佐々木将人@函館 です。

「法治国家」と「裁量」では
一般語としての使用状況に差がある点については私も否定しないので
その限りで分けて論じますが……。
(そのため引用順も前後します。)

まず「法治国家」について

>From:Sin'ya <ksinya@quartz.ocn.ne.jp>
>Date:2004/07/10 11:32:27 JST
>Message-ID:<ccnkfs$7bu$1@news-est.ocn.ad.jp>
>
>  専門家でなくても法律や裁判とは無縁でありませんし、新聞などの報道で、
>政治家は「法治国家」という言葉を使います。

政治家の語の使用例や新聞における語の使用例をもって
一般の使用例とすることについては
個人的にすこぶる抵抗があるところですし
個人的な感覚を除くとしても
彼らの用法が正しいとは限らない
(……むしろ有名な例については間違っている方が多いかも)
ため、例としてはふさわしくないのではないでしょうか?

新聞用語の間違いの例としては
「拘置」「(刑事事件における何某)被告」などがあります。
政治家の用法について言うと……
……いちいちあげなきゃいけないですか?(笑)
(とりあえず小泉首相の法に関する発言は
 たいてい間違っていると言っておきます。(爆笑))

「正しい・間違い」がお気に召さなければ
「法律における用法と一致している、一致していない」
とおきかえてもらって全然かまいません。

問題を浮き彫りにするために
まずこれはどう考えても法律の側が独特の意味付けをしている
「善意・悪意」を例にとりあげますが
法律学を習い立ての人が
「事情を知らないというだけで善意というのはおかしい」
という意識の下で
「事情は知らないけど自己の利益をはかるためだから善意とは言えない」
なんてことを書いたりした時に
「それは間違い」と切り捨てちゃうのは
切り捨てる側がスノップかなあ……と私自身思っちゃいます。
私の手下なり弟子の筋なら
軽く説教1つぶちかますとは思いますが……。

ではなんでこれは「切り捨てる側がスノップ」かと言えば
・法律学サイドが独特の使用法をしている
・だから法律学サイドで歩み寄るべきである
ということが言えるからだと思います。

一方これはどう考えても法律用語でしかないでしょうという
「未成年者」の例。
これをたとえば
「19歳で社会で働いている人は未成年者とは言えないだろう」
などと言ったのであれば
これは「間違い」と切り捨てていいはずです。
未成年者という語自体どう考えても法律学サイドの用語としか思えない。
この場合法律学サイドの用法以外で用いること自体
批判の対象となっても仕方ないのではないでしょうか?
そしてこの場合その用法の原因が
・新聞で使われている
・政治家がそう使った
・多くの人がそう使っている
で、話が変わるものなのでしょうか?
いずれにせよある分野できちんと意味づけされている語を
安易に流用した上別の意味を付すことについて
きちんと検討しなきゃいけないんじゃないんでしょうか?

で、「法治国家」というのは
完全に後者(未成年者型)の領域だと思いますが?
もし法律学と違う用法なのであれば
そのこと自体で
「何か裏があるのでは?論理のすりかえをしようとしているのではないか?」
と警戒しなきゃいけないものだと思います。

次に「裁量」について

「裁量」について言うと
「法治国家」ほど「未成年者型」ではないとは思います。
その限りで使用自体が批判される訳ではないかもしれません。
しかし

>「裁量」は、「裁量労働制」が報道にあらわれます。

「裁量労働制」自体専門用語でしょ?
(労働内容を裁量で決められる制度……ではありませんね。)

>  いま調べたら、新明解国語辞典の第二版には「自由裁量」という例がありま
>した。「自由裁量」という言葉は聞いたことがあります。

「自由」裁量ってことは
「自由」じゃない裁量がある訳で
実際「法規裁量」もしくは「羈束裁量」というのが別途あります。
裁量と言っても法令等で枠組みがきちん決まっていて
その枠から飛び出ることは許されない。

では

>  「裁量」は、職場での会話でたまに使います。たとえば、残業をするかどう
>かは上司の指示によるのが原則ですが、作業のスケジュールが上司に承認され
>ているならば、スケジュールに遅れないように部下が(いちいち上司の事前承
>認を得ずに)残業をする裁量は慣習として認められています。このように裁量
>を使います。

この裁量は「自由裁量」ですか?「羈束裁量」ですか?
それとも別の何かですか?

一度読んだだけだと気づかないかもしれないけど
「裁判官裁量判決国家」
でいう裁量って
本当に上の例と一致した使用法なんですか?
私は正直なところ「分析が足りてないないな」というのが本音なのですが
その分析の足りなさがその用法に如実に現れているのではないでしょうか?

それを
「別の使用法があるから誤りとまでは言えない」という一般論で語るのは
fjで議論しようという話の中では
脇の甘い話だと私は考えています。

そこで両方に通じる話として

>  ということで、まつむらさんの記事の文脈では、専門用語だとは私は思いま
>せんでした。

それは専門用語で(も)あることを知らないからではないでしょうか?

>  fj.sci.lawではそのとおりだと思いますが、前述したような私の考えから、
>fj.soc.lawではそうだとは思いません。なぜなら、そもそも専門用語だという
>意識がない場合は、「この種の誤解をさけるためには」などとは考えもしない
>からです。

まず問題を2つに分けなければなりません。
「専門用語だという意識がない場合に
 この種の誤解を避けるためにはとは考えもしない」
というのは、止むを得ない部分があるとは思いますが
しかし「専門用語かもしれない」という危機感をもって投稿することは
必要じゃないんですか?
これは言葉に気を使うというレベルの話ではありますが……。
自分のまわりのことだからそんな気を使う必要がないというのは
fjで議論しようという状況では全く賛成できない主張です。

とはいえ、専門用語であることを知らないこと自体は
仕方のないことでもあります。
知らないこと自体は必ずしも恥ではありません。
しかし知らないことを正当化するのはいかがなものでしょうか?
知らないことについて
「世間ではそう使われているのだから……」
というのは正当化そのものだと思います。

実際専門用語を使わなくとも
野球のストライク・ボールの判定の話と裁判の話とを
パラレルにすすめられることは
|From: cal@nn.iij4u.or.jp (SASAKI Masato)
|Date: Fri, 09 Jul 2004 22:06:42 +0900
|Message-ID: <20040709220642cal@nn.iij4u.or.jp>
で示したつもりですし
そこにも書きましたが
法律学知らなくてもこのくらいの議論はできると思います。

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Talk lisp at Tea room Lisp.gc .
cal@nn.iij4u.or.jp  佐々木将人
(This address is for NetNews.)
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ルフィミア「本当に本が出そうなんですか?」
まさと「なんか出そうな感じだよ。」