佐々木将人@函館 です。

>From:Sin'ya <ksinya@quartz.ocn.ne.jp>
>Date:2004/07/18 13:10:31 JST
>Message-ID:<cdct82$fv8$1@news-est.ocn.ad.jp>
>
>SASAKI> 「他人にストップがかけられて
>SASAKI>  自分の考え通りに物事を決めて処置することができない」
>SASAKI> のを「裁量」と言っていいんですか?
>SASAKI> ……残業の例にしても裁判官の判決にしても……。
>
>SASAKI> 私は到底「裁量」とは言えないと思います。
>SASAKI> 裁量と言えないものを裁量というのは間違いです。
>
>  上の2行の2行目は正しいですが、前提の1行目には同意しません。
>
>  「自分の考え通りに」というのは、法令に違反することも含めて自由だとは
>思えません。また、他人にストップがかけられるのはたしかですが、常識の範
>囲内で行動していれば、ストップはかかりません。

貸金訴訟において
原告が
「(特定の年月日)において被告に対し(金額)を貸し渡した。」
(貸し渡す=金銭消費貸借契約を締結し契約通りの金額を相手に交付する)
と主張し
被告がその主張を認め、その他の主張を一切しなかった場合
裁判官は原告勝訴の判決を言い渡さなければなりません。
たとえ裁判官が法廷における原告や被告の態度等から
契約の存在や現金の交付について疑いを持ったとか
弁済の可能性があったと感じたとしてもです。

これを裁量と言っていいんですか?
普通これは「拘束されている」と言うと思います。
しかもこれには裁判官に選択肢がありません。

このような例はいくらでもあげることができます。
別の投稿で既に示しましたが
まがりなりにも裁判官が自分の判断で選択できるのは
「証拠によってある事実の存在が推定できるか否かの判断」
(これは自由心証主義の要請からで、割と裁量と言っていいでしょう。)
「確立された判例がない場合の複数の法解釈のうちの1つの採用」
(これの典型例がゲームの著作権でした。)
くらいなものです。
その他の事項はその程度の差こそあれ
憲法・法律・過去の判決例等々で
選択肢がそもそもなかったりあっても限られたものです。

したがってこの2つに全くひっかからなければ
判決の内容は事前に予測することが可能ですし
実際のところ可能だからこそ
多くの事件は和解で終わっている訳なのです。
(以前にもデータを出しました。)

また予測がつかないと言っても
予測のつかない理由がこれまたきちんとある訳で
「これは今まで争われたことのない点だから解釈が問題になる」
とか
「これだけの証拠では納得させられるとは思わないけど
 さりとて相手の証拠でも微妙。
 (もしくは相手が証拠で何を出すかわからない。)」
などと分析ができる訳です。

そしてそれはプロに限ったことではありません。
刑事裁判では9割以上有罪判決が出ていることはみなさん御存知でしょうが
必ずしも法律の専門家ではないとある通信社の記者が
法廷の傍聴だけで無罪判決を予測し的中させたことがありました。
(私のfj.soc.law外伝の方で前から紹介しています。)

だからこそ
このタイトルのネタである「全裸を強要された」例でも
仮処分なり本案訴訟を想定した場合に
どのくらい通りそうなのかという話が書ける訳です。

それを
「裁判はやってみないとわからない」
とか
「裁判官裁量判決国家」
と評するのは
妥当なんですか?
専門用語ではないから許されるという領域なんですか?

単なる感情の吐露にすぎないから
言葉はどう使ってもいいんだというしか
正当化の理由はないように思います。

頼光さんの表現を借りるなら
「いい加減なことを書いたらいい加減だと指摘された」ということです。
専門家でないことは
いい加減な投稿をしていい理由にはなりません。

別の言い方をすれば
投稿する分野について専門家であることを要求はしませんが
投稿する……もっと言えば他人とコミュニケーションをとることについては
それをこなせることは要求されます。

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cal@nn.iij4u.or.jp  佐々木将人
(This address is for NetNews.)
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ルフィミア「本当に本が出そうなんですか?」
まさと「なんか出そうな感じだよ。」