In article <koabe-32597C.00010102062005@news01.sakura.ne.jp>,
ABE Keisuke wrote:

>あの〜、
>| 私は表現の自由ってさまざまな問題を
>| 持っていて、たった一つの定義で語れるものではないよと
>| 主張している訳ですから。
>と述べ、「日本国憲法における表現の自由の意味」「マス
>メディアの発達と社会的責任論」「表現の自由論の進展と
>日本国憲法における『表現の自由』への影響〜ミルトンから
>アクセス権まで〜」と3例も示しているのですが、不十分
>ですか?

 不十分というか、そのような回答しかしない時点で議論を続ける意味がない
でしょう。少なくとも佐々木さん側に立つと無意味です。

 元々この話は、私的コミュニティにおける特定のルール、またはそのコミュ
ニティ内でのその構成員の行為が他の構成員にとって不利益となったとき、そ
れを「表現の自由」を論拠に否定できるか、というのが主題でしょう?

 そして、私や佐々木さんは、そこで持ち出された「表現の自由」が、法学の
規定する「表現の自由」では無い事を指摘し、その「表現の自由」の裏付けと
して憲法、法学における「表現の自由」を持ち出すという行為を否定している
わけです。

 それに対して「そもそも表現の自由とは」などと法学が既に規定した外の話
を持ち出す事が、何の反論になるのか理解出来ません。

 法学の言う「表現の自由」を包含し得る広義の「表現の自由」という概念が
あるとしても、法学がその範囲で規定した「表現の自由」であるかのように、
それと異なる「表現の自由」を扱うことを肯定できないことは阿部さん自身も
認めていますよね?

 その上で【法学のそれと異なる】「表現の自由」が、広義の「表現の自由」
の枠内にあることを示したところで、それは私や佐々木さんの関心の埒外だし、
我々が議論の上で問題にしている事とは何の関係もありません。

 
>その上で私は、表現の自由というのは、「自由に情報を受け、
>求め、伝えること」(以前山田さんの著書から引用した
>とおり)程度の広い定義の中で、必要に応じて意味が限定
>されてくる、ように捉えています。だから佐々木さんの
>「表現の自由は誰にとっても自明なのでしょうか?」
>という問いは、「どのような局面で」が示されなければ、
>回答できないとしているのですが……。

 局面は示されているでしょう?

 どのような局面が示されているのかわからないとか、その局面で実効ある解
決に結びつかないとかであれば、その「表現の自由」はそこで持ち出しても意
味がありません。
 もっとも、実効ある解決というのが、法治国家に於いては最終的には法に因
る解決しか有り得ない以上、法の枠の外にある「表現の自由」がそのような実
効性など元より持ち得ませんけどね。

 
>であるならば、佐々木さんは自分が使っている「表現の自由」も
>【】付きで語られることを自覚すべきでしょう。

 それは阿部さんの世界内的な話でしょう。

 一般にこの種の「**の自由」と言った場合、ミルトンを思い浮かべるより
日本国憲法を思い浮かべるのが普通です。実際このスレッドのSubjectはどう
なっていますか?

 私や佐々木さんがこのスレッドに関わっていう事自体、一般にその種の「自
由」という議論が為されるとき、それが「日本国憲法の保障する」という冠を
勝手に付けている事が多く、かつそれが内容的に誤りである事が多いからです。
 それ自体が誤りなのでその指摘を、というのが少なくとも私の主題なのです
が、その程度に「表現の自由」というタームはこの社会一般に於いて「日本国
憲法の保障する」とリンクしていると解して差し支えないでしょう。

 そのような状況下で「表現の自由」というとき、それを【日本国憲法におけ
る】とことわる事が必要だというのであれば、そう感じる事自体、非常に偏っ
た立場にある事を示していますし、であればこそ、ここまでの論点のズレ具合
とも整合性がとれます。


>それと、佐々木さんがルールの議論においても「表現の
>自由」を(日本国憲法における)表現の自由に限定しようと
>していることへの疑問は、参院憲法調査会での浜田純一先生の
>参考人質疑での発言なども参照した上で、やはり佐々木さんが
>あまりにも狭めすぎているのではないかと思っています。

 それは、その場合に持ち出される「表現の自由」が日本国憲法のそれではな
いにも関わらず、日本国憲法における「表現の自由」の保証を論拠としようと
している事を問題としているからです。
「それは日本国憲法における表現の自由ではない」という主張を行っている場
面で、「その範囲を日本国憲法における表現の自由に限定する事が問題だ」と
主張するのは論理的に破綻しています。

 主題が「それは日本国憲法における表現の自由であるか?」である時に、そ
れ以外の「表現の自由」を持ち出すというのは単に議論を混乱させるだけです。
そのような問題提起を行うことは自由ですが、「それは日本国憲法における表
現の自由であるか?」という論を展開しているところへ持ち出す意図は、少な
くとも私には理解不能です。


>失礼だと思い、これまで何度も聞こうと思っては飲み込んだ
>のですが、佐々木さんは本当に、(広い意味での)表現の
>自由論の展開を、それこそミルトンとかの思想から、
>社会的責任論、知る権利、アクセス権をはじめとする現代的
>展開まで、法学という分野にとらわれず、簡単にでもトレース
>しましたか? 残念ながらこれまでのかたくなな態度からは
>そうしたことがうかがえなかったです。

 そんな事を問題にしているわけではないですから。少なくとも私が問題にし
ているのは、「法学で規定していないモノを法学で規定しているかのように扱
う事」であって、その「法学で規定していないモノ」の成り立ちではありませ
ん。

 そもそも、「法学で規定していないモノを法学で規定しているかのように扱
う事」を問題にしている相手に、「法学ではどうあれ、それは本来(以下略)」
という論を展開する行為の意味が理解できません。

 結局のところ、阿部さんの記事というのは単に佐々木さんの記事をダシに、
【阿部さんの】「表現の自由」論を開陳しているようにしか見えません。

 申し訳ないのですが、阿部さんのその論は、これ以上読んでみたいと思うほ
ど私にとって関心のあるネタではないので私もここいらで降ります。


 立木@議論になってないし