ギルガメスの体内で1日に1個は命が作られるのです(そっちかよ!)。もとい, エクステンドがあるって事でしょうか(おいおい)。80年間在位しているのも, 実は寿命を超越しちゃってるんだったりして。あ, いや, カーヤに「今生の別れ」って言ってたから, 壮健に見えても流石に寿命は自覚しているのかな。死なない事, 側近の中でも知っている者は少ないみたいですけど。
塔から落下してくる魔物が増えてくる今日この頃, 今もまたスライムが落下して……スライムに名乗る馬鹿が(^^;;; イナカじゃ魔物を見る事も少なかったのかなー。「あれは! ……溺れていますね」スーパーアビリティを発揮したりはしないんだ(^^;;; 石頭も溺死には関係ないしなあ。
スライムに食われていたのはクーパでしたか。いやあ, 裏1話でも色々発揮していたけど, 話のテンポが良い娘ですね。カーヤと組み合わせると凄く面白い会話になります。また, ジルに対するカーヤの『おっとり突っ込み』と, メルトに対するクーパの『きっぱり突っ込み』の対比もそれぞれに笑えますね。『一日で馘首』仲間として親近感持ってしまうジルと, 自分を棚に上げてるメルトっていうのも。「見栄を張る前にまともな就職先を見つけてお家の再興を目指して下さい!」塔頂者パーティって就職先だったの?(^^;;;
ギルガメス暗殺未遂事件参考人(?)として拘束される5人。主張するジルを無視して出廷させられるカーヤ……この時点では良いけど, 話が着いたとあっさり言った時に, アーメイくらいは疑問に思ったんじゃ……いや, アーメイならカーヤの出自くらい知っていてもおかしくないかな? 案外鋭そうなメルトが気付くかな(誰かに疑念持ってて欲しい)。ジルは気付く筈ないけどね(^^;;; で, カーヤですが, 会話からしてギルの身内, 王女とか, あるいはカイ本人という可能性も考えられますな。そのカーヤが見込んだ者としてのジルに剣を託すギル……剣の力で戦うような事にはならんで欲しいけど。だって剣の経験値(XANADU風)低いし。
攻撃魔法の実力を発揮するメルト。「3番でございます!」クーパ, キャディだったんだ(^^;;; 「凄い, 口だけの自称魔法使いじゃなかったんだ……」さあ, 口だけの自称戦士でしかないジルはどうします? 今のままだと「5人って, この2人の事も含まれるの?」むしろジルを抜くべきではって思っちゃいますよ?(^^;;;
通販到着(風呂入ってる時に配達された(^^;;; )。
以上。革サドルは濡れに弱いので, こういうのが必要なのです。純正品。
女子剣道部vs男子剣道部……というか, 乳ファンクラブ。一瞬でもまともに相手しようとした時点でなえかの精神的負けです(^^;;; そんな変態どもを成敗している脇でなえかを見つめる目に気付く, 妖怪センサーならぬメイドガイセンサー。これはフルメタっぽくなるのか, と思いきや……むしろロッカー爆破しそうなのはなえかの方でしたな(^^;;;
「昔は姉ちゃんも, 運命の出会いに憧れ, フラグにときめき, ベストエンディングを夢見た恋する少女だったんだ」なんだその表現。しかるにそんな甘酢っぱい過去も, 『毒殺女』の異名と共に返上してしまったなえか。でもベッドの下には……ちょっと古めのティーンズ雑誌? 「たった一度の失恋も乗り越えられないぶんざいで剣の道を語るなど笑止!」「失恋がどんなに辛いか知ってるの!? 僕なんてバッドエンドの度に枕を濡らしているんだから!」幸助は二次元が真剣に恋人らしい……。「何が眼鏡に妹に猫耳だ! この呪われた子孫達め!」鞠絵にキョン妹に葉月ですな。葉月は角川系ではないんですけど。
「メイドガイ特製ドリンク, しかも嬉しいカロリー0!」なえかの扱いに一つ慣れたようです(^^;;; で, その中身は……媚薬ですか? 今の富士原家においては, 誰を相手に発情しても面白い事になってしまいますな。ということで被害者はフブキ「コガラシさんどうするんですかこれー!?」「心配するなもっとやれ。小一時間ほど外に出ている」空気読まなきゃbyマイメロ(^^;;; そしてやってきたじーちゃん → 猟奇現場(^^;;;
エビフライ特訓……回想シーンで出来てたのは, 少なくとも見た目はまともな弁当だったのに, 結局爆発料理人なんですな(^^;;; 「お食べ(↓)」「女の子の料理は残さず食べる, それが男の運命です(↓)」最低限, 食べても命に別状無いものなのであれば, そうだけどさ(^^;;; 「……食べ物だ! 人が食べても平気なものだ! しかもエビフライだと味で判るほどの出来栄えだ!」そこまで感動されてしまうのって, なえかが如何に猛毒料理人として名を馳せていたかが知れるというものです。あの弁当1食だけじゃないって事だよね。
ここまで来てようやくラブレター開封。そして頭の中がピンク色に……「まだ相手, どんなの来るか判ってないのにね」「え゛。……そーいやそーだ!?」でもすぐまたおピンク思考になってしまうばかりでしたけど(おピンク違う)。「主人の恋を出会いから契りまで篤く見守り奉仕する! それがこの俺メイドガイ!」見守るんかい(^^;;;
まあ, OPから予想はできてましたけど, 相手は女の子でした……なえか以上に恒常的おピンク思考の。「安心しろ, 御主人の趣味にはどこまでも寛容だ!」学校の地下にラ○ホ○ル用意するくらい周到なのは, 寛容の一言で済ませられるレベルではないのでは(^^;;;
テンゾウって, ヤマトの以前の名? ダンゾウと何か似てるよーな。
木ノ葉の風使い, 即ちナルトの先達, アスマ。コツを聞きに行くと, 条件はさっきシカマルに負けた分の焼肉代金を立て替える事……アスマの所にはチョウジ居るよな, ってすぐ判りましたよ, どーしてナルトは気付かんの(^^;;;
風を使うコツは, 二つのチャクラを極力薄く摺り合わせ, 鋭利な貫通力を齎す事。実演を見て思い出したのは, 木ノ葉病院屋上でのナルトvsサスケです。あの時のナルトの螺旋眼は, 水タンクを貫通してましたよね。鋭さではなく限りなく力技だったとは思いますけど。
対人関係の本を呼んでるサイ。「友達が仕事や趣味などで人一倍頑張っている時は, さりげなく差入れ。……人一倍, どころじゃないな……」多重影分身だもんね(^^;;; 林檎投げつけたりするんじゃなくて, 修行風景を写生してプレゼントしようって事でしょうかね。大分, 気が利くようになってきてますな。
国境付近の村で襲撃事件があり, 調査に駆り出される元第10班。紅への花束を買ったところで呼び出されてしまうアスマ……あー, なんかアスマ先生, 死亡フラグ立ててるような……。お, 木ノ葉丸達もDランク任務をこなすようになってるんですか。そしてカカシは自来也と共に暁の動向調査……暁という危険窮まりない相手だからとはいえ, 最上位級の上忍を常に出していなければならないのは辛いところですな。
ナルト達はヤマトを隊長に墓荒し調査。こういうのが得てしてアスマ達の任務と絡んで来たりするものですな, 流れ的に。で, 襲撃関係者らしいフリド一行。火の国の, 木ノ葉とは別の戦闘集団って事でしょうか?
次回: またスペシャルかよー。スペシャルとなると見逃しかねないんだよなあ(それはお前が不注意なだけだ > 水野)。
木ノ葉人物短冊帖: 三代目についてだったら, また再放送とシンクロするところだったんだけどね(昨日放映分で三代目が逝去)。
今日は会社の大学OB会。1年に1回の機会です。だもんで, 同日同時刻にバッティングしてしまった職場の宴会を辞退してしまいました。こっちはまた年内に機会あるさ。
そして……仕事が炎上して, 1時間半以上遅刻してしまいました。2・3年前の, 1次会終了ギリギリまで遅刻かました時よりはマシですけど(特に3年前は幹事だった)。加えて明日が明日なので, 2次会は逃れてきました。
さーて, 色々準備があるぞっと。夜のうちに洗濯洗濯。
まずは三鷹駅で自転車を分解して(サドルはまだ外したまま :-),
鉄路を移動して,
目的地でサドルも含め再構築。……どこかって, 言うまでもないですよね? E3系乗ったんですから。はい, 持って来ちゃいました秋田まで。これで好き放題乗って回るぞー。明日雨だけど。
今回の目玉: 先月関東測量局で入手した, 秋田市付近の旧版地形図。これを生き証人とも言える両親とともに研究したいのですよ……両親は旧地形に興味あったりしないので, あまり深く突っ込むと協力が得られなくなりかねないので, 細心の注意が必要だったりしますが。
母は手形・広面近辺が本拠地で, 父は楢山・牛島近辺が本拠地です。特に父は昔から活動範囲が広かったようで, 都市部・主要道については色々聞く事ができました。最終的には資料に当たらないといけませんが, 手がかりが掴めます。秋田市電に山王の「県庁前」駅は最初から最後まで存在しなかった, との証言が得られましたので, 確認しなくちゃ。
比較的最近の話として, 国道13号の和田トンネルというものがあります。秋田市と河辺町(今は秋田市に編入)の間にあったんですが, 秋田自動車道秋田南IC開設に伴って前後の13号を拡幅した際, トンネル隣接地に切り通しを作ってトンネルは廃止された……のが平成に入ってからの話。私, 昔何度もトンネル通ってるんですが, そこまで行動圏になった頃には廃止されてたので, 一度は自力で行ってみたいんですよ。埋められたとも聞くけど, それならそれを確認したいです。自動車ではもう行けない場所だからこそ, 自転車の出番です。
13号と言えば羽州街道。久保田城下では牛島から楢山を通って馬口労町に入り, 大町筋・茶町筋に一旦分かれて通町で合流し, 鉄砲町を経て八橋・寺内・土崎へ抜ける, それは判ります。では牛島より南, 仁井田・四ツ小屋付近は? いくつか旧道が地図上で確認できているんですけど, 御所野に近いあたりは不自然な線形を描いて現道に合流しているので, なんかここは旧道とされている道も本来の街道とは別のような気がしてます。実際はどうだったのか……ああっ, 手持ちの旧版地形図だとギリギリ範囲外だ。前線基地に戻ったら旧版羽後和田も入手しなきゃ(^^;;;
昼の気温は東京より暑かったりする秋田ですが……夜になったらストーブ点火してた(^^;;;
今日は雨じゃなかったの? 昨夜は雨降ってたけど, 朝なったらむしろ晴れたんですが。
とにかく, 午後になってから出発。私は秋田県立図書館へ, 父母は精米所へ行くのです。もののついでなので私が車を回し, 図書館で父と交替するという事にしました。で……秋田中央道路初体験ー。去年できたばかりなのですよ。
事前に父から言われてましたが, 40km/h制限のところを60km/hで, 60km/h制限のところを80km/hで流れています。道の曲がりっぷりがなんか(新)日原トンネルを彷彿とさせましたが, 今回は自転車じゃなくて自動車ですからね(註: 秋田中央道路は自動車専用道)。スピード感が全然違って結構恐いです。
あっと言う間に旭北ランプ。って, 雨降って来てるよ。手形と川尻で天気違うんですか? ……山王十字路越えたらいきなりどしゃ降りっぽくなったよ!? ま, 前が〜。
県立図書館, 来るのは何年ぶりだろ? 少なくとも就職してからは初めてだから, 最低でも6年にはなるよね。ここは秋田県公文書館でもあるので, 行政関係の資料とかは大量に見付かるのではないかと期待しているんです。調べるのは例によって, 藩政期の手形村・広面村・楢山村〜明治期の下旭川村(旭川村)・広山田村, 仁別森林鉄道と秋田市電とか。
……秋田県史と秋田市史を読んでるだけで時間過ぎてしまいました。この辺, ボリュームありすぎます。残念ながら大いなる発見とか言えそうなものには至らなかったのですが, 確認済事実の補強はかなりありました。その中で一番凄かったのは, 旭川村を秋田市に編入する際の秋田県議会議事録でした。大秋田市構想の中で, 秋田市に近接する手形・保戸野・泉の下旭川3集落を編入しようとしたけど, それだと取り残される上旭川5集落(新藤田・濁川・添川・山内・仁別)が破綻しかねないから, 救済のために村域全面編入にした, とかって話になってたんですわ。
