! "<408464e4$0$19839$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Tue, 20 Apr 2004 08:46:43 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> 1.実践することが社会的に正しいことを人に勧めるのは社会的に正しい
> 2.自分が実践してもいないことを人に勧めるのは社会的に正しくない

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<c5r56b$11j$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>> 本当に2が正しければね。
>> 
>>> つまり、KGK氏は「自己棚上げの何が悪い」と主張しているんですね。
>> 
>> いいかげん、一部の行為を許容することと、全部の行為を許容することの区別
>> ぐらいはつけてください。

> つまり、KGK氏は「一部の自己棚上げ行為の何が悪い」と主張してるわけね。

いいえ。
「その自己棚上げを構成する行為群のあるものは許容でき、あるものは許容で
きない」という主張です。

まあ、「自分を棚に上げた行為」というものによいものもわるいものもあるっ
てのは思ってます。

http://www2.biglobe.ne.jp/~h-shin/high/high2000/instruct.html とか、
http://homepage2.nifty.com/ozakit/rekkyo/2002_7-1.html の2002.7.
13(土)の項の中盤とか、
http://www.i-cube.co.jp/mirai/01winter/sutekina/ のLesson.1とかは、妥
当な棚上げにしかただと思うし、そうやってうまく棚上げできない人は、
http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Bass/9049/jikomujyun.htm なんてこ
とで悩んだりするんだろうと思っています。

> 例外を主張するのは自由ですが、当然、例外である根拠を示す必要がありま
> す。先ず、それを行うべきでしょう。

特に例外ってわけじゃないし、例外であるかどうかに意味があるわけじゃない。

>> まっとうな批判であれば、もともとある責任に対する自覚を促すものです。
>> で、たとえ自分に責任の自覚が生まれてなくても、他人に責任の自覚が生まれ
>> るのは目出度いことです。
>> その責任が社会的に適切である限りは。

> 常識的に言って「社会的な責任」に自分と他人の違いはない。従って、「自分
> に責任の自覚が生まれていない」のに他人の無責任さに*だけ*気付くってのに
> は無理がありますね。

無理があったら何でしょう?
無理があろうがなかろうが、相手に自覚が生まれれば目出度いと思いますが。

>> で、「2が正しくないという立場」での「正しい内容の批判」から「お前こそ
>> ループ」が生まれるという根拠が何かありますか?

> KGK氏の立場がどうであろうと「お前こそやってないじゃないか」という同様
> に「正しい内容の批判」を避けることは不可能ですよ。

それを避けるなんて誰も言ってないでしょ?
それは1に基いた批判なんだから。
「実践することが社会的に正しいこと」のうちの一つをXとして、

A: Xをお前はやっていない。
B: Xをお前もやっていない。

ってのはどちらも1に基づく批判で、批判の対象は「Xをやってない」というこ
とです。
で、「2が正しくないという立場」では、Aという批判をすること自体は正しい
から、Aに対する批判は起こらないわけ。

「2が正しいという立場」だと、
C: Xをやってないお前がAという批判をするのは間違いだ。
ってのが出てくるわけですね。
これで、Aが「間違い」になるわけですが、それを、「Xをやってないこと」の
正当化にすりかえて、批判に従わない言い訳にするのが、「お前こそループ」
の真の原因でしょう。

>> 「お前の○○という行為は××」「お前の△△という行為こそ□□」というや
>> りとりならありえます。

> 同じことです。

人の評価と行為の評価をごっちゃにするなよなあ。

>> その場合は、それぞれの行為の正しさを独立に判定すればいいだけの話ですか
>> ら、ループにはなりえません。

> 独立に判定した結果、どちらか一方の行為が正当であった場合(たとえば吸殻
> のポイ捨ては駄目だが空き缶のポイ捨てならOKという判定だった場合)なら
> ループにはなりません。そうでない場合(たとえばどちらのポイ捨ても駄目と
> いう判定だった場合)は「お前こそループ」になるでしょう。

いいえ。
「どっちのポイ捨ても間違い」「どっちの批判も正しい」で結着です。
全然ループになりません。

あとは、下された判定に従って、それぞれが反省すればすむ話ですね。

>> wacky氏の主張は、結局は、
>> 
>> (あ) 自分が実践してもいないことを人に勧めるのは社会的に正しくない。
>> (い) 実践することが社会的に正しいことを人に勧めるのは社会的に正しい。
>>      ただし、(あ)に該当する場合を除く
>> 
>> ということでしょ?
>> これが、
>> 
>> (う) 実践することが社会的に正しいことを人に勧めるのは社会的に正しい。
>> (え) 自分が実践してもいないことを人に勧めるのは社会的に正しくない。
>>      ただし、(う)に該当する場合を除く
>> 
>> になるとwacky氏の主張とは違うよね?

