阿部@佐倉です。

In article <42DCFA61.245B203D@excite.co.jp>,
 kenken <kirahoshi1@excite.co.jp> wrote:

> たいていの人は、
> 
>   友達は、多いに越した事はないけど、でもだからといって
>   多ければいいって訳でもない。
> 
> という事ぐらいは知っていますから、そんな風に思う人なんて
> いませんて。
> 
> # 別にこれは友達に限った話ではありませんけど。

うーん。よく分からないです。どちらかというと、
自覚的にばかっぽい反応をしているつもり(ばかだと
思われようが、肯定されたらうれしいよ)だったので。

> > 元の議論からに則して考えると、塚本さんがいう
> > ところの人権というのは所詮ある種の思想に過ぎ
> > ないけど、
> 
> ある種の思想に過ぎない、ですか...(意外と過激な事言いますな。)
> 
>   人権が大事なものである
> 
> という事は、人類が長い歴史を経てようやく獲得することができた
> かけがえのない財産だと思いますけど。

かけがえのないものゆえ、かえってここで議論するに
当たっては、その大事なものの核を明確に、「何か大事
なもの」というようなあいまいさがないように、ストイックに
考えて行きたいということだったのかな。大事なものの範囲を
広げてしまうことで、(本来的な)大事なものが見えにくく
なることを恐れる、ということかしら。

> # ま、獲得できたからといってそれを常に維持できるという訳ではない点
> # と、それらのことが、全世界の共通認識になってない点には、シビれま
> # すけど。

その意味で、「ある種の思想」なの。私(たち)がかけがえの
ないものと思っていても。

> > 憲法というのは法として制定されている
> > ものじゃないか。
> 
> という訳で、そのことが謳ってある憲法というのは、単純に優れた憲法だと
> 私なんかは思うのですが、

単純に優れているでしょう。
単純に優れているけど、所詮憲法で保障できることって、
国家対市民という構造の中でのこと(あるいは、それに
準じて考えられる範囲)では、という疑義は、わりと一般に
普及していることとして考えていいのかな。

> > ある種の思想と制定されている
> > 法のどちらを重く見るか、というところなのかな。
> 
> なんで、そこで天秤が出てくるのかわからない、といったところかな。
> もしくはどちらかを捨てなければいけない様な出来事でもどこかで起
> こっているのでしょうか、とか。

私は天秤にかけたくはないけど、実際に訴訟になったとき、
そうなってしまうのではないかなという、これまでの議論
からの推測です。
あるいは、法学を純粋に追究した人がそう考えやすいのかな
という推測です。
そうじゃないんだということであれば、どういうこと
なのか教えてほしいです。

> > ある種の思想は、他人に押し付けることはできない
> > けど、
> 
> 私、
> 
>   人権が大事なものである
> 
> という
> 思想は結構
> 人に押し付けますよ。

押し付けてもいいけど、受け入れる義務はないって
ことかなあ。

> > 憲法に取り入れるくらいだから、それって大事
> > だよねとか、憲法に取り入れられている部分だけでは
> > ある種の思想が必ずしも実現しないよねとか、そんな
> > 話につなげたかったけど、fj.soc.lawはそういう場では
> > なかったようです。
> 
> どんなもんなんですかね。
> もうちょっと我が侭に、単に自分の頭を整理する為に利用しても
> いいよな気もしますけど。

うらみぶしだけど、議論がホットなときに、それを言って
もらえればなあ、です。

> > > > もっといろんな人と、熱く語りあいたかったな。
> > >
> > > 汗くさー (;¬_¬)  ←湿っぽい目
> > 
> > え〜。ホットに、汗臭く行きましょうよ。(^^;
> 
> 「嫌ッ!私汗臭い人嫌いッ!」
> 
> とか言われちゃったりしてね。

僕は汗臭い人……(以下略。男性除く?)。

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阿部圭介(ABE Keisuke)
koabe@mars.sakura.ne.jp
関心 ・専門分野 :
 新聞学(ジャーナリズム、メディア、コミュニケーション)