さて, 閉館時間も近い17:35に図書館を退出。献血行くつもりだったけど全然時間ないや。とにかく, 秋田駅方向へ徒歩で戻ります。二丁目橋まで25分, 上土橋(久保田町交差点)まで15分ってところ。
さっき出て来た, 中央道路旭北ランプ。これを含めて下り5車線って, 山王十字路凄い事になったなあ。
當福寺の八重桜が結構綺麗だったので一枚。
久保田城の広小路沿い外堀。中土橋を挟んで西側が「穴門の堀」, 東側が「大手門の堀」です。奥に写っているのは国学館高校。おや, 鷺が。
ついでに加賀谷書店本店へ。図書館で読んだうちに羽州街道の本がありまして, これ手に入れられないかと思って。……見付からないー。じゃあジュンク堂へ……やっぱり見付からないー。うーん, こっちをコピー貰って来るべきだったか!? まあ発見確認事項は覚えてるけど。仁井田から和田にかけての旧道が辿る道筋。残念ながら御所野付近で一部消失しているみたいですが。
秋田県警もネイガーに出演を依頼したか(^^;;; ここ, 実はアニメイト秋田が入居しているビルなんですが, 1Fは以前サンクスだった筈。駅前でも経営は苦しいか……すぐ向かいにローソンできてるけど。
秋田駅をWeロードで越えるのが本拠地への一番の近道なんですが, 思う所あって手形堀反(秋田のヲの字には「画門のあった道」と言えば……)へ行きました。今の私は知っている, ここがかつては久保田城の東側外堀に沿った道だということを。そのせいで単なる道としては不自然な線形を描いているんですが, 駅前再開発でその歴史ある線形が破壊されるらしいと聞いてしまったので……。
まあ, 秋田駅まで徒歩1〜5分という絶好立地にも関わらず, 今では商業圏としても住宅圏としても寂れすぎている地域なので, 再開発そのものは必要だと思います。街区の整理も必要でしょう。でも, 堀反の線形だけは残して欲しい……手形蛇野赤沼街道だって, 田中から搦田へ抜ける道(名前不明)とか, バイパスはできても旧道ちゃんと残ってるんだからさ。
手形陸橋の南にある跨線橋を渡って, 小学生の頃は良く通学路にしていた裏道を通り……ううっ, ここも道がかなり変わって来てるっ……!
やっと自転車の出番です。とは言っても今日は風が強いため, あまり派手な事はしません。まずは母が銀行へ行くのに付き合って……銀行から出たら自転車倒れてた(涙)
それから一人で, 東通りを南下。楢山字明田(東通明田)へ向かいます。古地図との比較で, 近世の楢山村って明田の辺りじゃないかなーと思っていたり。そこに何があるかと言うと……
全国各地にある「富士山」の一つ, 明田富士です。正式名称は「富士山」(ふじやま)。身近すぎて逆に知らなかったんですが, 知ったからには来ないといけない場所ですな。
僅か2分で登頂 :-) 流石「日本一低い富士山」(日本山岳会認定)だけの事はありますな。ちなみに非認定の最低では, 観光用の築山ですが秋田県南秋田郡大潟村の大潟富士があります(海抜0m, 周辺比高3,776mm)。
山頂からの眺望です。南南西の金照寺山・大森山方面, 西の明田踏切跡方面, 北北西の秋田駅・神明山・五庵山方面, 北北東の秋田大学・手形山方面。
金照寺山との間に, 奥羽本線(秋田新幹線)が走っています。羽越本線との分岐点も近いので, 羽越本線側も少し遠いですが見えます(列車走らなかったから撮影せず)。
かつて「開かずの踏切」として知られた明田踏切跡を両側から眺めたり, 大工町(通町)の本屋に10年ぶりくらいに行ってみたり(無明舎の羽州街道本, どっかに無いかな〜), また県立図書館へ行こうとして思い直したり, しつつ……アトリオンで献血してきました :-)
成分献血は時間かかるから, あまり廻ってる時間無くなって来ました。じゃあどうしようっと, あまり深く考えず, すぐそこへ。
千秋公園。久保田城の跡地です。ここも身近にしてあんまり来ない場所……春における秋田市最大の観光地ではありますけど。つまり桜の名所。今年はもう終っちゃってますけどね。
彌高神社, 新兵具隅櫓(註: 天守ではありません!), 最後の藩主・佐竹義尭像, 御物頭御番所, 本丸表門。見て廻って気付いたけど, 久保田城関連の整備って高田市長の時代にされたのが結構多いんですね。なんとも懐かしい(註: 高田市長の孫が小学校の先輩で縁あり)。
