! "<3f5aa684$0$263$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sun, 07 Sep 2003 12:31:04 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> たとえば、「自分は空き缶をポイ捨てしながら他人の吸殻のポイ捨てを非難す
> る」という誤りを正すのであれば
> 1.空き缶のポイ捨てを止めた上で他人の吸殻のポイ捨てを非難する
> 2.空き缶のポイ捨てを止められないのなら他人を非難しない
> という方法が考えられます。

二番目が選択肢に入るってことがどうかしてるよね。

> つまり、
> 1.自分への要求レベルを上げる
> 2.他者への要求レベルを下げる
> 事によって*自他への要求レベルを一致させる*ということ。
> 要するに「公平であれ」ってことです。
> #更に言えば、この要求レベルは社会的に要求されるレベルの近傍にあるべき
> #でしょう。

という書き方から見ると、「自他への要求レベルを一致させる」というのを
「要求レベルを社会的に要求されるレベルに一致させる」より優先させてるよ
うです。

普通はそうじゃないよね?
1) 自分への要求レベルを社会的に要求されるレベルに一致させる
2) 他者への要求レベルを社会的に要求されるレベルに一致させる
というのが社会的に求められていることです。
「自他への要求レベルを一致させる」なんてのは、その結果に過ぎない。

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bjcdq0$doe$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から

>> 部分的評価は「行為そのもの以外を一切切り捨てた評価」ではありません。
>> その部分の評価に影響するもののみを取り入れた評価です。
>> そういう評価をするのに有効な手法が、styleの方でもやってるような、「他
>> のパラメータを変えず、その部分だけを変化させて評価する」というやつです。

> で、そこら辺の「取り入れ」方が恣意的なんで問題なわけです。
> 正当防衛では都合良く「取り入れ」たものが「消火」ではダメで、実質的に
> 「行為そのもの以外を一切切り捨てた評価」であるといったようにね。
> #基本的には、評価の結果として「影響するか否か」が分かる筈なのに、評価
> #の前に*恣意的な選択*が行われている。それはオカシナ話だよね。

評価の前に選択してるわけじゃありません。

>>> 繰り返しになりますが、評価の対象となる行為について、その行為を行うにあ
>>> たって前提となる行為があったとしても、それを「行為を組み合わせた」と詰
>>> るのは誤りでしょう。全体となった行為があったとしても、それは「その行為
>>> を取り巻く状況等」の一部でしかないのだから。
>> 
>> その状況のなかで、対象となる行為の評価に関係しないものを混ぜても意味な
>> いでしょう。

> 「殺人」については「正当防衛」を混ぜるのに、「消火」については「放火」
> を混ぜない(無批判に評価に値しないと断ずる)というのは少々アンバランスに
> 感じますね。KGK氏の判断基準が全く見出せません。

「殺人」に関しては、実行前の状況として、
A: 相手は生きている。
B: 自分が切迫した危険にさらされている。
というのがあって、実行後に、
a: 相手は死んでいる。
b: 自分への危険は回避される。
となることを目的にしてるわけです。
これは、b が a より重要だとみなされたときのみに「正当防衛」とされます。
a の重要性はあまり変わらないので、b の重要性が計られるわけですが、危険
の大きさ、切迫の度合、代替手段の欠如などが目安となるわけね。

「消火」に関しては、実行前の状況として、
A: 人の生命・財産への被害が拡大中
B: 内心の満足は得られていない
というのがあって、実行後に
a: 人の生命・財産への被害を食い止める
b: 内心の満足を得る
ということを目的としてるわけです。
普通に考えて、a と比較して、b は全くとるに足らないことですね。
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KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK