かなり、考えかたが違うなあ、と思いました。

>>>>> In <20040710204224cal@nn.iij4u.or.jp> 
>>>>>    cal@nn.iij4u.or.jp (SASAKI Masato) wrote:
SASAKI> まず「法治国家」について

... 略 ...

SASAKI> 政治家の語の使用例や新聞における語の使用例をもって
SASAKI> 一般の使用例とすることについては
SASAKI> 個人的にすこぶる抵抗があるところですし
SASAKI> 個人的な感覚を除くとしても
SASAKI> 彼らの用法が正しいとは限らない
SASAKI> (……むしろ有名な例については間違っている方が多いかも)
SASAKI> ため、例としてはふさわしくないのではないでしょうか?

  「一般の使用例」にはこだわりません。
  政治家の使用する「法治国家」に報道で接っする人は、「法治国家」を、法
律学の専門用語だと意識しないことが多いでしょう。政治について知人や友人
と会話したり掲示板に投稿したりする人は少数派かもしれませんが、それなり
にいます。彼らの少なからぬ人が法律学を学んでいないでしょう。
  法律学を学んでいない人が「法治国家」の意味を知る方法には、以下などが
あるでしょう。
  (a)  小学校から高等学校までの地歴公民科の教科書や副読本、参考書、
     教師の説明をおぼえている。
  (b)  法学部ではないが、法学や政治学に関する講義を受けた。
  (c)  政治や法律に関する会話や文章での使われかから意味を推測した。
  (d)  人から意味を聞いたことがある。
  (e)  国語辞典で調べたことがある。
  (f)  法学に関する辞典で調べたことがある。

  よって、法律学を学んでいない人が「法治国家」という言葉に接っする機会
は稀ではないと思われるので、例としてふさわしくないとは思いません。

SASAKI> 一方これはどう考えても法律用語でしかないでしょうという
SASAKI> 「未成年者」の例。
SASAKI> これをたとえば
SASAKI> 「19歳で社会で働いている人は未成年者とは言えないだろう」
SASAKI> などと言ったのであれば
SASAKI> これは「間違い」と切り捨てていいはずです。
SASAKI> 未成年者という語自体どう考えても法律学サイドの用語としか思えない。
SASAKI> この場合法律学サイドの用法以外で用いること自体
SASAKI> 批判の対象となっても仕方ないのではないでしょうか?

  文脈によると思います。たとえば、条文を示しながら法解釈の議論をしてい
るのであれば、「間違い」と切り捨てていいと思います。

SASAKI> そしてこの場合その用法の原因が
SASAKI> ・新聞で使われている
SASAKI> ・政治家がそう使った
SASAKI> ・多くの人がそう使っている
SASAKI> で、話が変わるものなのでしょうか?

  変わると思います。ただし、現実問題として、外国の話をしているのでもな
いかぎり、「未成年者」という言葉に、誤解の可能性はあまりないでしょう。
(たばこや酒の販売に関して「未成年」という言葉が日常的に使われ、その言
葉は法律学を学んだ人に向けているとは思えません。)

SASAKI> いずれにせよある分野できちんと意味づけされている語を
SASAKI> 安易に流用した上別の意味を付すことについて
SASAKI> きちんと検討しなきゃいけないんじゃないんでしょうか?

  言葉は生き物なので、それは無駄な努力に終わることも多いでしょう。
  たとえば、「複眼的思考」とか、(最近よく耳にする)「DNA」とかは、比喩
的表現であることが大体あきらかです。昆虫や生物学の話題で使われている場
合には誤りとして誤解がないのは、小学校から高校までで、生物学を含む理科
のある分野がそれなりにきちんと教育されているからにすぎないと思います。
(その場合は、「複眼的思考」ではなく「複眼」として出てきます。)
  「複眼的思考」に苦言を述べるのは野暮というものでしょう。

SASAKI> で、「法治国家」というのは
SASAKI> 完全に後者(未成年者型)の領域だと思いますが?

