稲川です。
佐々木さんは解ってるとは思うけど、元記事の馬鹿には
伝わっていないだろうから補足。
# って別に伝わらなくても構わないんだけど;-p

> SASAKI Masato wrote:
> 
>>整合性の検討の結果、判例変えるべしとなれば、
>>異なった判決を書いてもいいのが日本のシステムですが
>>そうでないシステムの国だってあります。
> 
> 
> 「そうでないシステムの国」の話はしてないつもりですが?

もともと、
<404447B3.4C37BC7E@nr.titech.ac.jp>
においてまつむらさんが

> 裁判官が変われば、判決も変わるーー程度でしかないのです。判決がきちんと
> したものと思わされていることが間違い。判例変更、矛盾した複数判決なぞざら
> です。

にたいして
<c2225a$s9s$1@news-est.ocn.ad.jp>
で
> 「事柄の本質」や「価値の中
> 身」を一歩でも深く突き詰めようとか正確に考量しようとかの姿勢を、労力と能
> 力を要するために最初から放棄して、

というフォローをした人物がいたわけです。
ここで「裁判官が変われば、判決も変わる」とか、
『「事柄の本質」や「価値の中身」を一歩でも深く』とか、
これらが指しているのは形而上学的な、論理に名を借りた
単なる言葉遊びにしかすぎないとおもう。

同じ裁判官でも扱う事件が違えば異った判断はありうるし、
全ての裁判官が同じ判断になるのであれば、三審制など
時間と費用の無駄でしか無い。

裁判においては、先ず当該事案の解決をはかるのが第一、
事柄の本質や価値の中身(って何?)が解ったからといって
紛争自体の解決にならなければ無いに等しい。

だから私は
「判例という言葉をどのように使っておられるのか」
と前置きした次第。

-- 
稲川 史(ふひと)  http://www.za.ztv.ne.jp/fuhito/
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