# こちらは前回と違ってもう少し法律論としてまともな要件論の検討をば。
 いずれ著作権プロパーな話ではなく刑法総則の議論なのでフォロー先は
 fj.soc.law。
 ただし、私自身の評価はあまり深く考察する気がないので、あくまでたたき
 台として。
 一応、スレッドが「法律論として」あまりにとりとめがないことを考慮し
 て、一部読者には釈迦に説法を承知の上で、基本的なところから述べます。


A.日本国の法律というのは要件効果体系。*****

つまり、ある「要件」というものを充足する事実があれば一定の「効果」と言
う法律上の結論が出るというもの。
そこで、法律論である以上、要件および効果を検討しなければならない。

本件において効果は、「著作権法違反の罪(具体的に何条かは直接問題でない
のでおいておく)の幇助罪が成立する(結果として国家刑罰権が発生す
る。)。」である。

これは異論はないと思うがもしあるなら、「そもそも何の議論をしているの
だ?」と言わざるを得ない。
法律論というのが始る大概の理由は、一定の事実関係のもとある特定の効果が
発生するあるいはしないということを示すために要件論を検討するからであっ
て、「ある特定の効果の発生不発生を示さない」でするのは単なる法律用語を
使った言葉遊びに過ぎない。
よく言う「これは犯罪ではないのか?」だけでは法律論は成り立たないという
のが典型。
ここに「何罪に該当しそうだ」という具体的な効果を挙げてその成否を論じな
いと結局、「犯罪だけでは判らん」としか言えないということ。

閑話休題。


B.幇助犯の成立要件総論。*****

まず幇助犯が成立する要件を判例通説の線で整理すると、
1.正犯の存在。
2.幇助行為。
3.幇助行為と正犯との因果関係。
4.幇助意思(正犯で言うところの故意。と言うか、幇助犯においても無
  論「故意」である。つまり正確には「幇助の故意」。)。
の4つ。

1についてはもはや論じる必要もない(いや、あるというのならそれはそれで
もいいが、ともかく本件の本質ではない。)ので、2以下について要検討
(3も論じる必要はないのだが、一応簡単に触れてある。)。

検討すべき内容としてまず、(a)「規範定立」すなわち当該要件に該当する事
実とは一般的抽象的に言って如何なる事実かの定立があり、次に、(b)「あて
はめ」すなわち具体的な事実が当該規範に照らして要件を充す行為であるか否
かの判断(評価)、がある。


C.幇助の客観的要件(幇助行為)。*****

At Fri, 14 May 2004 14:45:35 +0000 (UTC),
in the message, <c82m2c$a94$1@news.jaipa.or.jp>,
oikawa@po.jah.ne.jp (Hiroyuki Oikawa) wrote
>In article <3989743news.pl@insigna.ie.u-ryukyu.ac.jp>, kono@ie.u-ryukyu.ac.jp says...
>>In article <c802i1$2pnb$1@news.jaipa.or.jp>, oikawa@po.jah.ne.jp (Hiroyuki Oikawa) writes
>>> 少なくとも、違法行為が行われることが充分に予想できる状況で、それを
>>> 積極的に抑止する措置を取らず、むしろ助長するかのような実装にしたの
>>> は、責任を問われるに充分かと。

これは、2あるいは4の問題。

2としては、著作権侵害(正犯の実行行為)を容易にするソフトウェアの作成
が著作権侵害の幇助行為と言えるかという話。
4としては、「予想でき」たことが幇助の故意の認定にどの程度影響するかと
いう話
(この点は後述。)。

ここで「正犯の実行行為を容易にする行為であるかどうか」は、客観的に判断
する(客観主義ならね。)。
つまり、実際の幇助行為者の認識(主観)は問題にする必要はなし。
したがって、「違法行為が行われることが充分に予想できる状況」というの
は、あくまでも一般人を基準とし一般人をしてそのような状況下において当該
行為を行うことが幇助行為たりうるかという検討が必要。

