飯塚(東京都)です。

"Miyasun" <miyasun@mtj.biglobe.ne.jp> wrote in message
<WiO2d.258$RI2.134@news1.dion.ne.jp>
...
> 凄くまどろっこしくて見てられない。
> 単純に議論を楽しんでるのならば無視してください。

 いや、全くだね。
 あなたの記述の中で、ここが一番正しくて、あとは全然ダメだわ。(^^;)


> 既に南京虐殺肯定派も25万前後しか居なかった事を認めてるんですけど。
> 38年 1月17日
> 難民の数は今や二十五万人と見積もられている。増えた五万人は
> 廃墟になったところに住んでいた人たちだ。かれらは、どこに行っ
> たらいいのかわからない。

 ラーベ氏のこの25万人は、安全区に逃げてきた難民の人数ですよ。
 安全区=南京特別市ではないのは、わかりますよね?
 ついでに安全区=南京城でもない。

「ヒトラーへの上申書
 このように、安全区は何日にもわたってすこしずつふさがっていったの
ですが、(中略)私たちはなんと二十五万人の難民という「人間の蜂の巣」
に住むことになりました」(南京の真実P300)


 ラーベ氏が「南京特別市」の人口を記述したのは、帰国後の軍への
報告書であることが、「南京の真実」を読むとわかる。

「ヒトラーへの上申書
 私が七月に発ったときには、南京の人口はおよそ百三十五万人でした」
(南京の真実P296)

  読んで字のごとく、ラーベ氏は南京の人口を、135万人だと考えていたわけ
だ。
 その後、80万人逃げたと記述している。135万-80万=55万。
 計算、できるね? 小学生もわかる算数だ。
 ラーベ氏の記述で議論するなら、最初からあなたの主張は成り立たない。


>「人数が問題ではない」と言う人も居ますが、結局の所虐殺した証
> 拠が無いのだから、状況証拠でも不可能ならば何をもって「虐殺が
> あった」と言えるのでしょうね。
> まさか戦闘行為を「虐殺だ」と言ってるのですかね?

 虐殺の証拠はたくさんありますねぇ。
 まず戦闘詳報など。次に海外でも報道されてるし、1938年1
月4日付けで参謀総長の名前で、松井方面軍司令官に対し厳重
戒告が出てますし、1942年1月に特命全権大使として南京に赴
任した重光外交官も
「南京事件の実相を知るに及んで、我軍隊の素質、日本民俗の
堕落に憤りを発せざるを得なかった」
 と手記に書いてますし、第11軍司令官、岡村寧次陸軍中将も、
「南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があっ
たことは事実である。第一戦部隊は給養困難を名として俘虜を
殺してしまう弊がある」
 と確認してますし。

 昭和天皇の侍従だった徳川義寛氏の手記には、
「昭和12年の南京占領の時、日本軍がひどいことをしたとい
うことは、私は当時から知ってました」とありますし、天皇に
ついても
「陛下が知っておられたかどうかわかりませんが、折に触れて
『日露戦争の時の軍とは違う』ということはおっしゃってまし
た」
 と天皇も知っていた可能性を示唆していますしね。
 さらに埋葬記録とか、日本軍による新聞の検閲記録にも証拠
がありますね。


> 南京虐殺の問題は、もう何年も前から完全否定されてますよ。

 そりゃ逆だ。
 学術的には存在については「既にあった」として決着がつき、
今はその規模の研究に移ってる。
 いい加減なことを言ってはダメだよ。

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 東京都 飯塚顕充