青龍 wrote:
>  また、故意と過失は異なるという主張については、過失の結果与えた損害につい
> て謝罪するのに、なぜ、道義的にも法的にも問題のある故意行為によって与えた損
> 害については謝罪する必要はないのかという問題を新たに提起することになるでしょ
> う。

被害者側に立ってみると、わざとやられたものというのは、謝られたっておさま
らないことが多いですね。なぜかというと、相手に悪意があることが伝わるから
です。過失だったら「その気はなかった」わけだから、謝れば許してやろうとい
う気分になることもあるかもしれませんが、自分をやっつけてやろうというのが
故意なら許せない。

それを踏まえて加害者側に立って言えば、わざとやったんなら、もう謝ったって
しょうがない。わざとやったことによる「悪意」はすでに相手に伝わってしまっ
てるんだから、それによって起こる不利益は引き受けるよりしょうがない。米英
中露仏西のような伝統的な覇権国家というのはたいてい過去に相手に伝わった悪
意による現在または未来の不利益は引き受ける方向でかまわないという立場をと
るんでしょう。つまりやったことは悪いとは思うけど、やっちまったんだから、
そのことはしょうがないという態度をとるわけです。

で覇権国家としての経験のほとんどない日本では、中国への侵略が「故意であっ
た」派と、「過ちであった」派があって、「過ちであった」派は謝れば許される
と言い、「故意であった」派は謝るのは無駄だと言うわけですね。

自身が覇権国家の老獪な中国はそれを見て、日本に対しては「謝れば許される」
と言って「良識派」から口頭謝罪と資金援助を引き出し、自国民に対しては「あ
れは故意であった。その証拠に書面で謝らないし、反省もしていない」と教育し
て、大衆レベルで日本に対する反感を盛り上げ、圧力をかけるように仕向けるわ
けです。

さて、謝るべきか、謝らざるべきか。


萩原@グリフィス大学