古寺です。

Yoko-o, Takehiko さんwrote:

> In article <eebftu$3pr$1@caraway.media.kyoto-u.ac.jp>,
>  Masahiko KODERA <kodera_m@cool.odn.ne.jp> wrote:

>> と、全て本線だからでしょう。上野〜尾久って、構内で平面交差支障
>> するポイントに来るまで、ずっと回送線は別線じゃ有りませんでした
>> か?
> 
> ええと、上野駅から尾久の車庫への分岐点(上野(井掘))までは、方向別
> 複々線になっています。方向別とは言っても、高架ホームから(へ)の
> 線路と地平ホームから(へ)の線路、という区分ですが。ですから、ここは
> 本線となるのではないかと思います。

でしたっけ。推進回送を営業列車で抜くというシーンに、1980年
ちょっと頃までの旧客が多かった時代にはよく遭遇していて、「営
業と回送は同一線を走ってない」という印象が強かった物で。
そういえばピクトリアルの常磐線からみなどの特集では、地平・高
架の進路構成として書かれていたような気がします。
自分が知る時代だと、高架は完全に電車化されていて、推進が走る
のは地平用の線路だった事になります。ラッシュ時を除くと地平は
あまり使われず、各線電車はほとんど高架から着発していました。
電車の方は、秋葉原の方まで収容していましたし。
考え合わせると、地平側用の線路は相当容量に余裕が有って(平面交
差支障も、下の方がやっかいだったかも)、その分、推進回送も入る
余地が有ったんでしょうか。

> ただし、上野から井堀までは、ずーっと上野駅構内のはずですから、
> どちらかと言うと、構内のみで話が完結するから推進回送でよし、とかでは
> ないでしょうかね。あくまで推定ですが。

いずれにしろ、複線容量では出来なかったですよね。大宮までの旅客
線の飽和状態からして、牽引・推進問わず尾久までの回送を入れる事
自体が無理だったでしょうけど。