阿部@佐倉です。

In article <20050529121207cal@nn.iij4u.or.jp>,
 cal@nn.iij4u.or.jp (SASAKI Masato) wrote:

> で、私の質問に対する答は?

第二の質問に対する答えは
> 表現の自由の持つ価値についてを追究すること自体は、
> 法学の守備範囲ではないのでしょう。
> 
> しかし、なぜ表現の自由という考え方が形成されたのか、
> なぜ表現の自由が尊重されなければならないのか、という
> ことに関するおおまかな理解は、表現の自由論を論じる
> 上での前提なのではないのでしょうか。
で示しました。

第一の質問に対しては、回答不能です。
それがいったいどういった問題における表現の自由なのかが
示されなければ、私は表現の自由ってさまざまな問題を
持っていて、たった一つの定義で語れるものではないよと
主張している訳ですから。公権力による表現規制の禁止が
日本国憲法における表現の自由の意味だということは否定
していませんよね。

「どういった問題における」が示されない状態で強いて言う
なら、どのような表現の自由論でも最低限共通認識を持てる
「自由に情報を受け、求め、伝えること」(以前山田さんの
著書から引用したとおり)程度にせざるを得ないのではない
かと思います(この一文を書くことは、非常に危険とは承知
していますが、佐々木さんがこの一文をもって阿部は表現の
自由はこれだと断定したと短絡的に捉えたりはしないと
信じて挙げました)。

> 問題を明確にするため
> 「表現の自由」の語の定義や用法を明確にしようとしているのに
> それを無視して「表現の自由」を使っている質問に
> 答えられる訳がありません。

順序が逆でしょう。

佐々木さんは既に
| > この極端だけど明解な例は「道路」でしょう。
| > 道路法の道路と道路交通法の道路では定義が異なるゆえに
| > おなじ道が道路であったり道路でなくなったりします。
| > ましてその「道路」に他の分野例えば文化史的な「道路」概念や
| > 工学的な「道路」概念(があるかどうかはわかりませんが)を
| > 持ち込めば議論は錯綜するばかりです。
ということを示し、私も同意した訳です。これから展開
しようとしている議論がいったいどのような分野における
議論なのかはっきりしなければ、いくら法学における表現の
自由を論じたって、日本国憲法における表現の自由を論じ
たって、あさっての方向の議論にしかなりません。

たとえば、「日本国憲法における表現の自由の意味」という
問題の範囲ならば、そこでの表現の自由は「公権力による
表現規制の禁止」だろうと思います。

一方、「マスメディアの発達と社会的責任論」という問題の
範囲ならば、そこでの表現の自由を「公権力による表現規制の
禁止」に限定したら、それこそお説教コースでしょう。

では、「表現の自由論の進展と日本国憲法における『表現の
自由』への影響〜ミルトンからアクセス権まで〜」なんて
問題設定をしたらどうでしょうか? 私はこのお題は法学
分野に含まれるのではないかなと思うのですが、その辺りは
よく分からない。あとこの問題設定自体の実際の有効性も
よく分からない。とはいえこういう問題設定をした場合、
ひとまずここで後段の表現の自由は「公権力による表現
規制の禁止」だと思います。しかし、前段の表現の自由は
「公権力による表現規制の禁止」と限定はできないのでは
ないでしょうか。

という訳で、佐々木さんにはまずわれわれがいったい
どのような問題における意味での表現の自由を論じるのか
明らかにするためにも、

法学は、私的社会におけるルールを決めることに
関する諸問題を追究する学問なのですか?
そして、佐々木さんがいう法学における表現の自由
とは、私的社会におけるルールを決めることに関する
諸問題を追究していったことによって形成された概念
なのですか?

について、はっきりさせてほしいです。

以下、雑談。

私はこれまでそんなに変わった書籍を参照したり引用
したりしているつもりはないです。「マス・コミの
自由に関する四理論」は、表現の自由論が「からの
自由」から「ための自由」に変わったことを論じた
古典的名著です。日本語で検索するより、英語で
Four Theories of the Pressを検索したほうがよい
のかも。

表現の自由論の展開については、以前も紹介しました
「新版 ジャーナリズムを学ぶ人のために」(社会
思想社)を参照しています。

また、山口さんの記述は確かに「情報学辞典」なので
法学ではないだろうと批判されればそうなのかも
しれません。しかし山田さんの記述は「法とジャーナ
リズム」という著書で、法を扱っている本として
分類されておかしくないでしょう。

山口さんと山田さんは二人とも法学出身だし、いい
加減な論者とは思わないのですが、なんでそうした
人たちがまず表現の自由を述べる上で、今回の議論で
言う、広義の表現の自由を用いているのか。

それは、それぞれの書籍の目的というものがあるから
なのでしょうが、もし「それぞれの書籍の目的」を
認めるなら、とりもなおさず論じる目的によって、
表現の自由の定義が変わるということを認めること
でしょうし……。

私が根本的に誤っているというのなら、この辺りの
参照している文献がどうおかしいのかとか、そう
いったことも含めて指摘をいただけるとうれしいです。

-- 
阿部圭介(ABE Keisuke)
koabe@mars.sakura.ne.jp
関心 ・専門分野 :
 新聞学(ジャーナリズム、メディア、コミュニケーション)