KGK == Keiji KOSAKAさんの<bu0im1$dbe$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>普通、目的を汲み取るのは、行為それ自体からです。

普通、その「行為から汲み取られた目的」を動機と称するのだと思いますよ。

>火災現場で火に水をかけてれば、それは「消火」を目的にしてると判断される
>のは、「火に水をかければ火が消えることが促進される」ということを大抵の
>人は知っているだろうと予測されるからです。

それは単なる因果関係に過ぎずこの場で目的というには余りに卑小過ぎますな。
第一、「消火の目的は火を消すこと」ではトートロジーでしかない。議論とし
て無意味。

>火災の火を消火すれば「財産価値の減少を食い止める」ことを目的にしてると
>判断されるのは、「火災の火を消火すれば財産価値の減少を食い止められる」
>ということを大抵の人は知っているだろうと予測されるからです。

で、「大抵の人は放火なんかしない」と予測されるわけで、そのような予測や
勝手な目的の推定は「大抵の人に含まれない人」に対しては通用しません。
#ここでの詭弁は、行為による主たる作用と副たる作用を峻別せず、恣意的に
#選択された一作用をもって唯一の目的が決定されるかのごとく述べている点
#ですね。

>> じゃあ、KGK氏言うところの「目的」及び「動機」を定義した上で違いを明確
>> にし、無関係であることを証明してみてくださいな。
>
>行為の目的というのは、その行為を行なうことで得られるはずの「想定された
>結果」のことです。
>
>行為の動機というのは、その行為を行なうと決意するに到った理由です。
>それは、そのような目的を持った理由と、そのような目的の行為を実際に行な
>うと決断した契機からなります。

「そのような目的の行為を実際に行なうと決断した契機」が存在するっての
は、要するに「その行為は既に行われた」ことを示すわけで、つまり「既成の
事実に対するものである」ことを除けば動機と目的には違いがないわけです。
共通点が示され
#かくして、共通点が示され、無関係の証明は為されませんでした。

=====

>> 実際に「消防署員が放火魔だった」ってな事件もありましたがね。^_^;
>> 私には「放火は許せないが消火したのは偉い。よくぞ財産価値の減少を喰い止
>> めてくれた」なんて評価は聞こえてきませんでしたよ。
>
>普通は、わざわざ評価する必要はないでしょうから、聞こえてこないのは当然
>でしょうね。

「放火は許せん」という評価は聞こえて来たんですが、じゃあ何故そのような
違いが生じるのでしょうね?

>「放火」の悪さと「消火」の良さを比べれば、前者の方がはるかに大きいです
>から、前者にのみ注目して評価する人が多くても驚くにはあたらないでしょう。
>でも、「放火も許せないが消火も許せない」という人は、きっと、殆どいない
>でしょうね。

で、「放火して消火」という一連の行為に対して「許せない」と考える人が殆
どではないでしょうかね。
#その前で「消火したから云々」が何の意味を持つ?

=====

>>> 犯行に故意があるかどうかというのは善意とか悪意とかいった話とは関係あり
>>> ません。
>
>> 「犯行」じゃなくて「故意→意図」の方に「善意とか悪意とか」があるのよ。
>
>普通は、善意とか悪意とかで判断するのではなく、その意図に基づく行為が法
>に抵触するかどうかで判断されます。

だ〜か〜ら〜、^^;
その「法に抵触するか」に故意がかかわるんじゃないのよ。
で、「故意に他者の体を傷つける」ような行為は普通は傷害に相当するわけだ
が、外科手術のように「善意に基く」行為であればさにあらず。ってこと。
#無論、個人的身勝手な【善意】から本人の意に反して手術して良いとか、そ
#んな意味ではないからね。念の為。

>>> 故意があるかどうかってのは「どのような結果が起こると想定した行動だった
>>> か」というので判断されます。
>
>> だからその「想定」が善い想定か悪い想定かってことじゃん。
>
>それは、誰にとって「善い/悪い」でしょうか?

誰じゃなくて社会的にでしょうが。

=====

>>>>> ・強姦 + not 殺人
>>>>> という行為を評価するのなら、その行為の前後の状況の差を考えるべきです。
>>>>> もちろん「悪いこと」という評価になります。
>
>>>>> これを、
>>>>> ・強姦 + 殺人
>>>>> と比べるというのなら、その場合の行為の差は「殺人」の有無ですから、「殺
>>>>> 人」(もしくは「not 殺人」)の評価になっています。

>> もう一度ご自分の主張を振り返って御覧なさい。「強姦 + not 殺人」につい
>> ては行為そのものに対する(絶対的な)評価をし、「強姦 + 殺人」については
>> 「強姦 + not 殺人」との比較→相対的な評価を行っているわけです。
>
>違います。
>前者は私の主張に従った「強姦 + not 殺人」の評価。
>後者はwacky氏が持ち出した比べ方に従った「強姦 + not 殺人」の評価。
>
>そのwacky氏の比べ方が何を評価してるかといえば、「殺人」の評価にしかなっ
>ていないってのが私の主張。
># 正確に言えば、「殺人の評価」の not。

>私の主張は、もともと、「ある行為の評価は、その行為をした場合としない場
>合で比べることで行なう」というものですから、wacky氏のような比べ方をし
>たところで何の反論にもなっていません。

そうですかね?
じゃ「その行為をした場合としない場合」の*行為*ってなんでしょう?
そう「殺人」ですね。つまり「殺人の評価にしかなっていない」のは正しく
KGK氏の主張の方であるわけです。

-- 
wacky