阿部@佐倉です。

In article <20050605222745cal@nn.iij4u.or.jp>,
 cal@nn.iij4u.or.jp (SASAKI Masato) wrote:

> 「表現の自由の中身は市民が自覚的・自律的に決定していくものだ」
> という表現に近いんだと思う。
> ……だから「何を指すのかはっきりさせるのは順序が逆」なの。

fjのルールを考えていく上でということであれば、
市民をfj参加者と置き換え、そして表現の自由の意義
とか、価値などを考慮して、そういうふうに議論が進めば
いいなあと思っています。

そこに「憲法で保障されている」という話を出しちゃう
から「憲法が具体的に保障しているものとは定義が違う
だろう」となるけれど、憲法が具体的に保障している
ものとは定義が異なるからといって、憲法と結びつけ
ないなら「表現の自由」として間違っているとかは
言えないのではないのかなあ。

> そして憲法における「表現の自由」にとりこまれることが将来あるにしても

必ず憲法に取り込めとは言っているつもりはないの
ですけど……。アクセス権議論を考えても、憲法と
なると公権力による言論規制の禁止を超える何かを
取り入れるのって難しいと思います。

>  阿部さんは「(法学に限定せず現状にかかわらず)こうあるべきだ」

そんな単純なものではなく、まず第一の主張としては、
fjでルールを決める場合にはこうじゃないの、という
ことです。具体的に訴訟が提起されている訳ではないし、
fjとして、どのような言論・表現の場を作り上げたいか
ということを、表現の自由論(広義)を参照しながら
考えていく場面ではないのかしらと思っているのです。
(そもそもルールを決めるという状況の話ではなかった
と指摘があって、わたしは一体何をやっていたのだと
かなりショックを受けている訳なのですが……orz)。

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阿部圭介(ABE Keisuke)
koabe@mars.sakura.ne.jp
関心 ・専門分野 :
 新聞学(ジャーナリズム、メディア、コミュニケーション)