fj.sci.lang.japaneseの記事<bim8j7$ggk$1@bluegill.lbm.go.jp>で
        toda@lbm.go.jpさんは書きました。
> ですよね。
> 結局このあたりの判断基準が、
> 私と太田さんの感覚の差異の本質なんだと思います。

本質、といわれると私は賛同できる自信がないんですが、
うーん、どうなのかなあ。

> その差異を、例えばこの場合には
> 「デフォルトが強く、そのデフォルトに沿った理解を原則とする」
> 感覚と
> 「デフォルトが弱く、その場の文脈に沿った理解を原則とする」
> 感覚との差異だと、
> 私は分析したのです。

私のいう「デフォルト」も「その場の文脈」なんですよ。
つまり「駅にいて電車に乗ろうとしている」という文脈、
これは非常に自然でかつ強い文脈だと思いますが、この
文脈そのものが「自分の乗りたい電車」を「こんどの電
車」にバインドしているわけで。

だから、私からみれば「駅にいて電車に乗ろうとしてい
る」にもかかわらず「こんどの電車」が「自分の乗りた
い電車」にただちにバインドされないとしたら、それは
「こんどの」そのものに何か別の文脈を想像させるもの
があるのではないかとしか思えないのです。
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太田純(Junn Ohta) (株)リコー/新横浜事業所
ohta@sdg.mdd.ricoh.co.jp