てつたろです。

・論点の整理
私と飯塚さんとの轍を踏まないために、もし
この先議論を続けるなら、まずは論点を明確
にしましょう。
(枝葉ばかり茂って幹本体が隠れないように)

MARUYAMAさんは
「AVGにおけるPC視点画像」
というsubjectで切り出しを行いましたが、
このサブジェクトで主張されたいことは何で
しょうか。
(もし議論を続けるならまずこれを明確に
しましょう)

ちなみに私の場合、このsubjectで主張する
なら、一言で言うと
「PC視点である理由が『投影型だから』なら
現在の多くのAVG(ノベル的AVG/NVG)は他者型
だからPC視点に拘る必要がない」
となります。(一言にしちゃ長いか… ^_^;)

「プレイヤー=PC」(PCはプレイヤーの化身)
なゲームならPCは無個性の方がよいでしょう。
(投影型PCはどうあるべきかは後述しますので
冗長を避けるためここでは語りません)

でも他者型PCなら、個性を強調するために
顔や声があったほうがいいと考えます。
(どんなPCが他者型かも後述します)

・「投影型」と「他者型」
この分類は飯塚さんからの最初の記事で定義
された分類です。
最近初期の定義に修正が入るなど、分類の仕方
が曖昧になってきました。
しかしここでは従来の認識に基づき、この分類
を使用します。

・「投影型」
 PCはプレイヤーの道具(コマ)、 もしくは
 分身。
 個性や性格の定義は「ある」場合と「ない」
 場合があるが、プレイ中にPCが台詞や意思
 を発露することはプレイヤーの自己投影の
 邪魔になるので、ないことが基本。

・「他者型」
 小説の主人公のようにゲーム中PCは自身の
 意思をもって行動する。
 「FF」や「バイオハザード」もムービー
 パートは「他者型」となる。
 キャラクター性が高く、感情をむき出しに
 行動するPCの方が「感情移入」しやすい。

では、以下本編です。

"MARUYAMA Masayuki" <toy@ops.dti.ne.jp> wrote in message
news:c9vog4$2m9$1@newsl.dti.ne.jp...

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・「ゲームの選択肢を選ぶこと」と「小説を
 読んでIFの想像を行うこと」の比較
 (…ですよね)

> > 小説を読んでいるとき、「この場面で自分
> > だったらこう行動するだろうなぁ」と想像を
> > 巡らせるのに対し、
>
>   しかし実際には行えません。

ゲームも想像も同じIFの世界です。
「現実に行動できない」といえばできないし
「想像の世界では自由に行動できる」とも
いえます。

> 想像した行動の結果は提示されません。

想像ですからあくまで読者の頭ん中だけ
に提示されます。
(内部メモリ上の処理)
二次創作として媒体に残せば別でしょうが。
(外部メモリへの出力)

でもそれは、プレイヤー本人にとって大した
違いとは思えません。
せいぜい記録媒体が外部メモリか内部メモリ
かの違いです。
しかも処理(読書)を行うには外部メモリ(本)
の情報を内部メモリ(頭)に展開しますから、
結果的にはどちらも内部メモリ上の処理です。

> 結果まで想像する人もいるかもしれませんが、それは
> あくまでも自分の想像それ以上のものではありません。

「それ以上のもの」が何なのか、比較対象が
判りません。
例えば、「選択肢の先の話」であり、「それ
には『想像』以上の価値がある」という想定
で話されているなら、それこそ「結論が先に
ありき」です。

> 現実世界で過去を回想し「あのときこうしていれば良かった」と
> 考えるのに似ています。

小説は元々「想像」、「IF」の世界です。
「現実世界」の話は今回の比較対象としては
不適切でしょう。
(ゲーム、小説、想像と、同じフィクション
の世界における比較に比べると、現実は相対
的に差が大きすぎると感じます)

また、ゲームでバットエンド選択後に分岐点
に戻って別の選択肢を選ぶのも、「あのとき
こうしていれば」の具現化でしょう。

>   内容的にも、想像した結果は自分の都合の良いように整合が
> 取れていて、それ故に意味のないものになるでしょうね。余程
> そっち方面の才能がない限りは。

小説もゲームも製作者の都合のいいように整合
が取れた世界でしょう。
しかし「それ故に意味がない」なんてことは
ありません。

想像にどの程度価値を見出すかは想像をする
個人の問題です。
私の想像なんて人様に公開できるほどのもの
じゃありませんが、「自分にとって意味がない
もの」と卑下する積もりもありません。

>   対してゲームにおける選択は、選択した結果が描かれます。

前述した「記録媒体」の違いです。

> そして、後々その選択を後悔するときが来るかもしれません。

選択肢で敢えてバッドエンドを選ぶように、
「この場面で、もし主人公の到着が遅れたら」
等、悲劇的結末を想像する事もあります。
(私だけ?いやいや、悲劇的二次創作を公開
する人もいることだし)

> セーブ/ロードを繰り返せる分、現実ほどの緊張感は絶対にない
> でしょうが、これは現在進行形の現在で行動の選択を迫られて
> いるのに近い。

それぞれの選択肢を選んだ結果の展開を全て
見たくて、一度セーブした後で全部の選択肢
を試す人もいますが、あれこそ「IFの世界」
ならでは遊び方ですね。

「学園ソドム」というゲームがありました。
このゲームの選択肢はリアルタイムに判定
され、返事が遅れると殺されたり、ヒロイン
の好感度が下がったりします。ただし場合に
よっては「選択しない(timeout)」というの
が「最良の選択」の場合もありましたが。
これは「リアルタイムの緊張感をゲームに
持ち込んだ」実験的な試みであったようで、
以降のゲームで同じようなシステムを採用
したものは寡聞にして存じません。

