! "<403a88b8$0$19844$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Tue, 24 Feb 2004 08:12:03 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<c1ciai$4og$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>> wackyの<3faed921$0$19831$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>から
>>>> 1.空き缶をポイ捨てする
>>>> 2.吸殻をポイ捨てする
>>>> 3.吸殻のポイ捨てを批判する
>>>> 4.自己棚上げで吸殻のポイ捨てを批判する
>>>> と「行為」と呼べるものが幾つもあって「目的」と呼べるものも同じだけあ
>>>> る。ってのが詭弁の温床になっているような気がします。
>>>> 気を付けて区別しましょう。

>> ・評価すべき行為は3
>> ・1と2は状況
>> という意味です。

> だから、そ〜ゆ〜解釈を*自分に都合よく切り替えちゃダメダメ*でしょ。

全然切り替えてませんが。

> それじゃあ、KGK氏が従来主張していた「批判という行為そのものの評価」に
> なんかなってないじゃん。

なんでなってないの?
「評価すべき行為は3」なんだから、批判という行為を評価してんじゃん。

> 因みに、上記をご覧になれば明白なように、1〜4は要するに「行為そのもの
> と呼べるもの」としての分類ですので、そこに勝手な状況や前提をくっつけた
> のでは意味を成さなくなります。

変なこというなあ。
4はともかく、1〜3が全て行なわれてるという状況を想定してるんじゃないの?
「勝手な」状況なんか全然くっつけてませんがな。

> #3=1と2の状況下での3だってんなら、3と4はどう違うのさ。

私は、「自己棚上げ」などという余分な構造を取り入れてません。

>> 上述のように、「1と2の状況下での3を評価する」のと「3を評価するときに1
>> と2は状況として捉える」というのとは、同じことを別の言い回しで表現した
>> だけのことです。
>> で、wacky氏は「4はそうではない」って言ってんだよね?

> いいえ。wackyは、
>>>>> #「3」と「1と2の状況下での3→4」なのでは?
> と明確に述べています。

それは、全然別の文脈の話ですね。
で、
・1と2の状況下での3を評価する
・3を評価するときに1と2は状況として捉える
というのが、同じことを別の言い回しで表現しただけだってことは理解でしま
した?

>> 「1と2の状況下での3」を評価するってことは、評価の対象の行為は3で、1と2
>> はその評価に関係する状況ってことです。
>> 私が評価してるのは、最初からそういうものです。

> そりゃあ違うのでは?

なんで?

> 「1と2の状況」ってのは即ち(2にムカついた時点で)自己棚上げでしょ。
> KGK氏のついこの間までの主張は「悪いのは自己棚上げで批判自体は正しい」
> であったはずですよ。この主張は明らかに「1と2の状況」を考慮せずに
> 「3.吸殻のポイ捨てを批判する」それ自体のみを評価していますよね。

いまだに「行為の評価」と「状況の評価」を混同してるんですか?
それとも「1と2が行なわれた」という状況が「3という行為」の評価に与える
影響がどのようなものなのか理解してない?

>>>> この表現だと、1と3を組合せたものを評価してるのか、1と2の状況下での3を
>>>> 評価してるのかはっきりしないわけだ。
>> 
>>> 何故ここで2が抜け落ちるかなあ…。^_^;
>> 
>> 2は別の人の行為なのでさすがに組合せて評価しないだろうと思ったんですが、
>> 甘かったかな?

> ほらほら、同じモノが都合によって「状況だから考慮するんだ」だったり「関
> 係ないものを混ぜるな」だったり…。

状況として捉えるのは誰の行為の結果でも大丈夫でしょ?
でも、「1と2と3を組合せたもの」を一つの行為として評価できます?
一つの行為として評価してるんじゃなかったら、どのようなカテゴリーのシロ
モノを評価してるんですか?

>> 「1と2と3を組合せたもの」を評価するというのは、評価の対象が「1と2と3を
>> 組合せたもの」であることをあらわしてますが、「1と2の状況下での3」を評
>> 価するというのは、評価の対象は3であって、1と2は評価に関連した状況であ
>> ることを表わしてます。
>> まさに対象が違うって話。

> で、具体的に何が違うねんな。

「味噌汁」と「味噌汁の中の豆腐」ぐらい違います。
味噌汁の中に石ころが入っていたら、その味噌汁は駄目な味噌汁です。
では、その味噌汁の中に入ってる豆腐はどうでしょう?
もちろん、その石ころが豆腐にどのような影響を与えたかで違います。
例えば、石ころが何か有毒だったり味に影響したりするような水溶性の成分を
持っていて、それが豆腐に染み込んでいたら、その豆腐は駄目でしょう。
しかし、特に水溶性の成分があるわけじゃなく、特に壊れやすいわけじゃない
石ころなら、豆腐に影響を与えないでしょう。その場合は、豆腐は本来の評価
と同じ評価が与えられるでしょう?

私が「味噌汁の中の豆腐」を評価しようとしてるのを、wacky氏は、「味噌汁」
を評価してると勘違いするか、「味噌汁に入れてない豆腐」を評価してると勘
違いしてるようですが、私はまさに、「味噌汁の中の豆腐」を評価してるんで
す。

>>> 私は一貫して「4.自己棚上げで吸殻のポイ捨てを批判する」の評価を議論し
>>> ております。
>>> それは
>>> ・1と2と3を組合せたもの
>>> ・1と2の状況下での3
>>> と表現されることと同様です。
>> 
>> こういうところで、冒頭の
>> 
>>>> だから、wacky氏のいうところの 4 の意味が、1〜3 を漠然と表わしてたり、1
>>>> と2の状況下での3を表わしてたりするように見えるわけ。
>> 
>> という疑問が出てくるわけ。

> その「漠然と表す」が「1と2と3のセット」を指すのであれば、*それこそ
> 4*じゃん。ですね。

それは「味噌汁」ですか? 「味噌汁の中の豆腐」ですか?

> 大体、1,2,4については他の前提や条件は付加されていないのに、何で何
> 故どうして「3だけは言外の前提に支配されている」なんてことを思い込める
> と言うのでしょうか?

何で1、2がその状況下にないように取り扱ってると思うんでしょう?
もちろん、その状況の下での話をしてるわけですが。
具体的に言えば(時系列的に考えて)、1は特に指定されてない状況下、2は「1
が行なわれた」という状況下、3は「1と2が行なわれた」という状況下で起っ
てることですね。
まさにそういう状況だとして評価しています。
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK