安井@東大です。

>>From:YASUI Hiroki <jyasui@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp>
>>Message-ID:<ymrmu17rqwrs.fsf@as302.ecc.u-tokyo.ac.jp>
>>“遺棄という一回限りの行為が1945年に行われた”と見なすのではなく、
>>“毒物の安全な管理を行い続けるべき日本政府が今日までその義務を怠り
>>続けている”と立論する線はないのでしょうか。
>> # “ドラム缶に詰めての埋設は安全な管理ではない”という主張を前提
>> # にした上での話になりますが…。

In article <20030905220032cal@nn.iij4u.or.jp>, SASAKI Masato wrote:
> その主張をする場合
> 「本当にそれは義務か?」ってことが厳しく問われるでしょう。
> 危険物を埋めることに違法はないが
> 埋めた後の管理に違法があったというのは
> 国内法的にも国際法的にもかなり無理のある立論だと思います。
> (国内の廃棄物処理で考えていただければよろしいかと。
>  どっかで「それはそもそも埋めた時点で問題あり」か
>  「管理についての無過失責任を問うている」か
>  どちらかの思想が入っているように思います。)

前記の立論は、「それはそもそも埋めた時点で問題あり」(「“ドラム缶
に詰めての埋設は安全な管理ではない”という主張」)という主張を前提
した上でのものです。
なお、この中国での化学兵器遺棄に関する最初の判決が2003年5月15日に
東京地裁で出たようでして、報道などから見る限り、そこでは、
 ・地中や河川に捨てた化学兵器に一般人が接触すれば、爆発や内容物の
  作用により生命・身体に被害をもたらすことが十分推測された。特に
  毒ガス兵器は当時、国際法で禁止されており、これを遺棄することは
  顕著な違法性を有する。
 ・日本政府は旧日本軍関係者からの事情聴取を尽くせば、現場付近に遺
  棄されていることを予見することは可能だった。
との旨が判示された模様です。「埋めた時点で問題あり」と「管理につい
ての過失」を認めたものと見て良いのではないでしょうか。
 # 参照:http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200305/15/20030515k0000e040027002c.html
 #    http://www1.jca.apc.org/aml/200305/34082.html
 #    http://soejima.to/boards/cb.cgi?room=experiments&page=3
 #    http://osaka.catholic.jp/sinapis/overseas/weekly_t/030525-5.html


> さらに日本の実効支配が及ばなくなった時点で
> なお管理を求めるというのもこれまた国際法的には問題です。

但し、遺棄の違法性や被害発生の予見可能性を認めた上記判例でも、「中
国政府に対して回収・保管業務を依頼しても、それを行うか否かは中国政
府の判断に委ねられるから、被告がそのようなことを行うことが各事件の
発生を回避するために有効な手段であったとみることはできない」との理
由から、日本政府に被害発生の回避義務は生じないとして、被告の損害賠
償請求を退けているようです。
ただ、この判決が扱っているのは1980年代の化学兵器漏出事故ですので、
今回のチチハルでの事故のように1999年覚書によって日本政府に「回収・
保管業務」の義務が発生した後のものに対しては、「中国政府の判断に委
ねられるから」という理由はその意味を失うのではないかと思うのですが、
どうなのでしょうか。
-- 
*  Freiheit  | 安井宏樹(YASUI Hiroki), jyasui@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp     *
*  Recht     | 東京大学大学院法学政治学研究科・比較法政国際センター      *
*  Einigkeit | (現代ドイツ政治,ヨーロッパ政治史)                        *