>> 結局は、wacky氏の主張を表わした規則は、(あ)と(い)のペアしかないでしょ?

> 何でだ?
> (あ)〜(え)は何れも正しいか否かの2値なんだから、

正しさの度合なんてのは全然考えてないわけね。

> 「(あ)AND(い)」と
> 「(い)AND(あ)」「(う)AND(え)」に違いはないでしょ。

なんで?
「実践することが社会的に正しいけど自分が実践していないことを人に勧める」
という行為を当て嵌めた場合、
(あ)と(い)の組合せだと、(あ)には該当し、(い)には除外条項にかかって該当
しないから、「正しくない」という結果になるでしょ?
(う)と(え)の組合せだと、(う)には該当し、(え)には除外条項にかかって該当
しないから、「正しい」という結果になるでしょ?
違うじゃん。

>>> 「誰かに自己棚上げを指摘された時点」と「自分の自己棚上げに気付いた時
>>> 点」では何がどう別の話になるんですか?
>>> 相手が誰であろうと、批判者が「正しい内容の指摘」を受けていることに何の
>>> 違いもないんですけど。
>> 
>> それは、気付いてると仮定したときの話ですね。

> 「気付いていない」と仮定できる理由が何かあるんですか?

どちらかに仮定できる理由なんてなんでしょ?

>>> KGK氏の言っているのは「批判の内容の正しさ」であって、自己棚上げな批判
>>> という行為そのものの正しさではありませんよ。
>> 
>> 「正しい内容の批判をすること」は正しいですよね。

> その「正しい内容の批判をすること」が自分自身には適用されないってのは正
> しくないことですね。

はい。私も何度もそういう主張をしています。

> で、このケースでは「批判」の時点で正しいコトと正し
> くないコトが同時に別ち難い形で行われているわけです。

「わかちがたい」ってのは、wacky氏独特の評価ですね。

>> 自分自身への批判を棚に上げてるのか、自分を批判した上で解決を棚に上げて
>> るのか、普通は区別つかないでしょうね。

> そんなことを区別する必要もないでしょうに。どっちにしろ自己棚上げに違い
> はないでしょ。

自己棚上げを批判する理由が、「正しい内容の批判を聞き入れてない」ってこ
とじゃなかったんですか?

>>>>> って、当の批判者自身がその「正しい内容の批判を聞き入れてない」じゃんか。

というのはそういうことでしょ?
だったら、「正しい内容の批判」が既に為されたかどうかは、評価に影響する
に決まってんじゃん。

# まあ、「自己棚上げは悪い」と決め付けた上で、その理由を探してるから、
# そんなちぐはぐな主張になるんだろうけど。

>> いつも「基本道徳」に頼ってるようですが、何度もいうように、その段階で止
>> まってちゃ、ちゃんと問題の解析ができないでしょう。

> その段階で留まれないのは「その行為が基本道徳に反しかつ正しい」場合です
> ね。で、冒頭でも述べましたが、「例外を主張するのであれば例外である根拠
> を示す必要がある」わけです。そして当然ながら、例外を主張する者がそれを
> 行うべきでしょう。

それを「例外」としてしまうようでは、「基本道徳」の適用範囲が分かってな
いんでしょうね。
「基本道徳」なんてのは、行為の指針の一つに過ぎず、決定的な評価を与える
ものではありません。
実際に行為の評価をするときには、他人なり社会なりへの影響をちゃんと考え
て評価しなくちゃ。

# まあ、「基本道徳」は「行動基準」の立場で、行為の選択の指針であるのに
# 対して、「行為の評価」は結果として行なわれた行為に対する評価なんだか
# ら、立場違うよね。
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK