古寺@たびたび(_o_)です。

#とりぱんの2巻を先に読み終えるはずだった(^^;

Masahiko KODERA wrote:

> さらに読み進んで行ったら、P62から1979年5月号の対談記事再掲で、
> 推進回送を立案された方の話が掲載されています。
> 上野ヤード内で留置線へ客車を引き抜いていた→尾久に回送される
> ようになって構内作業がごたついてきた→なんとかしろ、というよ
> うな経緯みたいですね。
> 尾久が出来た時点では機回しするというより、やはり入換え機の作
> 業になっていたようです。

この内容が想像を超える物で。
当時大駅は到着ホームと出発ホームが完全分離... この辺が頭に
入ってないとダメみたいですね。そう言えば以前、大阪の私鉄大
ターミナルに(電車対応ですが)到着・出発別ホームだったという
話題も有りました。
尾久が出来て、推進回送が実行される前というと、到着→尻に
入換え機(B6)を付けて引き上げ、出発ホームへ入線→尾久へ、
整備→到着ホームへ→引き上げ→出発ホームへ引き上げ...って、
ええー!?って感じで。入換え機を後ろにくっつけて、そのまま
尾久へ行くわけでもなく、回送も出発ホームから。この際、頭
端に突き当たった入換え機B6は、別のB6が回送を牽いて行った
後に逃げ出すと。
慣例的な手順なのか、技術的に到着ホームから出発不可だった
のか、ちょっと読み解くのが難しかったですけど、慣例的にこ
うなので連動も無かったという事情のようです(回送が直接出発
ホームに入る場内信号機も無い)。
あと、一応念のため補足で、推進回送実現時には尾久への複々
線がまだなく、平行ダイヤを組むために45km/h運転のための手
法を開発したとの事です。日暮里全停車だったので、テンダ機
関車の後退制限速度と同じ数字で平行ダイヤになったと。この
スレッドで出ていた話的には一つのポイントかと思いました。

> とホーム混在で慌ただしく、機回し線を備えた形態。上野は地平と
> 高架で短距離長距離の別も分かれてたでしょうから、入換えでやっ
> ていて、おっつかなくなって推進ってことでしょうか。

訂正で、尾久と同時に列車用高架ホームの最初のが出来たそう
ですが、これは常磐線を移して専用に、機回し対応としたそう
です。
ただ折り返し時間自体はやはり長い物だったようです。

> いずれにしろタイムリーな特集で、お買い得に思えました。

皆様のご感想も拝見したい特集でした。