手形上丁, 北ノ丸新町, 東中, 田中本町, 秋田大学前と通って帰宅。去年, 母が田中の付近で道間違えたと言っていたんですが, 実際通ってみて……あー, こりゃ確かに迷うわ(^^;;; 私は知ってて, しかも南側から来たからすぐ判ったけど, 知らずに西側から歩いたら間違いなく搦田に行っちゃうわ。「まっすぐ行くには右へ曲がる」必要があるんだけど, その右折小路がほとんど「民家の軒先」。判んないよこんなの。
見て見てこの幹線道路っぷり。田圃の畦道(の中では主要道だったけど)だった頃とほとんど道幅変わってないんだよ。
註: 以下は写真があるかのように書いていますが, 旅行記書きますので雑記には載せません。
秋田でお世話になってる自転車屋は2軒あるのですが, 1軒が手形から広面に移転した……と聞いていたので, 付近を探してみました。見付かりませんでした。うーん, どこなんだろ。
そこで, もう1軒(前のMTBを買った店)に行きました。目的は, 先代皇帝のハンドルバー交換。正確には, 交換しようとして上手くできなかったので方法を聞く事。ステムの螺を外したけど, バーが抜けないんですよ。……「ドライバなんかで力任せに広げろ」だって(^^;;; それだと割れそうなんだけど……む? もしかして, 多少なりとも広がった状態で, 横方向に……あ, 抜けた(註: 帰宅後に外しました)。
もう1つ, 現皇帝の後部泥避けをフレームに固定している螺が飛んでしまっている件もあります。こちらは適当な螺を貰って来ました。都合, 支出は30円(^^;;; 帰宅後に後輪を外して, 螺取り付けてっと。まだ泥避けそのものが歪んでいる(車輪が斜めになってるって事は流石に無いでしょ)から, それこそ力任せに修正してっと。
ジュンク堂へ行って, 1:25000地形図「松原」「太平山」を買って来ました。松原は既に持ってますが, 今回は旧版比較用ではなく, 実用つまり走行時に使う地図としての購入です。1/6に折り畳んで持って行くのです(秋田東部相当の箇所は地図不要)。
結局なんだかんだで昼過ぎに出発。秋田で初めての本格自転車旅。目的地は, 秋田県道401号雄和仁別自転車道線……というより仁別森林鉄道廃線跡を経由しての, 太平山麓旭又キャンプ場。並行する車道の終点であり, 太平山登山道の入口(旭又口)です。山登りもしたいところなんですが, 5月はまだ残雪があるため素人が安易に踏み込むのは危険ですから, 入口までにしておくのです。
まず林鉄秋田駅(JR秋田駅北東部)の跡地まで行って, 三角道(と呼ぶのは私だけ)を通って秋田県道15号秋田八郎潟線へ。秋田大学前から秋田高校下までは15号と重複しているんです(20年くらい前に拡幅・一部バイパス化されてるけど)。そして秋田高校下からは生活道路化した細い道。多分, ここを通るのはそれこそ20年ぶりくらい。ゆっくりしたカーブを描きつつ, 手形山の裾野を進みます。
濁川から添川にかけて少しだけPR15に吸収され, また離れます。秋田自動車道を潜って農村地に出ると, 去年見た矢坂農道橋が外され, 去年建設中だった湯沢橋が開通している事を確認できました。
湯沢橋と更に隣接する「自転車道」という名の橋を渡ります。赤く塗装されたプレートガーター橋は林鉄の橋の証拠, と言いたくなるくらい, 今後も頻繁に出て来ます。……で, この橋, 正式名称は何て言うの?
その後もPR15に吸収されたり離れたりを繰り返し, 松原の集落に来ると……この辺りだけ, 軌道跡が幅広くなってました。もしかしてここですか, 松原駅跡は? 痕跡は道幅以外に何もないけど, 集落住民の利便を考えると当然ありそうな場所ですし……。
藤倉神社付近で自転車道とPR15が接続されるんですが, 自転車道はすぐに離れて行きます。が, 私はここでPR15の方へ移りました。何故かと言うと, 県道の旧道脇に林鉄跡と思われる細い橋があると判っているからです。林鉄はこっちを通っていたのではないかと。現在この橋は, 国指定重要文化財となった藤倉水源地へのアクセス路となったため, 車が通る事自体信じられないような幅をばんばん車が通っています。
……が, 結果として, こっちを林鉄が通っていた事は無い, と結論付けました。この次の, 林鉄の橋とはっきりしている「洞門の橋」「長橋」へ行くには藤倉ダムの堤体上を通るしかないんですが, 「手前が階段」「直角に曲がる」「周囲に他に橋をかけられる場所が無い」の三重苦。挙げ句, 堤体ですら対岸まで到達してません(中間の岩場まで)。木材満載した貨車に耐えられる強度も無さそうですし, どう考えてもこっちではないですね。自転車道が林鉄跡をちゃんと辿っているんでしょう。
しかし, それでは, 手前の「赤く塗装されたプレートガーター橋」は一体何なんだ, という疑問が残ります。林鉄でないとすれば, 何故同じ特徴を持っている……?
