一体どこがスタイルだと思って戻したのか知らないけど、全然スタイルじゃな
いよね?

! "<400a12a7$0$19835$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sun, 18 Jan 2004 13:59:25 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bu0im1$dbe$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> 普通、目的を汲み取るのは、行為それ自体からです。

> 普通、その「行為から汲み取られた目的」を動機と称するのだと思いますよ。

いいえ。
動機ってのは、「目的を持つに到った理由」とか、「実際に行動を起すきっか
け」とかのことでしょう。

>> 火災現場で火に水をかけてれば、それは「消火」を目的にしてると判断される
>> のは、「火に水をかければ火が消えることが促進される」ということを大抵の
>> 人は知っているだろうと予測されるからです。

> それは単なる因果関係に過ぎずこの場で目的というには余りに卑小過ぎますな。

という情緒的なことを言ったところで、何の意味もありません。

> 第一、「消火の目的は火を消すこと」ではトートロジーでしかない。議論とし
> て無意味。

ええっと、日本語を多少間違ってたようです。

「消火」の目的は「鎮火」です。
「火災現場で火に水をかける」という行為は「火に水をかければ鎮火が促進さ
れる」ということを大抵の人は知っているだろうと予測されるから、その行為
の目的は「鎮火」であり、その行為が「消火」と呼ばれる行為のカテゴリに入
ることが分かるわけです。

# ま、いわんとするところは、あまり変わらんのですが。

>> 火災の火を消火すれば「財産価値の減少を食い止める」ことを目的にしてると
>> 判断されるのは、「火災の火を消火すれば財産価値の減少を食い止められる」
>> ということを大抵の人は知っているだろうと予測されるからです。

これは、別の記事で「目的から想定される効果」と書いたシロモノですね。

> で、「大抵の人は放火なんかしない」と予測されるわけで、そのような予測や
> 勝手な目的の推定は「大抵の人に含まれない人」に対しては通用しません。

「放火する人は火災の火を消火すれば財産価値の減少を食い止められる知らな
い」って主張ですか?
普通知ってると思いますが。

>> 行為の目的というのは、その行為を行なうことで得られるはずの「想定された
>> 結果」のことです。

ここは、今のスキームでは「期待される結果」とでも言った方がいいかな。

>> 行為の動機というのは、その行為を行なうと決意するに到った理由です。
>> それは、そのような目的を持った理由と、そのような目的の行為を実際に行な
>> うと決断した契機からなります。

> 「そのような目的の行為を実際に行なうと決断した契機」が存在するっての
> は、要するに「その行為は既に行われた」ことを示すわけで、

ここまではいいとして、

> つまり「既成の
> 事実に対するものである」ことを除けば動機と目的には違いがないわけです。

何故?
# 「あなたにお母さんがいるというのはあなたが既に生まれたことを示すわけ
# で、つまり、既に生まれたことを除けば、あなたとお母さんには違いがない
# わけです」とは言えないしなあ。

空き巣に入るのは他人の金目のものを自分のものにするのが目的です。
そういう目的を持った理由は、例えば、「病気の母の治療費を捻出したい」と
思ったからです。
それを実際に行なうことを決意したきっかけは、例えば、借金を申し込んで手
酷く断わられたことです。

その空き巣ねらいは、病気の母の治療費を捻出したいと思ったことで裁かれる
ことはありません。
借金を断わられたことで裁かれることもありません。
他人の金目のものを自分のものにする目的で行動したことで裁かれるわけです。

# まあ、「行為の評価」は、裁きの一部をなすだけなんで、比喩の限界はある
# わけですが。

> #かくして、共通点が示され、無関係の証明は為されませんでした。

誰か無関係を証明しようとしてるんですか?

> =====

>>> 実際に「消防署員が放火魔だった」ってな事件もありましたがね。^_^;
>>> 私には「放火は許せないが消火したのは偉い。よくぞ財産価値の減少を喰い止
>>> めてくれた」なんて評価は聞こえてきませんでしたよ。
>> 
>> 普通は、わざわざ評価する必要はないでしょうから、聞こえてこないのは当然
>> でしょうね。

> 「放火は許せん」という評価は聞こえて来たんですが、じゃあ何故そのような
> 違いが生じるのでしょうね?

すぐ下に自分で引用してるじゃないですか。

>> 「放火」の悪さと「消火」の良さを比べれば、前者の方がはるかに大きいです
>> から、前者にのみ注目して評価する人が多くても驚くにはあたらないでしょう。

というふうに。
さらに言えば、ある人が良いことと悪いことをしたときに、悪い方のみ評価す
るってのは大衆心理としてはアリガチなわけです。

まあ、そういう情緒的な反応は三流ゴシップ紙にでも任せとけばいいんで、
「ちゃんと評価すればこうなる」ってのは議論する意味があるでしょ?

>> でも、「放火も許せないが消火も許せない」という人は、きっと、殆どいない
>> でしょうね。

> で、「放火して消火」という一連の行為に対して「許せない」と考える人が殆
> どではないでしょうかね。

それを一連の行為と見倣すかどうかによるでしょうね。

> #その前で「消火したから云々」が何の意味を持つ?

その「云々」というところに何が入ると想定してるんでしょう?
# そもそも私は「消火したから」なんて話してないし。

> =====

>>> 「犯行」じゃなくて「故意→意図」の方に「善意とか悪意とか」があるのよ。
>> 
>> 普通は、善意とか悪意とかで判断するのではなく、その意図に基づく行為が法
>> に抵触するかどうかで判断されます。

> だ〜か〜ら〜、^_^;
> その「法に抵触するか」に故意がかかわるんじゃないのよ。

故意は関わりますが、それが善意か悪意かは関係ありません。

> で、「故意に他者の体を傷つける」ような行為は普通は傷害に相当するわけだ
> が、外科手術のように「善意に基く」行為であればさにあらず。ってこと。

それは、善意だからではなく、治療を目的としてるからです。

>>> だからその「想定」が善い想定か悪い想定かってことじゃん。
>> 
>> それは、誰にとって「善い/悪い」でしょうか?

> 誰じゃなくて社会的にでしょうが。

それは、普通の意味の「善意/悪意」とはかけ離れてますね。
普通、「善意/悪意からの行動」というと、対象に対する好悪の念を表わしま
す。
そうではなく、「よい/わるい心」というのでも解釈は不可能じゃないですが、
そんな証明不可能なものを行為の評価に取り込む意味はありません。

> =====

>> 私の主張は、もともと、「ある行為の評価は、その行為をした場合としない場
>> 合で比べることで行なう」というものですから、wacky氏のような比べ方をし
>> たところで何の反論にもなっていません。

> そうですかね?
> じゃ「その行為をした場合としない場合」の*行為*ってなんでしょう?
> そう「殺人」ですね。

いいえ。
「強姦 + not 殺人」です。

# もちろん、殺人の評価をするときは殺人ですが。
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK