阿部@佐倉です。

In article <20050512235710cal@nn.iij4u.or.jp>,
 cal@nn.iij4u.or.jp (SASAKI Masato) wrote:

> >自分の気にくわない人間による表現だからといって、
> >規制してはいけないというルールは、表現の自由の
> >概念に含まれているのではないですか? 
> 
> 公権力がそれをやれば問題ですが

なんで公権力がそれをやれば問題なのですか?
もちろん、そういうルールだからということではなしに。
近代政治理論とか、近代社会思想とか、そういったこと
から全く離れて、それは説明し得るのですか?

> >表現の自由が意味するものの一つが、自分の気に
> >くわない人間による表現だからといって、規制しては
> >いけないというルールなのではないのですか?
> 
> 憲法のそれではルールではありません。

このようなことに対して答えを示しようがないからこそ、
「からの自由」によって、自由が実現されているとは
言えないのではないか、という疑問が生まれているのでは
ないのですか? 憲法でそんなことが決められないから
こそ、法律分野における「表現の自由」には限界があり、
それでは必ずしも公権力・私人という対立構造で捉えられる
とは限らない私的分野(部分社会)においてどのように
考えていったらよいのか、といったことが研究されている
のではないのですか?

それを無視して、部分社会における表現の在り方についての
意見を、法律学とは異なるからといって批判するのは、
法律学以外で表現の自由を扱っている学問を否定すること
にはならないのですか?

> 「憲法の人権規定を私人間に(公権力と同じように)適用するのは
>  問題がある」
> 憲法学で指摘されているこのことを
> 私がこれまで何度も何度も書きながら
> 阿部さんが否定されるというのであれば仕方ありません。

それを否定している訳ではないです。

ただ、ここで「憲法学」という言葉が出てきましたが、
法律学と憲法学って、同じものなのですか?
「憲法学」というのは、およそ宇宙におけるあらゆる
憲法において共通しているものなのですか?

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阿部圭介(ABE Keisuke)
koabe@mars.sakura.ne.jp
関心 ・専門分野 :
 新聞学(ジャーナリズム、メディア、コミュニケーション)