青龍 wrote:
>  どちらかというと、故意でやってはいけないことをやったからこそ、
> 謝罪する必要があると思います。

ただ、「故意」の場合、ことを起こしたときにはそれなりの「正義」があるわけ
です。つまり確信犯*。

*「確信犯」:道徳的・宗教的・政治的な信念に基づき、自らの行為を正
 しいと信じてなされる犯罪。思想犯・政治犯・国事犯など。
 
 goo辞書
  <http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B3%CE%BF%AE%C8%C8&kind=jn>
 より

アメリカ主導のイラク戦争もこの類ですが、この手の確信犯は、悪いと知りつつ
やっているというよりは、正義と信じてやっています。そしてその「正義」の行
使が、相手には「悪意」の行使として伝わるわけです。

なにしろ、元が国を挙げての「正義」だから、あとで、それが犯罪だということ
になっても、「当時は正義だった」「やらねばならない正統な理由があった」
「犯罪としたのは、後の時代の価値観であるにすぎない」「結局勝てば官軍の論
理にやられただけだ」という気分がいつまでも消えません。一個人なら消えて
も、社会になるとずっと消えないで残ります。

そういう意味では、

>  中国のやり口が以上のようなものであれば、「書面」で明確に謝罪して、
> その態度を徹底すればこのやり口は破綻してしまうのでしょうね。

上記のような社会的気分が残っている限りは、「書面で明確に謝罪」したって、
「その態度を徹底」することは到底無理です。なかんずく政権政党内にそんな気
分がまだ色濃く残っていますから、口頭であろうが、書面にしようが、いずれボ
ロが出る。書面にした上でボロが出るのは、口約束だけのときよりまだ始末が悪
いわけです。そうなれば中国の「やり口」が破綻するどころか、その口実を「書
面」によって補強してしまうことになります。

つまり、故意でやったことに対して詫びを入れてしまうことは、こうした構造的
なねじれを生み、国の対応の一貫性のなさを突く隙を相手に与え続けることにな
るわけです。

「故意でやったんなら謝るべきではない」というのが、世界各国の外交方針の大
勢を占めるゆえんでしょう。

中国はこのことはよくわかった上で、一手一手先を読んで日本の稚拙な外交政策
をうまくついてきているわけです。元が日本の「故意」なだけに、中国に対して
謝れば謝るほど、国としての立場は一貫性を無くし、それが原因で起こる「事
件」を理由にさらなる反省と謝罪をせまられることになるわけです。日本はそう
いう構造的な弱みをすでに中国に押さえられてしまっています。


萩原@グリフィス大学









私はそ
> れをねらっています。
>  さらに徹底して、賠償を放棄した中国をほめ殺しにして逆に相手の行動
> を縛るぐらいの度胸があれば直井委のですが。