KGK == Keiji KOSAKAさんの<c1ciai$4og$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> wackyの<3faed921$0$19831$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>から
>>> 1.空き缶をポイ捨てする
>>> 2.吸殻をポイ捨てする
>>> 3.吸殻のポイ捨てを批判する
>>> 4.自己棚上げで吸殻のポイ捨てを批判する
>>> と「行為」と呼べるものが幾つもあって「目的」と呼べるものも同じだけあ
>>> る。ってのが詭弁の温床になっているような気がします。
>>> 気を付けて区別しましょう。

>・評価すべき行為は3
>・1と2は状況
>という意味です。

だから、そ〜ゆ〜解釈を*自分に都合よく切り替えちゃダメダメ*でしょ。
それじゃあ、KGK氏が従来主張していた「批判という行為そのものの評価」に
なんかなってないじゃん。

因みに、上記をご覧になれば明白なように、1〜4は要するに「行為そのもの
と呼べるもの」としての分類ですので、そこに勝手な状況や前提をくっつけた
のでは意味を成さなくなります。
#3=1と2の状況下での3だってんなら、3と4はどう違うのさ。同じだっ
#てんならKGK氏とwackyは同じことを言ってることになりますけど?


>> 明確に「単なる3ではなく*1と2の状況下での3つまり4*である」と述べて
>> いるつもりですが、何か勘違いする要素が存在するのでしょうか?
>
>上述のように、「1と2の状況下での3を評価する」のと「3を評価するときに1
>と2は状況として捉える」というのとは、同じことを別の言い回しで表現した
>だけのことです。
>で、wacky氏は「4はそうではない」って言ってんだよね?

いいえ。wackyは、
>>>> #「3」と「1と2の状況下での3→4」なのでは?
と明確に述べています。

>> 1〜4の分類を理解した上でなお 3=「1と2の状況下での3」 だと本気で主
>> 張しているのであれば「評価の対象をはっきりさせないから、議論が混乱す
>> る」原因を作っているのはKGK氏、あなた自身ではないでしょうか?
>
>「1と2の状況下での3」を評価するってことは、評価の対象の行為は3で、1と2
>はその評価に関係する状況ってことです。
>私が評価してるのは、最初からそういうものです。

そりゃあ違うのでは?
「1と2の状況」ってのは即ち(2にムカついた時点で)自己棚上げでしょ。
KGK氏のついこの間までの主張は「悪いのは自己棚上げで批判自体は正しい」
であったはずですよ。この主張は明らかに「1と2の状況」を考慮せずに
「3.吸殻のポイ捨てを批判する」それ自体のみを評価していますよね。
#考えが変わったのなら歓迎すべきことですが、さすがに「最初からそう言っ
#ていたんだ」は無いでしょ。^^;


>>>> 議論は「自らポイ捨てしながら他人のポイ捨てを批判することは正当か否か」
>>>> なんだから。
>>> 
>>> この表現だと、1と3を組合せたものを評価してるのか、1と2の状況下での3を
>>> 評価してるのかはっきりしないわけだ。
>
>> 何故ここで2が抜け落ちるかなあ…。^_^;
>
>2は別の人の行為なのでさすがに組合せて評価しないだろうと思ったんですが、
>甘かったかな?

ほらほら、同じモノが都合によって「状況だから考慮するんだ」だったり「関
係ないものを混ぜるな」だったり…。

>> で、「1と2と3を組合せたもの」と「1と2の状況下での3」ってのには表現
>> の違い以上のものは無いように思うが、如何ですか?
>
>全然違います。
>「1と2と3を組合せたもの」を評価するというのは、評価の対象が「1と2と3を
>組合せたもの」であることをあらわしてますが、「1と2の状況下での3」を評
>価するというのは、評価の対象は3であって、1と2は評価に関連した状況であ
>ることを表わしてます。
>まさに対象が違うって話。

で、具体的に何が違うねんな。
違うのは表現とKGK氏の頭の中の*抽象的*な対象だけじゃん。
#「塩とドレッシングとレタスを組み合わせたもの」と「塩で揉みドレッシン
#グをかけた状況下でのレタス」に表現以上の何の違いがある?
#どっちもサラダやん。

>> 私は一貫して「4.自己棚上げで吸殻のポイ捨てを批判する」の評価を議論し
>> ております。
>> それは
>> ・1と2と3を組合せたもの
>> ・1と2の状況下での3
>> と表現されることと同様です。
>
>こういうところで、冒頭の
>
>>> だから、wacky氏のいうところの 4 の意味が、1〜3 を漠然と表わしてたり、1
>>> と2の状況下での3を表わしてたりするように見えるわけ。
>
>という疑問が出てくるわけ。

その「漠然と表す」が「1と2と3のセット」を指すのであれば、*それこそ
4*じゃん。ですね。
#ネガティブな表現をしたって中身は変わらない。っていうか、明確にそれら
#を表したものが4であるわけですが?

大体、1,2,4については他の前提や条件は付加されていないのに、何で何
故どうして「3だけは言外の前提に支配されている」なんてことを思い込める
と言うのでしょうか?

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wacky@後から前提を変えていいんなら何でもアリになっちゃう