  そうですか。であれば、国語辞典にのっている意味も、本質的には法律学の
用法とも一致しているのですよね。
  (ただし、説明の詳細さが辞書によって異なり、たとえば、「実質的法治主
義」の方に沿った意味しかのっていない場合があるなど。)

> >From:Sin'ya <ksinya@quartz.ocn.ne.jp>
> >Date:2004/07/10 11:32:27 JST
> >Message-ID:<ccnkfs$7bu$1@news-est.ocn.ad.jp>

> >「裁量」は、「裁量労働制」が報道にあらわれます。

SASAKI> 「裁量労働制」自体専門用語でしょ?
SASAKI> (労働内容を裁量で決められる制度……ではありませんね。)

  この例は適切ではありませんでした。国語辞典にある「裁量」の用例の方が
適切だと思います。

> >  いま調べたら、新明解国語辞典の第二版には「自由裁量」という例がありま
> >した。「自由裁量」という言葉は聞いたことがあります。

SASAKI> 「自由」裁量ってことは
SASAKI> 「自由」じゃない裁量がある訳で
SASAKI> 実際「法規裁量」もしくは「羈束裁量」というのが別途あります。
SASAKI> 裁量と言っても法令等で枠組みがきちん決まっていて
SASAKI> その枠から飛び出ることは許されない。

SASAKI> では

> >  「裁量」は、職場での会話でたまに使います。たとえば、残業をするかどう
> >かは上司の指示によるのが原則ですが、作業のスケジュールが上司に承認され
> >ているならば、スケジュールに遅れないように部下が(いちいち上司の事前承
> >認を得ずに)残業をする裁量は慣習として認められています。このように裁量
> >を使います。

SASAKI> この裁量は「自由裁量」ですか?「羈束裁量」ですか?
SASAKI> それとも別の何かですか?

  「羈束裁量」なんでしょうね。労働組合との協約で年間残業時間には上限が
あるし、残業が多すぎると上司がストップをかけることができますから。
#   現実問題としては、労働組合との協約にある上限を超えても、今後は超え
# ないように対策しますと、組合に報告すれば良いだけですが。
#   業界によっては、残業時間オーバーで営業停止になるそうです。過重労働
# が顧客の危険に直結する業界など。

SASAKI> 一度読んだだけだと気づかないかもしれないけど
SASAKI> 「裁判官裁量判決国家」
SASAKI> でいう裁量って
SASAKI> 本当に上の例と一致した使用法なんですか?

  上の例は、裁量の対象も幅もせまいので、一致していないと思います。
  ただし、「[ある立場にある人が]自分の考え通りに物事を決めて処置するこ
と」 (新明解国語辞典第二版)
という意味の中に含まれるという範囲では、一致していると思います。

SASAKI> 私は正直なところ「分析が足りてないないな」というのが本音なのですが
SASAKI> その分析の足りなさがその用法に如実に現れているのではないでしょうか?

  それは私にはわかりません。
  ただし、ある一面に注目して単純化しているとは思いました。

SASAKI> それを
SASAKI> 「別の使用法があるから誤りとまでは言えない」という一般論で語るのは
SASAKI> fjで議論しようという話の中では
SASAKI> 脇の甘い話だと私は考えています。

  そうですか。たとえば、「間違い。」ではなく、「そのような粗雑な主張は
無意味。」などというコメントだったら、特に異論はありませんでした。
「「一方的」な主張を「一方的」に切っても」「弊害はないように思います」
ので。
  「間違い。」と断じる場合は、「別の使用法があるから誤りとまでは言えな
い」という一般論の余地さえ与えないものであるべきだと私は考えているよう
です。
  「法律学では間違い。」でも、もちろん異論ありません。

SASAKI> そこで両方に通じる話として

> >  ということで、まつむらさんの記事の文脈では、専門用語だとは私は思いま
> >せんでした。

SASAKI> それは専門用語で(も)あることを知らないからではないでしょうか?

  知りませんでした。

SASAKI> しかし「専門用語かもしれない」という危機感をもって投稿することは
SASAKI> 必要じゃないんですか?
SASAKI> これは言葉に気を使うというレベルの話ではありますが……。
SASAKI> 自分のまわりのことだからそんな気を使う必要がないというのは
SASAKI> fjで議論しようという状況では全く賛成できない主張です。

  fjはもっと気楽なところで良いと私は思っていますので、賛成できませんが、
お考えはわかりました。
  ただし、fj.sci.lawについては法律学限定なので、法律学の専門用語は当然
知っている(調べている)という前提で異論ありません。佐々木さんが中心になっ
て作られたグループだったと思いますし。

SASAKI> しかし知らないことを正当化するのはいかがなものでしょうか?
SASAKI> 知らないことについて
SASAKI> 「世間ではそう使われているのだから……」
SASAKI> というのは正当化そのものだと思います。

  正当化だとは思いません。前述のように、「複眼的思考」を漫然と使っても
良いと私は考えていますので。
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兼松真哉