In article <binn24$d43$1@ns.src.ricoh.co.jp> ohta@src.ricoh.co.jp writes:
>> その差異を、例えばこの場合には
>> 「デフォルトが強く、そのデフォルトに沿った理解を原則とする」
>> 感覚と
>> 「デフォルトが弱く、その場の文脈に沿った理解を原則とする」
>> 感覚との差異だと、
>> 私は分析したのです。
>私のいう「デフォルト」も「その場の文脈」なんですよ。
>つまり「駅にいて電車に乗ろうとしている」という文脈、
>これは非常に自然でかつ強い文脈だと思いますが、

いえいえ、そんなものが「こんど」を規定する
「強い文脈」に成り得るという感覚は、
In article <bil2ub$ids$1@ns.src.ricoh.co.jp> ohta@src.ricoh.co.jp writes:
>関東では「自分が乗りたい、未来方向に見ていって最初
>に出る電車」が「デフォルトの意味」を担っているよう
>な気もします。
(中略)
>「こんどの電車」がデフォルトで対象とするのはあくま
>で自分の乗りたい電車なのであって、そうであるかどう
>か(いまのところ)不明な電車はデフォルトでは「こんど
>の」にバインドされていないのです。つまり「こんどの」
>が「自分の乗りたい」にバインドされている力は「現在」
>にバインドされている力よりはるかに強い。
というデフォルト意識に支配されていると思いますけどね。

つまり、「こんどの電車」という表現が、単に「現在に属する電車」ではなく、
「自分の乗りたい電車」の中の「現在に属するもの」を指す
という意識があるからこそ、
「駅にいて電車に乗ろうとしている」という状況が
「こんどの電車」が何かを特定する強力な文脈と感じられるのです。

私の「こんど」感では、「こんどの電車」という表現は、
どういう意味で興味がある電車の中の「現在に属するもの」を指すか、
前もって明らかではありませんから、
「駅にいて電車に乗ろうとしている」という状況が
格別に強い文脈特定力を有するなどということにはならないのです。

話者が「いま入ってきた電車は……」と言えば、
この一言が文脈を支配し、
「駅にいて電車に乗ろうとしている」状況の文脈特定力など、
一気に消し飛んでしまいます。

                                戸田 孝@滋賀県立琵琶湖博物館
                                 toda@lbm.go.jp