工繊大の塚本です.

In article <090929200114.M0113428@cs1.kit.ac.jp>
> KyokoYoshida <kyokoyoshida123@gmail.com> writes:
> 数学的対象の集まりclassの定義は単に数学的に思考可能な"集まり"なのですね?
> そのclassがZFC公理系を満たしている時にそのclassは集合であるというのですね。

はい. 正確に言えば, その class の要素が集合です.

> 今まで,公理とは恒真な命題の事とばかり思っていましたが。。

違います. その数学的体系においては「真である」ことが
仮定される命題です.

> 例えば「金閣寺は今日は混んでいるか混んでいないかのどちらかだ」は
> 恒真な命題なので公理と呼べると思います。
> 勘違いしてますでしょうか?

先ず, それが恒真な命題である, と通常考えるのは,
通常の命題論理の公理として「排中律」があるからです.

# 私は「金閣寺」の「混雑」について「数学的に言明」
# するのは「数学の誤用」だろうと思いますが.

「排中律」が成立しない論理学だってあります.

ということで, 色々な意味で勘違いされていると思います.

> 或る集合Gと2項演算子・については群の公理を満たすので(G,・)は真,
> 別の2項演算子*については群の公理を満たさないので偽となる。。
> と言えると思います。

言葉が足りません. 『「 (G, ・) は群である」は真』とか,
『「 (G, ・) は群である」は偽』とか, なら分かります.

> 従って群の公理は述語(命題関数)と言えると思います。

だから, それは「群の公理」の話ではなく, ある具体的な
数学的対象が群であるかないかの話です.
そういう使い方をする場合には「群の公理」のことを
「群の定義」だと言っても良い.

> これは恒真命題では有りませんので
> (2項演算子の定義の仕方によって真にも偽にもなる)
> 群の公理は公理ではなく群の定義(若しくは群の述語)と呼び分け
> るべきだと思うのですが…。

一方で, 「 G が群であれば, C = { g ∈ G | ∀h ∈ G, gh = hg } は
 G の部分群( G の部分集合で, G の演算の制限により群となるもの)
である」というのは「群の公理」だけから導き出される定理です.
こういう「群論」での議論を行う上では「群の公理」という言い方が
適当でしょう.

ま, 「群の公理」というのも「群の定義」というのも,
結局は同じです.

> In article <090615182400.M0119172@cs2.kit.ac.jp>
> Tsukamoto Chiaki <chiaki@kit.ac.jp> writes:
> > ZFC の公理と群の公理での「公理」の意味が違うように
> > 思うのは, 後者ではその公理を満たす群は色々なものが
> > あるのに対し, 前者では集合というものを一意に定めて
> > いるかのように錯覚するからでしょう.
> 
> その通りです。

多分, お分かりではないだろうと思います.

> ZFCの公理系は恒真命題とばかり思っていましたが
> よくよく考えてみると或るclassはZFC公理系を満たすが
> 別のclassはZFC公理系を満たさないという場合(例:全ての集まり)が
> あるでしょうからZFC公理系は恒真命題ではなく述語になっているのですね。
> そういう意味ではZFC公理系は集合の定義と呼ぶべきですよね。

だから「公理系」というのは常に「何か」の定義です.

それが理解された, という前提の上で, 私は違うことを
述べたのですが, まあ, 今は措きましょう.

> 厳密に公理というとA=A など直感的に正しいとしか言いようが無いものが
> "公理"の定義ですよね?

違います. そういう意味では, 「等号 = 」について
「 A = A 」が真であるというのは, それが
「同値関係(等号)の公理」の一部であるから,
という言い方をするのが数学の論理です.

> > 「集合の全体(V)」が「構成可能な集合の全体(L)」と
> > 一致するかどうか,
> 
> うーん、構成可能とはZFC公理系を満たすという意味でしょうか?

違います. このあたりは「数学基礎論」でも調べて下さい.

> こればVがclassでZFC公理系を満たす時,
> VはLとなっていているという解釈でいいのでしょうか?

そうなるという保証はない, という話です.

> > 連続体仮説が成り立つかどうか,
> > などは, 考える「集合の全体」によって違うわけです.
> 
> つまり様々なclassesがあり,
> 或るclassでは連続体仮説が成り立つが
> 別のclassでは連続体仮説が成り立たないという訳ですね。
> 因みにどんなclassだと連続体仮説が成り立ち,
> どんなclassだと連続体仮説が成り立たないのでしょうか?

