古寺です。

SHIMADA,makoto さんは書きました:

> SHIMADA,makoto さんは書きました:
>> Masahiko_KODERA さんは書きました:
>>
>>> 細かいかも知れないですけど、151系ボンネット内のに相当する専用MG
>>> スペースが運転席後方に有って、冷房準備時点ではカラだったらしい
>>> ですよね。
>>         ありゃ? そうでしたか? 私はてっきりクーラーだけ
>>        見送ったものだとばかり思ってました。
> 
>     私がこの話を仕入れた本を読み返してみました。確かに

私が最後に見たのはRPの2004年10月号だったはずですが、どこへ埋め
たやら。特集号の記憶自体は妙に鮮烈なので、引っぱり出しては読み
していたはずですが。

>    「機械室は作ったけれど装置は見送りのままスタートし、
>    東武特急に完敗してしまった」とありました。私は“装置”
>    をクーラーだけと勝手に思い込んでいたのでした。

先に専用MGと表現しましたが、この車や初期101冷改あたりは、補助
電源と別系統で冷房MGを持っていたんですよね。東急など私鉄の「固
定編成」思想では、割と後年まで採られる方式です。
冷房以外の給電は元々のMGで賄えますから、冷房を本設するまでは大
型MGを詰んでしまうと、これの用途無しとなります。
また費用的にもこれを積んだら「準備」の半分くらいが済みになって
しまうかと。
最近また有ったキハ58特集はすぐ出て来たのですけど、後期冷房準備
車のキハ28、これの冷房DGは4VKという型だそうですが、数年後には
設置が始まるのに「スペースのみ」の準備だったそうです。

157系の面白いところは、当時の大きな冷房対応のMGを床下搭載するの
は無理と見て機械室をもうけつつ、準備となったので補機MGは別に
積んでたと。
確かほんとの特急形の場合、大型MGを編成前後(長編成では冗長も有っ
て後年+1)において、給電区分を編成1/2とし、これで全て賄ってた
はずです。客室の床下にMG/CPを置かないという主旨も有ったかと思い
ます。クハ481/489のボンネット後期は、MGの小型化で、クハ床下に
搭載位置が移ってたと。震動源のCPはボンネット内に残したんですよ
ね。後年、平気でサロに積むようになりますが。
逆に一般(?)の急行形や通勤、近郊形で冷房搭載が一般的になった時点
(改造含む)では、電動車ユニットのM'(交直だとMだったり)に搭載され
るMGを、MM'+同数程度のTの分の冷房も賄える容量にして、細かい給
電区分ながら、特急同様補機用交流電源の系統を統一してます。

東急などが冷房は別電源を続けたのは、夏期以外は止められるという
のも利点だったんでしょうか。東急8000(8500)系だと、当初M2車に
補機用小型インバータ+片方のTcに冷房用大型MGでした。これを後年
(というか試作はかなり初期から)業界を引っぱるように大型SIVを開発
していくことになるのですが、冷房専用大型MGを置き換える形での
試作〜量産になってました(大型SIV量産開始時点でクハ8000の製造は
終わっており、サハ8900からだと思います)。
全然関係ない車種ですが、157系などの給電方式に近い物が有るなと。