From(投稿者): | ohta@src.ricoh.co.jp (Junn Ohta) |
---|---|
Newsgroups(投稿グループ): | fj.sci.lang.japanese |
Subject(見出し): | Re: 「こんど」「つぎ」 |
Date(投稿日時): | 29 Aug 2003 14:13:24 GMT |
Organization(所属): | RICOH Co., Ltd., TOKYO, JAPAN |
References(祖先記事, 一番最後が直親): | (G) <20030805221747.9114.T-N@po.eis.ne.jp> |
(G) <bh5pr0$3up$1@ns.src.ricoh.co.jp> | |
(G) <bh7ltt$ltm$1@nsvn01.zaq.ne.jp> | |
(G) <bh7vnh$oii$2@ns.src.ricoh.co.jp> | |
(G) <bhhbil$1s5$1@bluegill.lbm.go.jp> | |
(G) <bhio70$7cr$1@ns.src.ricoh.co.jp> | |
(G) <bhpa01$22a$1@bluegill.lbm.go.jp> | |
(G) <bhpmdu$69$1@ns.src.ricoh.co.jp> | |
(G) <bhs4fj$1pu$1@bluegill.lbm.go.jp> | |
(G) <bhse7q$pc2$1@ns.src.ricoh.co.jp> | |
(G) <bhsnnl$95t$1@bluegill.lbm.go.jp> | |
(G) <bhtf2t$5dp$1@ns.src.ricoh.co.jp> | |
(G) <bi50v3$7j5$1@bluegill.lbm.go.jp> | |
(G) <biel13$hti$1@ns.src.ricoh.co.jp> | |
(G) <bijiht$i6i$1@bluegill.lbm.go.jp> | |
(G) <bil2ub$ids$1@ns.src.ricoh.co.jp> | |
(G) <bim8j7$ggk$1@bluegill.lbm.go.jp> | |
Message-ID(記事識別符号): | (G) <binn24$d43$1@ns.src.ricoh.co.jp> |
Followuped-by(子記事): | (G) <bipuf4$r1s$1@bluegill.lbm.go.jp> |
fj.sci.lang.japaneseの記事<bim8j7$ggk$1@bluegill.lbm.go.jp>で toda@lbm.go.jpさんは書きました。 > ですよね。 > 結局このあたりの判断基準が、 > 私と太田さんの感覚の差異の本質なんだと思います。 本質、といわれると私は賛同できる自信がないんですが、 うーん、どうなのかなあ。 > その差異を、例えばこの場合には > 「デフォルトが強く、そのデフォルトに沿った理解を原則とする」 > 感覚と > 「デフォルトが弱く、その場の文脈に沿った理解を原則とする」 > 感覚との差異だと、 > 私は分析したのです。 私のいう「デフォルト」も「その場の文脈」なんですよ。 つまり「駅にいて電車に乗ろうとしている」という文脈、 これは非常に自然でかつ強い文脈だと思いますが、この 文脈そのものが「自分の乗りたい電車」を「こんどの電 車」にバインドしているわけで。 だから、私からみれば「駅にいて電車に乗ろうとしてい る」にもかかわらず「こんどの電車」が「自分の乗りた い電車」にただちにバインドされないとしたら、それは 「こんどの」そのものに何か別の文脈を想像させるもの があるのではないかとしか思えないのです。 -- 太田純(Junn Ohta) (株)リコー/新横浜事業所 ohta@sdg.mdd.ricoh.co.jp