例えば, 上で挙げた L において連続体仮説が成り立つ
ことがゲーデルによって示されていますし,
連続体仮説が成立しないモデルはコーヘンによって構成されています.
詳しくはそれぞれお調べ下さい.

> categoryになるとはC=(O,A)がmetacategoryで
> OとAがZFC公理系を満たす事をいうのですね。

違います. ZFC 公理系を満たす「集合の全体」が先ずあって,
 O と A とがその要素(つまり集合)であることが分かっている,
とするわけです.

> > 「真偽」という言葉を使うのには二つの場合があります.
> > ある命題が数学的体系を定めている公理から導けるか
> > どうか, という意味での「真偽」を考える場合と,
> > あるものの集まりが, 議論している数学的体系に
> > なっているかどうか, における, 公理の「真偽」を
> > 考える場合です.
> 
> えーとこれは前者は命題の3段論法についての真偽で
> 後者は述語(若しくは命題関数)と呼ばれるものですね。
> 述語は自由変数,命題は束縛変数を使って記述されるものですね。

ちゃんと話が通じているか, 疑問ですが,

> > どちらの話でしょうか.
> 
> どちらでもないようです。物事は真としか考えようのない何らかの大前提
> (これを公理と呼ぶ(?))を打ち立ててから
> 定義や真理関数が議論できるのもだと理解しております。

それは間違っています.

> 「(i) 2項演算について閉じている
> (ii) 結合法則が成り立つ
> (iii) 単位元がある
> (iv) 逆元がある」
> は群の定義と呼んでおりました。

何度も言いますが, 「定義」も「公理」も同じことです.

> 公理の例としては「命題Pは真か偽かのどちらかである」などが
> 挙げられるかと思います。

その「真」「偽」とは何か, という話もありますが,
それはさて措き, 「公理」というものを誤解されている
ことは間違いありません.

> 上にお挙げ頂いた前者は2真理関数(有限個の述語)",
> 後者は"定義"と呼んでおりました。

本質が理解されていれば, どんな名称でも結構ですが.

> > 例えば, 「図」というのを class O と class A の組で,
> > A の要素 f について, dom(f) という O の要素の集まりと,
> > cod(f) という O の要素の集まりが定まるものとしましょう.
> > dom(f) が定まることと cod(f) が定まること以外には
> > 何の公理も仮定しません.
> 
> "Oの要素の集まり"ではなく"Oの要素"ではないのですか?

今は, 複数の要素から, 蛸足のように線が出て, 又,
蛸足のように複数の要素に線が届くようなものを「図」
とするわけです.

> > (O, A) が「図」になる class O, class A の取り方によっては,
> > dom(f) は唯一つの要素かも知れませんし, そうでないかも知れませんし,
> > cod(f) は唯一つの要素かも知れませんし, そうでないかも知れません.
> > (O, A) が metagraph であるかも知れませんし, ないかも知れません.
> 
> そうですね。
 
> > 「図」 (O, A) について言えば, dom(f) が O の唯一つの
> > 要素からなり, cod(f) が O の唯一つの要素からなるときが
> > (O, A) が metagraph になるときです.
> 
> Aの任意のarrow fに対して dom f  と cod f とがOの要素となる時,
> (O,A)はmetagraphであるというのですね。
> ここで疑問なのですが
> "class O と class A とが
> Aの任意の要素fに対して dom f と cod f とがOの唯一つの要素となるように
> domとcodを定義すると(O,A)はmetagraphである"
> と定義してもいいのでしょうか?

そう言っているではありませんか.
 
> > 例えば, O が2つの要素 a, b からなり,
> > A が1つの要素 f からなり, dom(f) = a, cod(f) = b
> > とすれば, ({a, b}, {f}) は metagraph ですが,
> > metacategory ではありません.
> 
> {f}には単位射が存在しない事になりますからmetacategoryとはならないのですね。

はい.

> この事からmetacategoryになるにはdomとcodの定め方に左右されると
> 考えてもいいのでしょうか?

それはそうですが, metacategory になるかどうかは,
どのような arrow が存在するか, にも,
その arrow の合成が何になるか, にも, 関係して定まります.

> いや,∀f∈Aが採れない場合はdom(f)とcod(f)がOの要素なる事は真ですよね
> (∀f∈A自体が既に偽なので)。

そうです.

> 従って,一応この場合でも(O,A)はmetagraphにはなり得ますね。

はい.

