に成り立つ性質がすべて成り立つ
と思ってしまうと)様々な「パラドックス」が生じてきます。
それに決着をつけたのがコーシーによる「級数の和(収束)」の定義で、
内容は言うまでもなく、部分和からなる数列の極限をもって、
級数の収束(和)・発散を定義するものです。
これは有限個の和の場合には当たり前であった結合律・交換律、
特に結合律が級数の場合には成り立たないことを含意しており、
そこにコーシーの斬新さがあります。
なおコーシーは上記の「形式和」の書き方を拒否し、収束する場合にだけ
使いましたが、コーシーの目的が:
1 - 1 + 1 - 1 + 1 - 1 + ...
みたいな収束しないケースを排除することにあったことを考えれば
当然理解できる態度です。
さてそこで。
M_SHIRAISHI wrote:
> 先ず、明確にしておくべきことは、「Cauchy の言う“級数”とは、現行の大半の
> 数学書が採っている定義からすれば、≪無限数列≫であって、≪級数≫ではない」
> ということだ。
これは全くのナンセンス。
> そして、現行の大半の数学書が採っている、「≪級数≫の定義」は、と言えば:−
>
> 先ず最初に、
>
> 無限数列: U_0, U_1, U_2, U_3, ・・・・・・・・・・・ (1)
>
> を想定しておいた上で、次に、
>
> U_0, U_0+U_1, U_0+U_1+U_2, U_0+U_1+U_2+U_3, ・・・・ (2)
>
> という、(1)とは別の数列を考え、この数列(2)をもって≪(無限)級数≫
> と言う ---- というものだ。
問題はこれです。
M_SHIRAISHI チャンは Knopp とだけ言って、中身はおろかタイトルさえ
書かないイイカゲンぶりですが:
Konrad Knopp: Theorie und Anwendung der Unendlichen Reihen
(英訳 Theory and Application of Infinite Series)
原著は 1922 年、手元にあるのはドイツ語原著が第5版 (1964!)、
英語版は原著第2版の翻訳(1928) で、細かい点での違いはあります。
# 大学図書館をナメんなよ。
そしてこの本では確かに上のような書き方になっています。
これはちょっと驚いた。
そこで検討ですが、先にアホを片付けておきましょう。
先行する文:
> そして、現行の大半の数学書が採っている、「≪級数≫の定義」は、と言えば:−
これは全くのデタラメ。
10冊以上見た限りでも、概ね最初に述べた書き方で、Knopp 流に
「(部分和)数列をもって無限級数と定義する」といった書き方をしているものは
1冊もありません。
「現行の大半の数学書」なんてのはロクに調べもしないイイカゲンさですね。
# そもそも「現行の数学書」なんて何百冊、何千冊あるのかわからないから、
# おいそれと「大半」なんて言えるはずがない。
なお「概ね」と書きましたが、実は無限級数「そのもの」の定義は書いてない
ものも結構あります。『解析概論』なんかもそうで、無限級数はいきなり出てくる。
まあ、まさか M_SHIRAISHI チャンみたいにそれさえ理解できない者がいるとは
著者も思ってなかったからでしょう。
> # この「≪級数≫の定義」のマズイところはいくつか在るが、そのひとつは、
>
> 最初の数列(1)自体が
>
> U_0=V_0, U_1=V_0+V_1, U_2=V_0+V_1+V_2,・・・・・ (3)
>
> であるような数列である可能性を排除できないことにあり、従って、「級数を
> 定義するに級数をもってする」という悪循環からのがれえないという点にある。
これも全くの無理解から来るナンセンスか、
あるいはまたまたの悪質な隠蔽・捏造工作かのどちらか。(どっちがいい?)
そもそも自分で「想定しておいた上で」と書きながらなんたること。
もっとも「想定」なんてのもボケた書き方で、Knopp はもっとはっきり書いている。
(面倒なので英訳だけ:ドイツ語も中身は同じ)
A sequence is at first assigned in any manner (usually by direct
indication of its terms), but without being intended itself to form
the object of discussion.
つまり数列は最初に与えられているし、その中身は(以下では)問題にしない、
ということですね。
だから「悪循環」なんて生じようがないわけで、そんなこと言い出すのは
なあ〜〜んも読めていないことを自分で証明しているようなもの。
> これに対して、「(無限)級数とは、数を次々と無限に加えていくことを表した
> 式のことである」という、旧来の、≪単純で自然な定義≫を採れば、上記の如き
> 悪循環に陥るおそれは無い。
素朴に受け取れば、これは上に書いた級数「そのもの」の定義と変わりない。
「旧来」もなにも、昔も今も同じ。
もっとも書いた本人がその内容を理解できていませんが。
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アホの相手はここまでにして、もう少し Knopp を見ておきましょう。
最初に書いたように、現在では級数「そのもの」は形式和だけで済ませて
和の定義のところで部分和数列を導入するのに対し、
Knopp は部分和数列をもって級数と呼んでいることが違いです。
ところで Knopp も版による違いがあります。
どちらも説明文冒頭では「級数=数列」という言い方をしてますが、
definition のところを見ると:
2版(英訳)
Definition: An infinite series is a new symbol for a definite
sequence of numbers deducible from it, namely the sequence
of its partial sums.
で「級数=(部分和)数列」そのものですが:
5版(式は一部略)
Definition. Eine unendliche Reihe ist ein Zeichen der Form
Σ_{n=0 to ∞} a_n ...<略>...
mit dem die Folge (s_n) der Teilsummen s_n = a_0 + a_1 + ... + a_n
gemeint ist.
となって、現在の書き方に近くなっています。
「形 (Form)」があって、部分和数列を「意味する (gemeint ist)」、
ということですね。なんか心境の変化があったのでしょうか。
# もっとも5版そのものは Knopp の死後の発行ですが。
で、現在流と Knopp 流で何か実質的な違いがあるかと言えば、全くありません。
これは当然の話で、部分和数列を別途に与えるか、級数(そのもの)の定義の
中に組み込むかだけの違いだからです。
それに「級数=部分和数列」と言ってみたところで、ユークリッドの
「点とは部分を持たないものである」みたいな定義と同じで、
それ自身が実質的に何かの役割を果たすわけではない。
で、なんで Knopp がこういう書き方をしたかですが、これって
「(有理数の)切断を実数と見なす」、「(有理)コーシー列を実数と見なす」
(正確には同値類を考えるのだけど)、さらに卑近には、
「(有理数)2/1 を(整数)2 と同一視する」といった言い方と同種だと
思います。ここらは時代の反映ですかね。
(平賀)
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