YASUI Hiroki wrote:
> 安井@東大です。
> 浦島フォローになってしまいましたが、拙稿に対する太宰さんの記事にコ
> メントします。
>  # 忙しい状況はまだ続いているので、本稿にフォローしていただいても、
>  # 次に投稿できるのは半月以上後になる恐れが大ですが。
> 
> 
> 
>>YASUI Hiroki wrote in <ymrm64t92j7r.fsf@sx102.ecc.u-tokyo.ac.jp>,
>>
>>>なお、上記記事内容から判断する限り、太宰さんは正当性と合法性を全く
>>>区別しない立場に立っておられるように見受けられますが、その種の信奉
>>>者の方との議論は私の能力を超えていますので、両者の区別の問題につい
>>>てこれ以上深入りするつもりはありません。
> 
> 
> 太宰 真さん in <dg0odd$ogj$1@news-wst.ocn.ad.jp>,
> 
>>わたくしは、「両者(「合法」と「正当」)の区別の問題」について関心を
>>持つものでは有りません。その区別が、今回の具体的場合に決定的に違いを
>>見せると考えておられる、安井@東大氏のご意見をぜひお聞かせください。
>>今回の具体的場合には特に関心が有ります。と申しますのは、わたくしには
>>さほど結論に影響を及ぼすものとは考えられないからです。
> 

最初から分かりにくい。「正当性」の意味は?

> 合法性の判断基準は言うまでもなく法ですが、その内容は一意に定められ
> ることを前提としています。

「正当性」も同じでしょう。最初から貴方の「正当性」はこうですがわたしの
「正当性」はああで、それは当然のことである、としたのではそもそも「正当
性」を論ずる意義さえも無い。

> また、法に反する行動は、国家権力によって
> 強制的に是正され得ることが基本的に予定されています。

誤りです。裁判所はこれが「正当だ」として裁判するのです。そんなご意見には
これだけで十分なはずです。

> それに対して、正当性の判断基準は規範ですが、その規範の内容が明確に
> 定立されていることはあまり一般的ではありませんし、そもそも、政治的
> な立場によって変わり得る不定型なものです。そのため、特定の規範に反
> する行動が直ちに国家権力による是正の対象となるわけではありません。

同じことを繰り返している。「正当性」も規範だと仰いますが、どんな規範なの
ですか?法も規範ですが。まさかビンディングのように規範を抽象的・一般的に
捉える立場からの立論ではないでしょうね。「政治的立場」とは?政治を見る価
値判断ということですか?当たり前ではないですか。そういう立場の者同士が
「共通の」「正当性」を論ずるのです。同様なことは法、具体的には法解釈につ
いても当てはまる。

そもそも貴方は法を知らないようです。今は合法と正当との認識の段階の話をし
ているのです。法に反した場合はそれなりの効果としての強制力が加えられるか
らと言って、その前段階での認識に際しても「正当性」と異なることにはならな
いのです。実定法においては勿論国家権力による強制が可能なのが普通ですが、
強制力を伴わない法もあるわけで、「正当性」と「合法的」の違いを論ずるのに
「強制」如何は無関係。

>  # 特定の規範の内容を強権的是正の対象とするためには法の制定が必要
>  # とされます。

当たり前ですね。だからどうだというのでしょう。

> したがって、合法性を検討して非という結論に至れば、その行動は裁判所
> を通じての強権的な差し止めや無効処分の対象となり得ますが、正当性の
> 問題を論じた上で非という結論に至った場合には、それが単なる政治的見
> 解の表明に過ぎないというケースが出てきます。すなわち、“法に反して
> いないという点で合法ではあるが、特定の規範に抵触している”という場
> 合です。これは、近代国家において法と規範を(一応)分離していること
> から生ずる現象であって、別に珍しいものではありません。

別に珍しい珍しくないは全く重要ではないです。重要なことはその分離されてい
るとする、「特定の規範」とは何ぞやということ。何ですか?法は全くの取り締
まり目的から法を借用した場合でない限り規範であることは誰も否定できない話
です。それとの区別からの「特定の規範」の意味が全く不明。言いたくないよう
ですのでわたくしのほうから申し上げましょうか。あなたのいう「規範」とは
「正義」と言うに等しいもので、「正当性」を別のことばで言い換えたに過ぎな
い。ただそれだけ。法の世界でもそれがあります。法においては、それが正義の
観点から「正当だ」とされることは法はそういう意味で規定されていると言うこ
とに他なりませせん。規定された法の内部であれば合法となるしそれを飛び越え
れば非合法なわけです。