> でも∀a∈Oに対してf∈A;dom(f)=cod(f)=aは採りようがないので(∵Aは空集合),
> (O,A)はmetacategoryではない。。 という認識で大丈夫でしょうか?

 metacategory では各 object a に対して, 1_a が存在する
必要があります.

> > 公理系を満たすものがある, と仮定するところからでしょうね.
> 
> ええ? ここでの公理系は任意の公理系なのでしょうか?
> それともZFC公理系の事なのでしょうか?

それは貴方が今どんな数学的体系を相手にしているかで
それぞれ違います.

「集合論」について語るのであれば, ZFC 公理系を満たす
数学的対象が存在する, というところから出発するでしょうし,
「群論」について語るのであれば, 「群の公理」を満たす
集合が存在する, というところから出発するでしょう.
(「集合」が出てきましたから, 「群論」では, 通常
 ZFC 公理系を満たす「集合の全体」の存在も仮定されています.)

「 metacategory 論」について語るのであれば, metacategory
の公理を満たす数学的対象が, 何かある, というところから
出発します. それだけです. 「 category 論」について語る
場合には, 「集合」が出てきますから, 通常 ZFC 公理系を
満たす「集合の全体」の存在も仮定されていることになります.

> よくよく考えるとobjectもarrowも定義されているではないですか。

勿論, 「一つの (meta)category 」が与えられている,
ということは, その (meta)category において,
何が object であり, 何が arrow であるか, が定まっている,
ということです.

> aとfはそれぞれobjectとarrowである。
> (⇔def)
> (i) aとfにはaとfをそれぞれ含むclasses OとAとが存在する。
> (ii) dom(f)とcod(f)はOの要素となるような
> dom,codという(対応っぽいもの)が存在する。
> 
> と述べれませんか?

 O と A が「決まっている」のでなければ, 話になりません.

> すいません。よく読み返してみると意味不明でした。
> class O と class A とがcategoryの公理(categoryの定義)を満たしているなら,
> categoryの定義からOとAは集合でなければならないので
> 勿論,ZFC公理系を満たしていますね。

「 ZRC 公理系を満たす」という言葉遣いがおかしいのです.
 ZFC 公理系を満たす, ある「集合の全体」というものの存在が,
先ず, 仮定されていて, O と A とはその要素(つまり「集合」)である,
というわけです.

> 定義は公理は同じものなのでしょうか?

同じです.

> 公理は(直感的に明らかに)恒真な命題の事
> (例:「今日は金閣寺は混んでいるか混んでいないかのどちらだ」)
> だとばかり思ってましたが。

それは違います.

ある数学的体系において何を「真」であるとするか,
を定めるのが「公理」です. 逆に言えば, その公理が
真であるのがその数学的体系です. その意味で,
その数学的体系を定義するものです.

> 群論のみしか取り扱わないのなら群の公理と呼んでも差し支えないでしょうが,
> でも群の定義と呼んでも差し支えないのなら
> わざわざ"公理"という言葉はを使わずに"定義"という言葉で済ませたものです。

先にも述べたように, 「公理」というか「定義」というか,
は局面に依ります.

> ZFC公理系での外延性の公理は"外延性の定義"とは言いいませんよね。

「外延性の公理」は「集合」の定義の一部ですからね.

> 「A=BならばB=A」なども公理と言えると思います。

「対称律」は「同値関係の公理」の一部です.

> 公理系とは様々な分野で個々の公理系があるのですよね。

はい.

> 代数の世界はZFC公理系から理論が展開され,

だから, 「群の公理」もあれば, 「環の公理」もあれば,
「体の公理」もあれば, 「加群の公理」もあれば, ...

> 幾何学ではEuclidの公理系から理論が展開されるのですよね。

今は「 Euclid の公理系」は使われませんが.

> 解析学ではどのような公理系が使われるのでしょうか?

「実数の公理」というのはお聞きになったことがありませんか.

> よって,現代の数学では少なくとも
> ZFC公理系とEuclidの公理系と解析学の公理系が必要なのですよね。

それぞれの分野で, それぞれの数学的対象について,
それぞれ「公理」を置いて考えます. 勿論, 単に,
「定義」とする場合も多いわけですが, 結局は
同じことです.

> そして,ZFC公理系からEuclid公理系は導けないし,
> にEuclid公理系からZFC公理系も導けないのですよね。

考えている数学的体系が違いますからね.
一方が他方を土台にしていることはあります.

> ふーむ。同値性の公理は明らかの真なので恒真命題と言えないのでしょうか?