そして、

>    著作権者に許諾を得ない著作物及びその複製物の送信可能化
>が著作権侵害という前提のもと、送信者を隠すことにより侵害行為の実行
>者を特定し難くさせ、もって侵害行為を行い易くした。

これは、当該行為の幇助行為該当性を肯定する一つの材料となりうる事実。

幇助行為は、一般論として、正犯の実行行為を精神的あるいは物理的に容易に
すれば足りるというのが判例の線。
これが(a)の「規範」。
そしてこの規範に照らして本件行為が幇助たるか否かを評価するのが(b)の
「あてはめ」。


D.因果関係。*****

因果関係があると言うには、一般論ではなく「個別具体的な」正犯の実行行為
が「個別具体的当該」幇助行為により心理的・物理的に容易になれば足りま
す。

で、開発したプログラムを実際に違法行為の実現に利用したのだからこれはも
う否定のしようがない。
で、予測がついちゃうから先に言っておきますが、他に代替手段があるかどう
か、言い換えれば、当該幇助行為が無くても別の手段で正犯が実行に及んだ可
能性があるかどうかは因果関係には全く影響しません。
なぜなら、幇助の因果関係とは、「現に起った個別具体的な正犯行為」との関
係であって、可能性という「一般論ではない」から。


以上で、幇助行為であること及び因果関係を認定するのであれば次の議論へ進
む
(実は先に次の議論をしてもいいのだが、一般的には客観から主観へというの
 が思考経済的には有利なことが多い。
 なぜなら、客観面は確定が比較的容易であるからでありまた、主観はそも
 そも客観面についての認識を問題にすることが多いので客観面を確定しない
 と前提が仮定的になってしまうから。
 まあ、客観面は一般論として論じることができるけど主観面は「その人」と
 いう個別的な議論なので一般論から個別論へというのが普通の流れだという
 のは解ると思う。
 もっとも、明らかに該当性を欠く場合はどっちからでもあまり関係がないと
 も言える。)。


E.幇助の主観要件(幇助の故意)。*****

>また、開発着手の時期から鑑みるに、許諾なしの送信可能化が罪に問われ
>るのがほぼ確実と思われるにも関らず、敢えて上記のような実装とし、か
>つリリース後一向に改めない事実は、そのような侵害行為を積極的に奨励
>する意図があると考えるのが相当。

これは4の幇助意思の問題で、当該行為の幇助行為該当性とは別の議論。

幇助意思の問題として、どの程度の認識が必要かということはまず一般論とし
て検討する。
これが上記(a)の「規範」の問題。

例えば、

いつ誰が何をどうするという程度の具体性までは必要ない。
特定の犯罪行為に該当する行為を念頭において
(例えば、どこかの誰でもいいが「人を殺す」、どこの誰でもいいが「著作物
 の違法頒布をする」という程度。)
その犯罪の用に供する意図をもってすれば充分である。
当該認識は未必的で足りる。

という規範を立てたとしましょう
(この規範については異論はあって当然。
 問題は、規範をきちんと立てるということ。
 異論がないならないでいいし、異論があるならあるで替るべき規範を示せ、
 ということ。
 同意するかまたは代替案を示さないのであればそれは「法律的議論をする気
 (または能力)がない」と言わざるを得ない。
 なお、幾つかの規範の内、「なぜそのような規範か」「なぜ他は駄目か」と
 いうのはまた別途議論の対象となる。)。

そこで、幇助意思は故意の一般論として自己の行為の純粋事実的な認識(講学
上は裸の事実の認識と言う。)では足りず少なくともそれがどのような「社会
的」(法的ではない)意味があるのかという認識(意味の認識)が必要
(これは規範的構成要件要素でない限り問題はないが、幇助の非定型性を考え
 ればやはり問題となるだろう。)。
そして同じく故意の一般論としてそのような意味があるということを認識する
だけでは足りずそういう意味があるということに対する少なくとも未必的な認
容が必要。
そこで、幇助行為とは先に述べたとおり「正犯の実行行為を精神的または物理
的に容易にする」行為である。
とすれば、幇助意思の内容として、自己の行為が(社会的意味において)正犯
の行為を精神的または物理的に容易にする行為であることの認識および少なく
とも未必的にそれを是とする認容が必要。