>   この差は大きいです。そして、こうした違いに目をつぶり、
> 共通点にのみ着目するのは、あまりに乱暴に見えます。

そうですか。
以上に示したように、私は目を瞑れるほど
「小さい」と感じたのですが。
問題はその違いが共通部分にどう影響するか
です。
MARUYAMAさんの指摘される「違い」が共通部分
にどう影響するのか、私にはピンときません
でした。
(もう少し端的に言っていただけると判るかも
知れませんが、全体の部分部分を読んでいると
「そうかな?いや、」と思うことばかりで…)

一番の大きな違いは「選択肢」は「想像」ほど
IFの自由度がないこと、と思っています。
「選択肢」は、選んでしまった後は「他者型」
に戻りますが、「想像」の中の主人公はずっと
私の意思のままに動きます。
(完全なる「投影型」、一人ごっこ遊び)

この違いに関しては、最初に「非常に限定的
ですが」と断りを入れた通りです。

# 「結果が描かれる」とか「後悔するかも」
# とはこのことを言いたかったのでしょうか?
# でもこの違いが大きいほど、むしろゲーム
# と小説の類似性(他者型の特徴)は増します。

> 先に「てつたろさんの記事は結論ありき」と指摘しましたが、
> まさにこういった点がそうです。

ある結論があってその理由を考える場合、
結論を導くための理由を探しますから。
そのための「議論」ですし。
(質問の意味を取り違えてるのかなぁ?)
少なくとも「導くべき結論を前提とする」よう
な矛盾は避けてきたつもりですが、気づかずに
行っていたら具体的箇所をご指摘下さい。

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・AVGのシーンの実装方式

前述の通り「顔が欲しい」のは「他者型」AVG
です。

> > 「ノベル的AVG/NVGの(個性のある)主人公には
> > (個性のある)顔と声が欲しい」
> > ということです。
>
>   それは私の欲しい答えではありません。イベント用の一枚
> 絵ではない通常パートにおいて、(声はともかく)主人公の顔
> をどう書き込むのか、実装面の問題です。
(中略)
>   こうした部分を、どう表現したいのかをお聞きしたいの
> です。

# うーん、実装面への拘りはないのですが。

具体的に、主人公が話す場面で彼らが画面に
登場するゲームの例としては、

・「GLO・RI・A 禁断の血族」
・「化粧桜」
比較的最近やったものでは
・「Better Sweet Fools」
・「鬼哭街」
などがあります。

「Ever7」の「PCの顔」の使い方は面白いと
思います。
(どう面白いか書くとネタ晴らしなので
書けませんが)

「もともとPC視点で感じた違和感は、『背景』
と『登場人物』を『舞台』と『役者』に置き
換えればかなり納得できる」というのは以前
に書きましたが、「それなら、主人公も他の
役者同様、舞台に現れたほうが自然」と思う
次第です。

また、これは初期の投稿にも書きましたが、
「PC視点のゲームでもPCが登場するシーンは
何カットか存在する」ものです。
その際に無理やりPCの顔を隠す工夫をする
ことがありますが、これは却って違和感を
感じます。
PCが登場するシーンならPCの顔も出せばいい
と思っています。
しかし、ゲームのクライマックスになって
PCの顔がいきなり登場すると、それはそれで
違和感を感じる場合もあるでしょう。
それなら、オープニングでもいいので、PCの
顔を印象付けてくれたら、と考えます。
(これは私の嗜好が入りまくってますので、
全ての人に共感頂ける考えではないとは
理解しています。まあ、顔が欲しいという
こと自体、多分に嗜好の問題ですけど…)

> > プレイ中声あり(女性)と声なし(主人公および
> > 男性)が頻繁に切り替わると違和感を感じて
> > しまう。
>
>   現実世界で、自分の発した声を自覚して聞く人は少ないで
> しょうね。第三者の声を自キャラの声として、自分以外の位置
> から発せられると「そのキャラ≠自分」と感じて、「同一化
> 」を妨げる効果もあるかも。
> #  まぁこの辺は作り方依存ですが。

「投影型」のゲームの場合ですね。
でも「投影型」ならPCの喜怒哀楽や台詞の発露
も控えるべきです。
(本当の「投影型」なら、PCの台詞は二人称の
NPCが「え、『〜』だって?」と聞き返す等で
表します。あるいは「プレイヤーが意図的に
選択できる台詞」以外は話さない)

逆に、主人公が自分の意思に基づいて話したり
考えたりする段階で、自分→主人公の投影は
難しくなると考えてます。
むしろ、主人公(の意思や感情)→自分(の意思
や感情)になる。
これも一種の同一化ですが「他者型」同一化
とでも言いましょうか。

私の主張ではノベル的AVG/NVGは「他者型」
なので、小説やアニメを視聴する時と同じ
ように、プレイヤーは主人公に「感情移入」
すると考えています。
だから顔や声を含めてキャラ性は高い方が
「感情移入」しやすいのです。

>   確認したいのですが、「PC視点」と「無個性な主人公」
> は、てつたろさんにとって同義ですか?

そんなことはないです。
はて、なにがそう思わせてしまったのでしょう。

「PC視点は主人公の個性を隠す効果がある」
とは認識しています。
(実際「顔」という重要な個性が隠れる訳です
から)
テーブルゲーム(カードゲームや麻雀やボード
ゲームなど)やSLGでプレイヤーは登場しない
のが通常です。

しかし、「AVGのPC視点は主人公の個性を隠す
ことが歴史的目的」(飯塚さんの主張)と言われ
ると首を傾げざるを得ません。
(AVGのPC視点は歴史的にはTRPG所以の「情報
の隠蔽」目的が大きいと思っていますから)

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