fj.sci.lang.japaneseの記事<bijiht$i6i$1@bluegill.lbm.go.jp>で
        toda@lbm.go.jpさんは書きました。
> おっしゃることは解るのですが、
> どうも、このあたりの「程度問題」に「深刻な差異」があるように思えるのです。
> 「有るのか無いのか」という二分論としては「有る」で意見が一致するし、
> 「90%」は「100%」に近く、「10%」は「0%」に近いということも異論なし。
> でも間で大部分を占める「20%〜80%」の範囲が
> どちらかというところで意見が別れるという、
> そういう雰囲気とでも表現すれば良いのでしょうか。

うーん、どうかなあ。そのあたりはそれほど違いがない、
というか、そのあたりの違いは結果にそれほど影響しな
いのではないかと感じます。

> 「こんど」が曖昧な表現であるということは、「こんどの電車」という表現に
> 「デフォルトの意味」が定められていないということになるのです。
> ですから、聞き手は、話者の意識する「こんどの電車」とは
> 一体何なのだろうかということを、話者の文脈から読み取ろうとする。
> 読み取らなければ、話者の発語が全く理解不能になるからです。

関東では「自分が乗りたい、未来方向に見ていって最初
に出る電車」が「デフォルトの意味」を担っているよう
な気もします。文脈によってはそれ以外の意味になるこ
ともあるけど、それは文脈によって容易に類推できる場
合にかぎられると。

> 私の「こんど」という用語に対する態度を分析してみると、
> このようにして、文脈から話者の意識する「現在」感を共有し、
> その共有した感覚に基づいて「こんど」を理解しようとしていると思うのです。
> この態度を「共有意識」と呼んでいるのです。

これは理解しました。

> >だから、「いま入ってきたのはこんどの電車かな?」だと、
> という発語を考えてみると、
> 「いま入ってきた」という「強烈に“現在”に属する」電車を
> 話題にしているという文脈から、話者の意識している「現在」は、
> その「いま入ってきた電車」であることが期待され、
> 「こんどの電車」は、その「いま入ってきた電車」であると判断されるのです。

ここはかなり違う。

「こんどの電車」がデフォルトで対象とするのはあくま
で自分の乗りたい電車なのであって、そうであるかどう
か(いまのところ)不明な電車はデフォルトでは「こんど
の」にバインドされていないのです。つまり「こんどの」
が「自分の乗りたい」にバインドされている力は「現在」
にバインドされている力よりはるかに強い。

同じ理由で、

> この文脈では「話者の意識する現在」=「いま入ってきた電車」なので、
> 「こんどの電車」=「いま入ってきた電車」と判断されるのです。

「いま入ってきた電車」が最も強く「現在」に属するか
らといって、その電車がただちに「こんどの」にバイン
ドされるわけではないのです。したがって戸田さんが指
摘されたような判断は起こらない。
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太田純(Junn Ohta) (株)リコー/新横浜事業所
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