改めて藤倉神社から自転車道へ。PR15の現道と交差し, 旧道と合流し, また現道と合流し, そして藤倉水源地脇で二段桟橋を通ります。その先は例の「洞門の橋」。それら通り過ぎて, ようやく仁別の集落に到達します。
堂の下橋を少し過ぎたところが仁別駅跡。仁別集落の最寄り駅である以上に, 林鉄最大の中継基地でした。ここから数々の支線があちこちの山へ延びており, 杉材を大量に運搬していたのです。
堂の下橋を渡って, 次の橋へ。この橋も名前が判らないんだよなあ……。この手前に旭川ダム直下へ向かう未舗装路があるのですが, 自転車どころか徒歩でも進入困難な深いぬかるみになっていたため, 断念しました。
旭川ダム建設や仁別リゾート公園整備などでこの付近の林鉄跡は破壊され, 続きはダム管理事務所脇から始まります。だからまずはダムへ向かい……む? 途中の急カーブの内側に, なにやら変な方向を向いた看板が……廃道が!? こ, これは, 破壊された自転車道の痕跡(看板は自転車道の案内)では!? ここに繋がる可能性があるのはただ1つ, 管理事務所から『下る』道。正月に見付けてた道です。あの時は雪が深くて路盤が確認できなかったから途中で止めたけど, 今なら!
……春は春で草木が深くて大変でしたが, 看板まで辿り着く事ができました。間違いありません, リゾート公園整備で寸断された林鉄跡と旧車道の痕跡です。いやあ, ちょっとしたオブローダーの気分。車道は林鉄跡とはちょっと違う方向へ行っていましたが, 現道に切断されて終わっていました。多分, 少し違う高さ・角度でダム管理事務所へ行っていたんでしょう。
さてさて, ダム管理事務所からの林鉄跡。「
……写真撮りまくってたから時間かかりすぎて, 旭又まで行くのは無理っぽい……と思いながら, 辿り着いた務沢駅跡。Yahoo! 地図情報では既に川も道も描かれていませんが(崖上にあるのは車道の仁別林道), 自転車道はここが終点です。但し林鉄跡はまだ続くので, 自転車で先へ進む事も可能です。が, 時間の問題で, ここまでにしました。もうちょっと先で車道に上がり, 仁別森林博物館で最終としました。ちなみに, 務沢駅はホーム跡が駐輪場になっており, 林道脇の看板でしっかり「務沢駅跡」と書かれてあり, ここまで走って来た中で唯一林鉄跡である事がはっきりした場所です。
帰りは仁別林道をがーっと走ります。こっちも一部は林鉄跡だったりするんですよ。おっかな橋から下流方向は, 砥沢線。おっかな橋と高橋には林鉄橋脚跡が同じようにありました。……おっかな橋, 私にとって自転車趣味となるきっかけの一つなんだよなー。15年ぶりに来たよ。
高橋からはPR15で, もう現道をつっ走って帰りました。
すっごく遅くなりましたが, 旅行記「仁別林鉄廃線探訪 〜旭川の橋〜」を公開します。
私の母も, サイクリストとは言えませんが, リハビリというか健康増進のような目的で自転車や徒歩やってます。なので今日は, 半分無理矢理に連れ出して走って来ました。目的地は, 秋田市上北手古野と旧河辺郡河辺町北野田高屋を結ぶ国道13号……の旧道, 和田トンネル。秋田県内のR13で唯一のトンネルだったところです(山形県境の雄勝トンネルを除く)。現在は北側に切り通しのバイパスが通っています。
まずは広面に出てカナヨコ(県道41号秋田昭和線, 通称横山金足線)を南下。途中, 下北手桜に小さな山があるんですが……スポーツ車では平気だけど, ママチャリな母はいきなりバテてました。確かに, 変速がまったくできないっていうのは, ちょっとした坂でも大変だよなあ……。せめて3段変速くらいあれば良かったんだけど。
南ヶ丘ニュータウンの南ちゃん, まだ居た(^^;;; 今や入居者不足で政治問題になってたりするんですよ。