>  # 逆に言えば、法と規範を完全に一致させることは、特定の規範内容す
>  # べてに法的強制力を与えるということを意味します。それは完全な神
>  # 政国家であって、それ以外の規範を奉ずる人すべてを処罰の対象とす
>  # ることになります。

結局、ここが言いたかったわけでしょう。あなたが言い渋っているときにわたく
しがすでに指摘したことですね。つまり、非合法だとされる場合においてもいく
らかでもそこに肯定的な価値判断を挟みたい者にとっては合法とは別の「正当」
と言うことばを使ったほうが何かと便利だ、それ位の意味なのです。それをを証
拠に、それがが言えたからと言って何も実質は変わらない。

実はここには法、特に法解釈からアプローチを試みる立場のものは知っておかな
ければならないことがある。ある解釈者が、この法を解釈すれば当該行為は「非
合法」だが、「正当である」と言ったとしよう。わたくしの立場からはこのよう
なことはあり得ないと言うこと。このような場合には具体的行為に照らして、そ
れを適用する法の解釈を変更せざるを得ないはずで、当該行為に「正当な」評価
をあたれ得る法の意味をその法規に与えるよう解釈されなければならないので
す。広い意味で悪法は法ではないからです。

これに対して裁判所はそれでもそれが善法だとしていたではないか、と仰るかも
しれない。この場合には裁判所は誤って法を認識している。法判断の誤りとして
最高裁判所の判断を仰いでもそれが覆らなかったとしてもこのことに変わりはな
い。判例あるいは裁判例は法源ではない。

> 以上のように正当性と合法性を区別するならば、「今回の具体的場合」で

「以上のように」なんて話は続かないと言ってるの。まだ分かりませんか?

> ある小泉内閣による衆議院の解散についても、“法律に違反していないと
> いう点で解散は合法であるが、郵政民営化法案の可決という形で内閣への
> 政治的支持を表明した衆議院を解散するのは政治的・道義的に批判され得
> る”という立論が可能となります。この場合、裁判所を通じての救済は望

なるほど。で、そのような「政治的・道義的に批判され得る”という立論が可能
にな」ったとして、何の実益があるというのでしょう。何にも言われないよりは
内閣は反省する度合いが大きくなるとかですかね?こういうこと一切を知った上
で内閣はへんちくりん解散に持ち込んだとすればどうですか?貴方や政治学中心
に学習している人の犯す過ちは、同時にその「合法性」をも当該具体的事例を通
して且つ連動させて省みようとされない点なのです。このような結果を招来する
法のあり方を認めるそのことに既に誤りがある。

> めませんので、選挙・請願・集会・言論活動などによって政治的に是正を
> 求めるという行動が導かれることになります。

なるほど。我意を得たりとするようなご意見ですね。では、もし、その「選挙・
請願・集会・言論活動」ができにくい状況にあったとしたらどうですか?泣き寝
入りですか?これはたまたまそういう制度もあったというに過ぎず、合法・正当
の本質的区別とは異なる。なぜならば、合法、正当の区別は何もこのような場合
にのみ起こることではないからです。

> それに対して、正当性と合法性とを区別せず、政治的・道義的に非難され
> るものは須く違法であるとする立場に立つならば、“小泉内閣の衆議院解
> 散は違法であり、違法である以上は裁判(ひいては国家権力)による是正
> が為されなければならない”という話になります。

そのとおりです。かなり厳しい判断を迫られることになるわけですが、これが、
法解釈者、政治を論ずる者の責任というものなのです。

> 私には、この二つの結論が同じであるようには見えません。

同じでしょう。かのへんちくりん解散は合法であり、民意を問い選挙に至る以上
民主的だというのが貴方の結論だったのではないですか。50年前と何ら変わら
ない意見の繰り返しであったようです。ようするに、貴方は逃げているだけなの
です。あるいは面倒くさがって先人によって積み上げられたしかし誤った考えを
覆すことなどよりも(=国民のためを思うことなどよりも)楽をしたい、それが
先に来ているのです。

少なくとも、大して考えもせずに学問上の用語である「合法」「正当」の区別を
時に他人を揶揄してまで無視したりするのはむしろ最初であるからこそ慎むべき
だとは言えまいか。

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太宰 真@URAWA