飯塚(東京都)です。

"Miyasun" <miyasun@mtj.biglobe.ne.jp> wrote in message
news:cip0uo$lbm$1@cala.muzik.gr.jp...

> 資料を読まない人が出てきたか・・・

 うーん、南京事件否定を叫ぶホームページはイマイチ信じられな
いねぇ。
 Miyasunさんは、どのくらい自分の紹介したホームページを信じて
るのだろうか?


> > > 既に南京虐殺肯定派も25万前後しか居なかった事を認めてるんですけど。
> > > 38年 1月17日
> > > 難民の数は今や二十五万人と見積もられている。増えた五万人は
> > > 廃墟になったところに住んでいた人たちだ。かれらは、どこに行っ
> > > たらいいのかわからない。
> >
> >  ラーベ氏のこの25万人は、安全区に逃げてきた難民の人数ですよ。
> >  安全区=南京特別市ではないのは、わかりますよね?
> >  ついでに安全区=南京城でもない。
>
> 当然ですよ。
> 1月17日は南京事件の後ですからね。
> 日付まで引用したのでですが、ちゃんと説明したほうがよかったかな?
> ラーベの日記で、事件前では
> 37年11月25日
> まだ二十万人をこす非戦闘員がいると言うけれども。
> 37年11月28日
> 警察庁長王固盤は、南京には中国人がまだ二〇万人住んでいると繰
> り返した。

 この「20万人」という数字が出たのは、ヒトラーへの請願書(上海ドイツ
総領事館経由)で

「当地の国際委員会代表は、総統閣下に対し、非戦闘員の中立区域設
置の件に関する日本政府への好意あるお取りなしをいただくよう、衷心
よりお願いいたしますものです。さもなければ、目前に迫った南京をめぐ
る戦闘で、二十万人以上の生命が危機にさらされることになります」

 というのを初めとして、ラーベ達国際委員会の想定人数ですね。
 だから「20万以上」と記述されている。
 Miyasunさんが引用した11月25日の日記にも「20万をこす」と記述
されているのはそのためです。
 だから帰国後の報告書にも、
「「ついに安全区がいっぱいになったとき、私達はなんと25万人の難民
という人間の蜂の巣に住むことになりました。最悪の場合と想定した
数より、さらに5万人多かったのです」
 と記述されています。

 南京事件の舞台は南京特別市、南京城と周辺の6県(六合県、
江浦県、句容県、江寧県、漂水県、高淳県)です。
 南京特別市の人口のラーベの記述は、あなたが削除してしまっ
たとおりですね。この点はよろしいでしょうか?

>「ヒトラーへの上申書
> 私が七月に発ったときには、南京の人口はおよそ百三十五万人でした」
>(南京の真実P296)
>その後、80万人逃げたと記述している。135万-80万=55万。


> ちなみにこんな資料もあるのですが、これは捏造って事なんですかね?
> http://www.history.gr.jp/nanking/fukei.html

 さあ、どうなんでしょうね。


> > >「人数が問題ではない」と言う人も居ますが、結局の所虐殺した証
> > > 拠が無いのだから、状況証拠でも不可能ならば何をもって「虐殺が
> > > あった」と言えるのでしょうね。
> > > まさか戦闘行為を「虐殺だ」と言ってるのですかね?
> >
> >  虐殺の証拠はたくさんありますねぇ。
>
> だから?
> それが30万虐殺の証拠や根拠になんかなりませんよ。

 私は30万人という数字は多すぎるとは、思ってます。
「10万人は超える」というのが、認識ですね。


> >  まず戦闘詳報など。
>
> 改竄されてるという話は聞いたことあるけどね。

 改鼠なんて聞いたことないですね。
 南京事件で語られる戦闘詳報は、全て防衛庁防衛研究所資料閲
覧室で閲覧できます。(というか今、戦闘詳報はそこにしか保管され
てない)
 もともと公文書館の整理統合で別置されたものですね。
 あとはアメリカの占領政策で、持ってかれた後返還されたもの。
 返還資料の公開は、まだ半分くらいです。今も防衛研究所で整理
中です。
 これを改鼠なんて不可能だし、防衛研究所が公開してるもので、
改鼠を疑うなんてナンセンスです。
 主張するなら根拠の提示を。


> > 「南京事件の実相を知るに及んで、我軍隊の素質、日本民俗の
> > 堕落に憤りを発せざるを得なかった」
> >  と手記に書いてますし
>
> その手記には「30万虐殺に憤った」とか書かれてるのですか?

 記述は上の通りです。


> > 「南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があっ
> > たことは事実である。第一戦部隊は給養困難を名として俘虜を
> > 殺してしまう弊がある」
> >  と確認してますし。
>
> どちらも現地を見てない人ですね。

 事件当時まだ日本にいましたからね。


> 調査資料などないのに何がわかるというのでしょう?
> それとも、岡村寧次陸軍中将に渡された、南京虐殺に関する詳細な資料が
> 存在してるのですか?私は寡黙にして知りません。
> この発言は、何か公式の場で発言された、もしくは報告書とし
> て提出されたものなのでしょうか?私は、この発言は「回顧録」
> という形で残したと聞いてます。
>
> 何の証拠にもならない。

 回顧録だとなぜ証拠にならないのか教えてください。
 そして「岡村寧次大将資料」はその時々の手記をまとめたものです。単純な
回顧録ではありません。
 岡村寧次氏は、南京事件後の1938年6月「第十一軍司令官」に就任し、
武漢攻略作戦を指揮しました。終戦時には「支那派遣軍総司令官」です。
「三光作戦」を指導したとして、戦犯裁判を受けた人ですね。

 11軍に就任する際、個人的にいろいろ情報を集めたと記述されています。
 これから自分が赴任する場所がどんなところか、軍団長として把握が必要
だからです。別に珍しいことじゃないですね。
 だから自分で部隊のありようを調査した結果が記述されているわけです。
 当時の軍人が、事態を把握していたことに意味があるんですよ。


> >  学術的には存在については「既にあった」として決着がつき、
> > 今はその規模の研究に移ってる。
>
> では、何十万人殺された南京大虐殺があったという証拠を教えてく
> ださい。
> 上記のような当事者でもない者の、しかも憶測の資料じゃなくてね。
>
> 揺ぎ無いほどの事実ならば簡単な事でしょ?

 反応のなかった、海外でも報道や、1938年1月4日付け松井方面
軍司令官に対し厳重戒告や、昭和天皇の侍従だった徳川義寛氏
の手記について、証拠として認めると理解してよろしいね?

--

 東京都 飯塚顕充