佐々木将人@函館 です。

まず若干の解説

>> >From:Keizo Matsumura <kmatsu@nr.titech.ac.jp>
>> >Date:2004/06/24 16:16:56 JST
>> >Message-ID:<40DA7FE8.2C8DDB5A@nr.titech.ac.jp>
>> >
>> >> 法治国家に住んでいる以上、法律を正しく理解しなければ
>> >
>> >日本は、法治国家ではないんだもの。裁判官裁量判決国家でしょ。
>
>SASAKI> そう思うのは自由だけど間違い。
>
>> >裁判官の裁量によってしまう。つまりルールではないのです。
>
>SASAKI> これも間違い。

なぜ間違いと断言できるかというと
「法治国家」とか「裁量」とかいう
法律学ではテクニカルタームとして定義を与えたり
厳密な使用法をしている語について
それらに気を配ることなく漠然と使用しているからなんです。

例えば「法治国家」は「法治主義」をとる国家ってことでしょうけど
法治主義自体「形式的法治主義」「実質的法治主義」とあって
前者については法律によって政治が行われればこれにあたる以上
形式的法治主義でない国を探すのが難しいくらい。
後者については
法治主義の「法」を市民の自由や権利を守るものと限定するから
形式的法治主義の国の中でも実質的法治主義じゃない国はあり得るけど……。

日本の法が「市民の自由や権利を守るもの」になってないという主張は
そりゃあさすがに採用することができません。

さらに裁判官に「いくつかの選択肢の中から1つを選ぶ」という意味での
選択権があることはこれは全く否定できない訳で
事実認定に関して言えば
民事刑事とも原則「自由心証主義」を採用している以上
裁判官に選択の幅は認められている訳です。
そのことを「裁量」というなら
「裁量でない主義」(例えば法定証拠主義)でない方が珍しいし
なんで珍しいかといえば
法定証拠主義は歴史的にたいてい
真実の発見とやらに失敗しているからなんです。

当然法治主義とは全く別次元の話。

全く別次元の話を「AではなくB」などと主張するから
理由も示さず「間違い」の一言で切り捨てるもの。

>From:Sin'ya <ksinya@quartz.ocn.ne.jp>
>Date:2004/07/03 14:04:41 JST
>Message-ID:<cc5epg$hsm$1@news-est.ocn.ad.jp>
>
>  裁判官の裁量に判決が左右されることはないのでしょうか?

それはあります。

別に

>  たとえば、一票の格差が大きいことを理由として、2001年7月の参院選を無
>効とすることを求める訴訟に対する、2004年1月14日の最高裁判決において、
>問題の選挙における一票の格差は合憲であるという判決が出ましたが、反対意
>見が6人あったとのことです。(賛成意見は9人)

の例のような高等な話でなくてもかまいません。
テレビゲームの中古販売について争われたケースは
東京高裁と大阪高裁で事実認定ではなく法の解釈について判断がわかれ
しかも最高裁の判断は必ずしも両高裁のどちらを採用したという
単純な話ではなかったですね。

法律に明記されてない点について
その意味内容を補充する作業をする場合に
意見が複数あり得ることは
法律の採用する価値観を前提としたところであり得る訳で
その中の1つに統一することを目的に
最高裁が1つだけ存在しているのです。

で、重要なのは
1つに統一された後の判決が「正しい」とか
統一される前の判決(特に統一後に採用されなかった判決)が
「間違い」とか「デタラメ」だというのは
どこから来る判断なのですか?ってことですし
またそういう統一のシステムが用意されているのに
あたかも複数の判断が出得ることをもって批判するのは
いかがなものか?ということです。
……てえか複数の判断が出ないようなシステムってできるんですか?
  全国の全ての裁判を1人にやらせたって
  複数の判断はあり得ると思うのですが……。
  ……全てのことを法律に明記するのはいよいよ非現実的ですね。

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cal@nn.iij4u.or.jp  佐々木将人
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ルフィミア「本当に本が出そうなんですか?」
まさと「なんか出そうな感じだよ。」