衆議院が解散され、9月11日に総選挙が行われます。

 ところで、私はこの度の解散の正当性に疑問を持ちます。解散しても、「参議院」はそのまま存続しています。
 今回、内閣提出の法案を否決した議会は「参議院」であり、「衆議院」は可決しています。

 「解散」という政治様式の淵源を考えれば、解散して民意を問うべき議会は「参議院」ではないでしょうか。
解散させられた「衆議院」は内閣提出法案を可決しています。なぜ、衆議院が解散されなければならないのでしょうか。

 解散後、「参議院」で否決された同じ法案を再び提出して、「参議院」で可決した場合、解散前、「参議院」はどのような判断で法案を否決したのでしょうか。

 人は時間の経過に対して、その思想を不変に維持することは難しいことかもしれません。
 しかし、多くの常識人において、他人に多大な影響を及ぼす判断は不変であることが、信頼の前提ではないでしょうか。
 戦前、いかに世情が大政翼賛的であったとしても、戦後、突然と共産主義に乗り換えることや、逆に、
戦後、学生時代にマルキストであった人が、就職した後、あっと言う間にマルキシズムを忘却することなどに、強い不安感を持ちます。特にその人が社会的影響力を持つほど、その人の思想の変更に対し、危険性あるいは恐怖を感じます。

 簡単に思想を変える人は信頼できません。そして、そのような人に権力を委任できません。

 このように考えたとき、総選挙後、「参議院」で同一法案を可決するという考え方に、 

権力を委任する主権者たる国民として疑問を持たざるを得ません。
”可決”あるいは”否決”は「政局」の問題ではありません。国民の問題です。

 織田信長は民主主義下で天下を取ったのではないでしょう。政治生命(なんと軽々しい命であろうか)ではなく、自分および家族の生物的生命をかけて天下をとったのではないでしょうか。

 織田信長のようになりたければ、民主主義をぶっ壊し、自分および家族の生物的生命をかけた戦いに勝って専制主義により天下を思いのままにすれば、いかがでしょうか?