tetsutaro wrote:
> ある結論があってその理由を考える場合、
> 結論を導くための理由を探しますから。
> そのための「議論」ですし。

  はぁ。
  それでは議論というよりむしろ討論ですね。

  しかし、それで納得しました。てつたろさんの主張がしば
しば、結論ありきなように見えたこと。また、否定ではない
としながら、PC視点を否定していたこと。

  「個性的な主人公がいい」「個性的な主人公なら顔や声が
あったほうがいい」という、てつたろさんの願望を意見の主体
として掲げるなら、それを何者かに認めさせる手段は大雑把に
言って2つ。
  1つは、他者(投影型、PC視点、無個性な主人公等)を否定
して、相対的に自身(他者型、第三者視点、個性的な主人公等)
を肯定すること。
  もう1つは、自身の素晴らしさを積極的に肯定すること。
  そして、てつたろさんの主張は「否定ではない」と言いなが
ら、前者がメインだったわけです。

  また、どちらの形をとるにしても、それは純粋な「主張」で
しかありません。てつたろさんの願望を他人に納得し賛同して
もらう(あるいは反論を許さない)、その技術的手段としてのみ
議論が存在している。議論の結果、結論が決して変化しないの
だとしたら、それはやっぱり討論の類でしょう。

  これ以上続ける意味はありませんね。


  てつたろさんの御希望は伺いました。私も主人公が個性的
であるゲーム、主人公に顔や声のあるゲームが、多々ある
ゲームの中の幾ばくかを占めてもいいと思います。
  しかし、てつたろさんの御意見には賛同できません。

  これが私の「結論」です。

* * * * *

  以下は、「討論」を放棄したものの戯言程度に読んで下
さい。何らかの参考にして頂いても構いませんし、「単なる
言い逃げだ」と蔑んで頂いても構いません。
  無論、読まずに捨てて頂いても構いません。

>>想像した行動の結果は提示されません。
> 
> 想像ですからあくまで読者の頭ん中だけ
> に提示されます。
(中略)
> でもそれは、プレイヤー本人にとって大した
> 違いとは思えません。

  「自分で考えて自分が導いた結果」と「他人が考えて他人が
導いた結果」を、「自分」は同じように受容し、理解し、感動
することができますか?
  例えば、物凄く不条理なシナリオが、その後展開したとして、
それが自分の考えた結末であった場合と、他人が考えた結果で
あった場合で、自分が「不条理だなぁ」と感じる度合いは同じ
ですか?
  両者が違うとして、その差は大した違いじゃないですか?

  私も小説やゲームを元に色々空想したりしたことありますが、
不意に虚しく感じたりしたことがないですか?


> これは「リアルタイムの緊張感をゲームに
> 持ち込んだ」実験的な試みであったようで、
> 以降のゲームで同じようなシステムを採用
> したものは寡聞にして存じません。

  「オレンジポケット」や「2x4」、「御神楽少女探偵団」など
いくつかあります。

> # 「結果が描かれる」とか「後悔するかも」
> # とはこのことを言いたかったのでしょうか?
> # でもこの違いが大きいほど、むしろゲーム
> # と小説の類似性(他者型の特徴)は増します。

  シナリオ展開が全て他者の手によるものだとしても、小説
にはプレイヤーの意志が介在する余地が全くないのに対して、
ゲームにはそれがあります。その差は無視できるのですか?


> 逆に、主人公が自分の意思に基づいて話したり
> 考えたりする段階で、自分→主人公の投影は
> 難しくなると考えてます。

  その主張を是としたら、世の中のゲームは全て他者型で
すね。他者型以外有り得ない。

  で、前にも聞いたような気もしますが、その場合、プレ
イヤーってどういう存在なんでしょう? 主人公が岐路に
差し掛かって、プレイヤーが選択肢を選ぶとき、プレイヤー
と主人公の関係はどうなってるんでしょう。
  プレイヤーがいくつかの選択肢から一つの行動を選んだ
とき、主人公の意志や感情には、プレイヤーのそれが間違い
なく混入していますが、それすらも他者型と定義づけされ
るんでしょうか。


>>  確認したいのですが、「PC視点」と「無個性な主人公」
>>は、てつたろさんにとって同義ですか?
> 
> そんなことはないです。
> はて、なにがそう思わせてしまったのでしょう。

  実装面の話をしている中で出てきた「PC視点」に関する
意見に対して、いきなり「最近は主人公を無個性にすると
ユーザの評判が悪い」と個性/無個性の話が出てきた、その
部分からです。

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MARUYAMA Masayuki@DTI