ある数学的対象について定義された二項関係「 = 」が
同値関係の公理を満足するかどうか, は,
その二項関係に依ります. 勿論,
同値関係の公理を満足しない場合には
普通「 = 」という記号を使うことはないでしょうから,
「 = 」という記号が使ってある場合に, 「 a = a 」とか,
「 a = b ならば b = a 」とかが成立するのは
「明らかの真」と見えるでしょうが, 話は逆で,
「真」である場合に「 = 」が使ってあるので, つまり,
「同値関係の公理」が「恒真命題」である場合に使ってあるので,
「明らかの真なので恒真命題」というのは誤った解釈です.

> > しかし, 数学的体系における「公理」の理解も
> > 怪しいようですね. 「岩波数学入門辞典」の
> > 「公理」「公理系」の項目を読んで見ると良いかも知れません.
> 
> ご紹介ありがとうございます。
> 公理が恒真命題の事であるという認識はHilbertの公理主義数学以前の数学での話で
> 近代数学では非Euclid幾何学での教訓から恒真命題だと思っていたものが
> 後々矛盾をはらんで来るかもしれないので公理は恒真命題の事とは言い切れず,
> 単に理論を展開させる為に最初に必ず必要な大前提の事なのですね。
> 集合論ではZFC公理系が最初に仮定されて,
> これらの公理を用いてこまごました事柄が定義されて理論が組み立てられるのですね。
> 強いて公理と定義の違いを申せば
> 前者は大前提で後者はその大前提をもとにした取り決め事ということでしょうか。

ちゃんと理解しているのであれば, ここまでの部分も見直してから
投稿されるべきです.

> 「お話し・数学基礎論「八杉満利子」」で恒真命題の事を公理と呼ぶと
> 紹介されていたので公理と言ったら恒真命題の事だとばかり思い込んでおりました。
> 公理が恒真命題であるという認識は公理主義数学時代以前の事なのですね。

それは「その体系において恒真命題とすべきことを公理と定める」
という話を誤解されているのではないですか.

> > > 「∀a∈Ob(C)に対し,domf=codf=aなる射fが存在する」
> > id(a) の存在の話なら, それだけでは不十分です.
> 
> ん? 何が足りませんか?

 dom(g) = a となる任意の arrow g について, g○id(a) = g,
 cod(h) = a となる任意の arrow h について, id(a)○h = h.

> 「f ∈ A が dom(f) = a であれば, f○id(a) = f であり,
> g ∈ A が cod(g) = a であれば, id(a)○g = g であるものです」
> はid(a)の定義の一部なのでしょうか?

そうです.

> id(a)の定義"dom(id(a)) = a, cod(id(a)) = a" と
> 合成射○の定義から導かれる命題かとも思うのですが。。

だから, dom(f) = a, cod(f) = a となる arrow f は
 id(a) 以外にも色々とある場合が普通です.
 id(a) がその中で特別なものであることを,
この条件で指定しておかなければなりません.

> > > (C,A)をAを射とするmetagraphとすると, 「(i) CはZFC公理系を持つ。
> > その言葉遣いがおかしい.
> 
> 「(i) CにZFC公理系を仮定する。」と申せばよかったでしょうか?

 C は「集合である」です. 集合とは何か, は
 ZFC 公理系を満たす「集合の全体」が一つ定まっている,
として, その「集合の全体」の要素です.

> > > (ii) ∀a∈Ob(C)に対し,Ob(A)∋∃f such that domf=codf=a.
> > これも駄目.
> 
> 「(ii) Cの任意の要素aに対し,domf=codf=aなるAの要素fが唯一つ定まる」で
> 宜しいでしょうか?

上で述べたように, id(a) は dom(f) = cod(f) = a である
 A の要素の中で「特別」のものです.

> 「metacategory(C,A)に於いては∀a∈Cに対して,
> domf=codf=bなる射fが存在し,更に
> 射f,gがdom(f)=a, cod(f)=dom(g)=b, cod(g)=cの時,
> id(b)○f=f, g○id(b)=g
> を満たす。」
> で宜しいでしょうか?

 a と b が入れ替わっています. 「∀b ∈ C に対して,」
とするのが一番少なくてすむ訂正ですね.

こちらもすべては指摘し切れませんから,
後は自己修正して下さい.
-- 
塚本千秋@応用数学.基盤科学部門.京都工芸繊維大学
Tsukamoto, C. : chiaki@kit.ac.jp