小野@名古屋大学 です.

結局のところ「ルール」という単語の定義の問題でしょうかね.

<ccdl48$4fd$1@news-est.ocn.ad.jp>の記事において
ksinya@quartz.ocn.ne.jpさんは書きました。
ksinya>   「そのことを「裁量」というなら」を認めるなら、まつむら さんの主張が
ksinya> 正しいか誤りかは、「ルールではない」の定義の問題なので、間違いとはいえ
ksinya> ないと思います。
ksinya>   もちろん、「ストライクかボールかの判断が審判の裁量によってしまう、野
ksinya> 球の試合にはルールはないの?」という疑問はありますが。

裁判や野球に限らず 2者以上が対立している場合に中立的な立場の者が
判断するってことはよくある話で, 普通はこの「中立的な立場の者」の
裁量権を認めて (そのうえで行動して) いると思うんですが....

それを (裁量権を認めることも含めてルールであるとする立場からは)
「ルールである」であるとも言えるし, (裁量権を認めないという立場か
らは) 「ルールではない」とも言える.

少なくとも野球に関していえば「どんな投球であろうと審判の判断が絶
対である」というルールがあるわけで, むしろ抗議されたからといって
判断を変えてしまう審判の存在の方が問題のような気がします.
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名古屋大学大学院 情報科学研究科 計算機数理科学専攻
小野 孝男 (takao@hirata.nuee.nagoya-u.ac.jp)
P.S.
スポーツに関していえば, ほとんどのものに「審判の裁量権」は存在す
るんだけど普通は「ルールではない」とは言わない... と思う.