桜の丘を過ぎてからは, R13との合流点である横山付近まで平坦です。距離があり, 周辺はほとんど水田なのに, 異様に歩道が幅広で便利です(昔通った時は, まだ車道だけで歩道相当は畦道そのものだったけど)。で, R13バイパスではなく, 手前の旧道(羽州街道)に入ります。
横山から河辺の中心街である和田(古くは式田宮崎村)まで, 御所野の峠道になります。やっぱりスポーツ車では大した事無い=ママチャリでは厳しい坂です。後で判断するに, 同じ高さを稼ぐのに, 旧道は短距離急坂・バイパスは長距離緩坂を登ってますね。果してどっちが母には楽だったか? 正解は「どっちも厳しい」。
御所野のこの辺りで旧道とバイパスが最接近しています。本来なら現道を跨いで対岸へ行く筈なんですけど, 今では柵で区切られていて全く通れません。ついでに, 対岸の御所野ニュータウン内では旧道は一部完全に破壊されてます。ま, 今回はそこが目的じゃありませんから, これ以上旧道にはいきませんけどね(正確には「旧々道」だし。和田トンネルが「旧道」)。もうちょっと先でバイパスに入ります。
秋田自動車道秋田南ICを越えると, 峠は下りに入ります。問題の和田トンネルは対岸側にあり, 多分こっち側からは行けない筈……
あれだ。なんかトラックが停まってるのが, 工事が行われている可能性を思わせて気になりますが, 位置も線形も和田トンネルの場所に間違いありません。道を渡る訳には行きませんから, 一旦和田の交差点まで行ってから引き返します。
交差点を渡ったところに, 既に紫陽花が咲いてました。流石は母, 目聡い。
それでは, 和田トンネル目指して戻ります。河辺側からの風景はこんな感じです。ちなみに, 河辺側のトンネル抗門は完全に消滅しているらしいです。現道か, 周辺施設(ボートピア河辺)か, いずれかに削られたんでしょう。
さっき対岸から見付けた場所に来ました(Yahoo! 地図はちょっと間違ってる)。すると目の前の土手の上に, 明らかに旧道の痕跡であるアスファルト。その反対側は, 間違いなく旧国道です。トラックは, どこかの作業員の方が, 昼休みに来てたみたいですね。対岸から見た時は人が居たんですが, この時は誰も居ませんでした。
埋められてるー! 堀割を埋め尽くすかのように土砂が積まれていました(目測5m)。でも, 徒歩で上に上がることはできたぞー。道路と見紛うほどに整地された土砂の上に登ると, 向こうにはっきり判る, トンネルの抗門が……!
写真だと判り辛いのですが, 土砂道はトンネル手前で一旦途切れて谷になっており, 下に水まで流れていました。傾斜が急すぎてとても降りられないので, 一旦横に降りて谷を迂回し, 登り直します。
『谷』のギリギリ手前あたりから, 現道が見えました。ここ, 和田から戻る時に気が付いてた, 堀割の高さが一部低くなってた場所ですね。てことは, 現道から徒歩で直接あぷろーちする事も可能だった……?
あった……まだ見えたよ, 和田トンネルの銘板。一部読み辛かったので, 下草をちょっと払い除けたところ, そこにあった文字は「昭和37年10月竣功」。「竣工」じゃなくて「竣功」ですよ, よっぽどこのバイパス開通が歴史的快挙だったんだろうなあ。戸島の宿場を経由しないバイパスが……。
この後, 仁井田から旧羽州街道を辿って刈穂橋手前まで行き, 中央通り・西根小屋町・広小路・手形堀反町・手形谷地町・林鉄貯木場を経由して帰宅。約30kmを3時間での旅でした。出発前に母曰く「4時間が限界」。帰宅後に母曰く「これだけ走ってまだ3時間?」。相当厳しかったよーです。でも, 自力で河辺まで行けるんだって事は解ったでしょ?