と、ここまでは抽象論(業界用語で言うところの(a)の「規範定立」。)でそ
の後、「では本件行為者の認識は如何に?」というのが(b)のあてはめの問
題。
このあてはめの問題を称してすなわち本件行為者の「意図」が問題であるとそ
の筋では言っているのである。


以上、参考にされたし。


F.おまけ。

>>幇助ってのは、もう少し具体的な犯罪への誘導を指すのであって、
>>単に道具を提供しただけでは無理があると思うな。
>
>補強する根拠の提示なしにこのようなことを書かれても、
>    自分はこう思う
>以上のものではありません。

って言うか、そもそも誤りだし。

鈴木は佐藤が描いた絵を盗もうと考え友人高橋に道具を用意立てるよう頼んだ
ところ、高橋は侵入用にドライバーを鈴木に貸した。
(1)鈴木は、そのドライバーで計画通り佐藤宅に侵入、絵を盗んだ。
(2)鈴木は、そのドライバーを持って佐藤宅に赴いたが、たまたま施錠してい
 なかったのでドライバーを使わずに侵入、絵を盗んだ。
高橋の罪責や如何に?

佐藤が描いた絵を盗もうと鈴木が考えていることをたまたま知った高橋は、鈴
木が絵を盗む役に立つように鈴木の仕事場の目に付くところにドライバーを置
いておいたところ、それを見付けた鈴木は高橋の意図を全く知らなかったが、
これ幸いと思いそのドライバーを使って佐藤宅に侵入、絵を盗んだ。
高橋の罪責や如何に?

# 別に複数の例を出したことに大した意味はない。
 一応、前者の(1)は標準的な幇助で、(2)は借りた道具を用いなくても幇助と
 言えるか?という点から幇助の要件を検討する設例。
 後者は、いわゆる片面的幇助の事例。

いずれも窃盗罪の幇助になるというのが判例通説からの帰結ですが、どれも
「単に道具を提供しただけ」ですな。
だいたい「誘導」したら普通は「教唆」ですし。

とまれ、「補強うんぬん」以前に、幇助の「要件」をきちんと示せ、示せない
ならそれは「法律論ではない」ただの感想に過ぎない、と言うべきですね。
そして「ただの感想」で法律判断を前提に行う犯罪の摘発を批判するのは大間
違い。


……ちなみに、後者を、
鈴木が佐藤の作った曲をデジタルデータとしてインターネット上で不正に送信
可能化しようと考えていることを知った高橋は、その役に立つプログラムを作
成しウェブで公開しておいたところそれを見つけた鈴木は、高橋の意図を全く
知らなかったがこれ幸いと当該プログラムを利用し佐藤の曲を不正に送信可能
化した。
と代えたらどうか。
あるいは、鈴木と佐藤が不特定人になった場合はどうか
(これが結局本件なのですよ。
 つまり、「幇助犯の成立要件としての幇助の故意の内容、特に正犯者および
 正犯行為を幇助者がどの程度具体的に認識していれば幇助の故意があると言
 えるか」が問題の本質であって、著作権なんかじゃない。
 だからかつてのいわゆる忍者ナンバーの製造販売業者の裁判と同じ
 (否認して多分むしろこっちの方が難しかったかも知れないが。
  本件は、否認してないからねぇ。)。
 つまり、「いままで調整したことがない」どころか判例はあるのだ。
 おそらく有罪が取れたから、本件もいけると判断したんだろうと予想するけ
 ど。
 それをfj.soc.copyrightで続けている点で既に本質を見誤っていると言わざ
 るを得ない。
 著作権が引っかかると直ぐ著作権プロパーに考えるのは「おつむが単純」と
 しか言えない。)。

-- 
SUZUKI Wataru
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