一体、どこが「スタイル」なんでしょう?

! "<40069c49$0$19843$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Thu, 15 Jan 2004 22:57:33 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> 余談部の屁理屈は紙面の都合上カットね。^_^;
> #「俺様の指摘が都合悪いから無視した」と考えることは自由だけど、逐次
> #フォローに逐次フォローを重ねていたら倍々ゲームでサイズが増えていくこ
> #とをお忘れなく。
> ##だから、些細な部分や頓珍漢で議論にならない部分から*無視*されてく。

言い訳がましいですね ;P

どんどんサイズが増えるのは、論者の一人が、一つ一つの議論に結着をつけず
に、別の話題を持ち出すからですね。

で、省略された部分に、wacky氏流の「絶対的に正しい」という評価方法に対
する質問があります。
これは、wacky氏流の「行為の評価」のスキームを作る上で根幹をなすべく部
分のはずですが、これを「些細なこと」として省略したということは、自分で
何かを主張するのが目的なわけでなく、ただひたすら難癖をつけたいだけであ
ることを強く推定させますね。

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bu38mr$i3u$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>>>> -0.9〜0.1の範囲で一様乱数を発生する乱数発生器 R があったときに、
>>>>>> ・R はほとんどの場合、負の値を発生する。
>>>>>> というのは、乱数発生器の評価として妥当なものです。
>>>>>> 
>>>>>> しかし、たまたま R が 0.05 という値を発生したときに、
>>>>>> ・それは、R が発生したものだから、負の値である。
>>>>>> というのは、値の評価として間違っています。

>> その「目的」というのは何の目的でしょう?
>> もし「乱数発生器の目的」のことであれば、私はそんなものは扱っていません。

> 「乱数発生器の目的」でも状況次第で通じないこともなさそうですが、正確に
> は「乱数発生器によって乱数を発生させる目的」でしょうね。設問から具体的
> に分かる範囲では「-0.9〜0.1の範囲で一様乱数を発生すること」といったと
> ころでしょう。

本来の話題でそれに対応するのは、「ある人がさまざまな行動をするトータル
の目的」あたりですね。
私はそんなものは扱ってません。

> で、問題は…というか詭弁は、本来の目的が「-0.9〜0.1の範囲の値」である
> にもかかわらず「負の値を発生する」目的が存在するかのように摩り替えてい
> る点にあるわけです。

そうそう。
まさにその通りのことをwacky氏がしてたという指摘です。

> =====

>> 「行為の評価」というのは普通の言葉遣いでは「個々の行為の評価」のことを
>> 指します。
>> それ以外のことを「行為の評価」に含めてしまうと、混乱の元です。

> #含めとらんてば…。
> だからね、元々議論が求めていたのは「基準」の方でしょ。だから、「個々の
> 行為の評価」で思考停止していちゃあ意味がないのです。

「個々の行為の評価」をしてるときに、それ以外の観点を持ち込む理由にはな
らないですね。
「行為の評価」を議論するときには「行為の評価」を議論する。
それを使って「基準」とやらを議論するときには「基準」を議論する。
中途半端に混ぜても、何もいいことはありません。

>> で、「社会的基準は何処にあるべきか」なんて話は、行為の評価のスキームが
>> できてからの話ですね。
>> 評価のスキームもできてないのに「何処にあるべきか」などという話をしても
>> 無駄ですから。

> そうですね。
> 今やっているのは、そのための枝葉の枝葉の枝葉ってとこですか…。
> だからといって、目的を見失って思考停止してよいわけではありません。

当面の目的は、「行為の評価」のスキームを作ることです。
その後のことはその後のこと。
「行為の評価」をしてるときに、別の評価をするのはややこしいだけです。
特に何を対象にした評価なのかをはっきりさせてないものは。

> 個々の行為の結果はそれぞれ個別に評価すべきだ。勿論その通りです。しかし
> それは結果論に過ぎませんね。それは直接*基準*に結びつくものではないので
> す。「*だから*〜である」の部分が言えなければならない。

だから、まず、行為の評価のスキームを作り上げて、しかるのちにその利用法
を考えるってのが筋なわけですが、wacky氏は、行為の評価の段階で別の観点
を混ぜ込んでしまってるわけ。
私が、「行為の評価としてはこうなる」って話をすると、個々の行為の評価以
外の観点から反論してるんだから、そういうことだよね?

> =====

>> これから行なう行為の起点としては関係ありますが、それ以外の関係はありま
>> せん。

> それだけ関係ありゃあ充分じゃん。

何が充分なんでしょう?

wacky氏は「関係ある/なし」だけで何かを決定できると考えてるようですが、
もちろん、その関係性が評価の結果にどのようなプロセスでどのような影響を
与えるのか、ちゃんと考えなければいけません。
「関係あるから」というだけで、評価を恣意的に変えるわけにはいかないんで
す。

で、「個々の行為の評価」としてwacky氏流に考えたときに、その関係性はど
のようなプロセスでどのような影響を評価に与えるのでしょうか?
# 私流のやりかただと、この記事の最後の部分のようになる。

>> : 自分の行為の結果だろうが他人の行為の結果だろうが、既に実現したことは
>> : 「状況」として捉えるのが可能です。
>> 
>> あたりに訂正します。
>> 「行為」自体は状況じゃないから。

> 「行為自体は状況じゃない」のは当たり前の話なので特にまずいとも思いませ
> んし、意味が変化していない以上KGK氏の矛盾も何ら解決されていませんね。

何が矛盾してるんでしょう?

>>>> 「あとで消火する為に放火した」ってのは現在の状況ではなく過去の行為です
>>>> ね。「火事が起こっている」というのが現在の状況でしょう。

と矛盾してると言いたいんだと思いますが、何も矛盾してないよね?
「あとで消火する為に放火した」ってのは行為なんだから状況じゃないでしょ?
で、その結果の「火事が起こっている」ってのが状況なわけ。
全然矛盾してない。

> =====

>>> そもそも、誰も「バケツに水を汲んで火に掛ける」行為の評価なんて(KGK氏を
>>> 除いては)していないし、そんな評価は無意味です。何の為にそんな議論を求
>>> めるのかすら不明です。
>> 
>> それが無意味なのは何故でしょう?
>> 一個の行為と見倣すことができるものは行為の評価を行なうことができるし、
>> それは行為の評価として意味を持つものです。

> それが無意味であるのは「恣意的に状況を切り出していながらそれ以外の情報
> を持ち込まない限りは評価不能」だからですね。消化という単独の行為だけを
> 切り出して評価していると言いながら、実の所は「火事の火である」ことを前
> 提に持ち込んでいるわけです。

もちろん、取り入れてます。

> 「バケツに水を汲んで火に掛ける→消火」というだけの情報で一意に評価を決
> することは不可能ですね。KGK氏は「火事の火である」という情報は取り入れ
> て「放火した」という情報は無視するという*恣意的な情報の選択*を行ってい
> るに過ぎないと思います。

いいえ。どちらも無視せずに取り入れてます。
その情報が評価にどのように影響するかを考えれば、前者は評価に大きく影響
し、後者はそうでないってだけの話。

この差は、
・「火事の火である」という情報は、「消火」という目的の効果の一つが「財
  産価値の減少を食い止める」と想定されることを明らかにする。
・「自分で放火した」という情報は、「消火」という目的の効果の一つが「よ
  い行為によって世間の注目を浴びる」と想定されることを推定させる。
というところにあります。
行為の正しさの評価において、普通、「財産価値の減少を食い止める」に比べ
れば、注目を浴びるかどうかなんて大したことじゃないでしょう。
# 人間性の評価なら話は別ですが。
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK