Keizo Matsumura wrote:
>>けれども、素人的意見で恐縮ですが、「法の不知は恕せず」という格言が有りま
>>す通り、刑法といえども知らない人があり得るで有りましょう。ただそれは全く
>>弁解にはならないと言うことでしょう。これは、いくら明確な法でも多かれ少な
>>かれ起こりうる事のように思うのです。どうせそうならば、不明確なために一部
>>くらい正しく知ってなくても「恕せず」でよろしいのではないでしょうか。実際
>>も刑法の各則を全部正しく知っている人など専門家あるいはそれに近い人等ほん
>>の一握りだと思われます。(なお、あなたの最後の疑問にわたくしも同意します。)
> 
> 
> 実際も刑法の各則を全部正しく知っている人など専門家あるいはそれに近い人等
> ほん
> の一握りだと思われます。
> 
> この部分。 「刑法の各則を全部正しく知っている人」など、この世に「いな
> い」の
> です。裁判官が変われば、判決も変わるーー程度でしかないのです。判決がきち
> んと
> したものと思わされていることが間違い。判例変更、矛盾した複数判決なぞざら
> です。
> 
> まつむら


たしかに、仰る通りでしょうね。あなたのような見方・捉え方の方が現実的でリ
アルです。その意味でも正しく現状をふまえておられると思います。

しかし、法を語る人の中には「全部正しく知っている」かのような<言い方>を
したり、「判決がきちんとした」モノであるかのような<言い方>をしたり、あ
るいはまた、「判例変更、矛盾した」判決等無いような<言い方>をするシュー
レ(?)(笑い)があります。このシューレ?は「事柄の本質」や「価値の中
身」を一歩でも深く突き詰めようとか正確に考量しようとかの姿勢を、労力と能
力を要するために最初から放棄して、

   ・「どれだけ美しい言葉を当てることができるか」
   ・「聴衆をどれだけ酔わし騙すことができるか」
   ・「どんな言い方をすればまるめこめるか」

という<言い方>の研究に殆どを費やす立場です。従ってこのような立場に立て
ば、たとえば文学屋さんであって法律を知らなくても法律を語っている風な「自
己陶酔」(?)に罹りさえすれば、立派な法律の解釈・解説ができることになっ
てしまうわけですね。

現在では私たちでさえこんなことををやるのは馬鹿げたことなのに、昔の輸入模
倣真似事法学者がそうであったように、もし、現在の専門家にこれをやられたの
では国民にとってはたまったものではない。あなたの紹介された事実は、もしか
したらこういうことにも原因があるのではないかと思ったものですから意見を述
べさせていただきました。

--
one of the people in general