古寺@遡り中につき、この先浦島&前後なフォローするかもですと
言ってるそばから新着の方が多いです(^^;

Sawaki, Takayuki さんwrote:
> "SHIMADA,makoto" wrote:
> 
>>Sawaki, Takayuki wrote:
>>
>>>>試験車 "TRY-Z"
>>>
>>>その成果はどう活かされたんですかね? 新型特急に繋がった?
>>
>>         E351系ではないでしょうか? 初っぱなからコケました
>>        が。
> 
> 
>  こけた、というのは
> http://ja.wikipedia.org/wiki/JR%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%ACE351%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A
> を参照すると、「トンネルでの振り子動作時に車体が壁面に接触する」という点ですかね?
> ん?時間的前後関係では、TRY-Zの方が後みたいですが。

私も前後関係他から、E351にフィードバックが有ったとは思ってい
ません。というか、STAR21(でしたっけ、東日本の次世代新幹線試
作)→E2ほども、部分的に活かすという部分も無かったのではない
かと。
E351については、初期車の重心高(鋼製だったので合金車より高く
なる上、屋上クーラー)はあれでいいのか?というのが、登場時に
結構現業に近い人がfjに投稿されてる時代の中で、なんどか見た
覚えが有ります。増備車でその辺いじられたのが「やっぱりな」
言われることになっていたかと。
TRY-Z自体は、在来線での160km/hクラスの走行、北陸新幹線の計
画の中での狭軌スーパー方式が何れもオクラになる中で、車両全
体のコンセプトは活かす機会を失っていると思います。初期の各
種測定のための走行試験自体を我孫子〜取手でやった事自体は、
たまたま昼間から使える高規格な遊休線って程度でしょう。

ただまあ、当時私も期待を込めてアレと常磐を結びつけていたの
で、オクラだと思われる在来線160km/hに関して。
「スーパーひたち」登場時のオフィシャルな(担当者に依る署名
の)解説記事で、次の目標は160km/hと明言していた事が有るんで
すよね。同時に、茨城県版の紙面に、数ヶ月内に勝田〜日立(当時
130km/h対応はまだ日立まで)で深夜帯に線路封鎖して、651系での
160km/hによる基礎データ収集みたいの(新聞記事を租借するとそう
読めた)を行うと掲載された事が有ります。
その先の経緯はfjに逐次投稿しましたが、直後に中線に待機の機関
車と通過電車が接触する(限界と停車位置設定の誤り)とか、工事中
の誘導ミス(番線変更と、踏切)であわや数発+踏切事故が一二度
有りまして。管内安全総点検しろとか、そういう話の中、線路閉鎖
して高速試験というのはどこかに行っちゃったようです。

四国で8000系試作編成を使ったレールブレーキ試験(うず電流方式
だったか...線路条件で150km/h以下にとどまってた記憶)などが
有って、専門誌(電気車の...とか)の雰囲気などから、160km/hで
600m守らせるのは、技術的に可能でも減速度が大きすぎ(乗って
る人の対策)あたりの話で萎んで行って。
制動距離の枠を外せそうな狭軌新幹線の話も、事業者の手を離れ
たところで該当する路線が消えてで、TRY-Zほどの姿形を完全に
変えるアーキテクチャーは不要になったのだと。

651系登場時の「次は160km/hを目指す」宣言からの話が辻褄が取
れてると思っていたのは、485系が約半数残っていた事で。より
格上な新車(ウルトラひたち?^^;)が出て651を通常の「ひたち」
に回す方向も有ったんでしょうけど、最近増えてるVVVF、130km/h
汎用設計の中の交直版で「フレッシュ」が出た時点で、とりあえ
ず当面は無いなと思いました。

なお、TRY-Zの基礎データ収集以後は、GPSを使った移動閉塞の実
験で確か宇都宮線を走っていたりとか、常磐に特定された物でも
無かったかと思います。

#けど、配置区所が勝田だとか、そういう基礎的な話でしたっけ?(^^;

>>         列車無線です。今でこそ蒸気機関車にも付いていますが、
>>        常磐線は魁でした。

でもって、後の標準のと互換が無かったわけですよね。

>  へえ、そうするとそれまでは事故が起きた時って、どうやって連絡していたんでしょう?
> 車両を停車させ、車掌が駅まで走っていくか、線路脇の緊急電話で知らせたとか?

全くその通りですね。警戒縞に塗られた「電話」の箱ですけど、あ
れは開けても受話器は無く、乗務員室に置かれた送受話機を抱えて
走ると。
国鉄時代に鉄道マンの奮闘を描いたRJの桐と動輪とか、その続きが
旅鉄にも有ったような記憶が有りますが、壇上かんじ(漢字を忘れて
しまった_o_)さんのドキュメンタリーで事故モノの時には必ず出て
来るようなアイテムでした。
国鉄の無線装備が発達するのは、駅関係の合理化が進む'80前後から
ではないでしょうか。'75年頃に、高密度路線が多く、ATSなどで
国鉄より高い機能を達成していた大手私鉄の、地下鉄からまないよう
な一般の区間でようやく無線が本格化しますが、各社手探りで、方式
が会社の数ほど有るくらいで... 当時、東急が高機能な同時送受信(電
話タイプ)で、運転指令側に位置や運行番号が自動表示される物を、
東横線から(ようやっと)装備するってことで、そこまでの各社整備状
況サマリ記事が雑誌に掲載されたのを覚えています。
1号形誘導無線(地下鉄タイプの、地上側アンテナが線路に沿ってずっ
と張ってある)を直通両者が地上に展開していた京急〜京成と、あと
関西の大手で地上で誘導タイプを普及させてた所が有った記憶ですが
(今みると、どこも空間波アンテナ乗せてるし、更新しちゃった?)。
当時まだ空間波だと、どこかで中継して運転指令まで直接とかが普及
してなくて(免許の問題も)。トランシーバーみたいな送信ボタン押し
て喋るのが最寄り駅まで...ってタイプの方が多かったような。
国鉄の場合、CTC導入路線以外で運転指令みたいのが有りませんでし
たし、常磐以後ボチボチ付け始まった無線も駅までのからだったよう
に思います。
当時は、東急がやおら始めたような高機能な空間波無線が国鉄に
普及する日は来るんだろうか?と思ってましたが、その後は関心が
薄れて追っていませんで。
いつの間に、関西だったら新大阪の指令に伝わるとか、そういうの
が当たり前に装備されてますね。